この四月と五月のはじめに、わが家の女王さまだったハシンタ猫とハスミン猫が、それぞれ「元気に」、としか言いようがない元気さで、あちらの世界へと帰ってゆきました。 (今生でのさいごの日々の、ふだんとさほど変わりなかったようすは、後日もう少し悲しさが薄まってから、猫ページでお話しいたしますね)
これでもう、かわいい高齢猫たちのことは、何も心配がなくなりました。 が、猫よりよほど心配な状態だったのが、残されたお世話係二名です!
急にシーーーーン…としてしまった家で、呆然と顔を見合わせ、どちらからともなく言い出したのが、 「とにかくどこでもいいから旅に出よう、すぐうちを出よう!」 ということでした。
そして、「初夏のマドリードに行って、ぼーっとレティーロ公園で座ってるだけでも、よく涙が乾きそうでいいよね……」などと、たいへん情けないことを申していたのですが… 泣く泣く飛行機便だけ押さえ、それから予定を立て始めると、意外にもどんどん気力が湧いてきて、
・レンタカーの長旅! ・民泊をいろいろ試す! ・イサベル女王や中南米への侵略者たちの足跡をたどる!(以上私の希望) ・お城に行きたい!(宿六の唯一の希望)
というテーマに沿った旅程作り、そして手配を、二日間で一気にすませました。 家から一歩も出ないで全部できてしまうのですから、なんと便利な時代でしょう。
そして、猫なし(;_;)になって一か月とたたない本日5月27日、マドリード直行便に乗ろうとしているところです。思えば東京に行って以来、ほぼ7年ぶりの休暇です。 つまり、女王たちの立て続けの崩御、という大事件でもないかぎり、私の連れ合いはぜったい休みをとらないのです…
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ホルヘ・チャベス空港の、無駄にてりてりしたラウンジ。 いろいろスナック類も並べてありますが…
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…予想どおり、ほぼすべて糖質〜 もちろんグルテンもたっぷりで、その表示もありません。
リマではまだ、一部の特殊なお店を除くと、グルテンアレルギーや不耐性に対する理解はほぼゼロかと思います。 国際空港のラウンジでこうですから。 はたしてスペインは、グルテンと糖質を避けたい私を、どんなふうに迎えてくれるでしょうか?
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かわいい猫たち、もう心配しないでね。 (はなから心配してないような気もすごくするけど…) お世話係二名も、気分変えて楽しんでくるからね!
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エコノミークラスの機内食……(^^;) あまりにまずそうなので写真も小さく…… ほんとにもう、機内食なんか出すのやめちゃえばいいのに!
糖質y/oグルテンばかりで、何も食べられずおなかが空いてしまったので、帰路は何か持ち込んだほうがよさそうです。これ、忘れないようにしなくちゃ。
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しかし空腹と狭い座席にも関わらず、ぐっすり眠れて、気がつくともうこんなところに! 大西洋の真ん中あたりで目が覚めると、心底がっくり…しますけど、今回は良かった〜 あっというまの12時間でした。
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窓の覆いを開けると、ちょうどポルトガル上空。矢印のあたりがナザレですね、あの強い寂しい海風、なつかしいな。でもいまそれに吹き晒される元気は、ちょっとなさそう……
宿六とは、「ポルトガルもいいかも?」と話していましたが、何もこんなに悲しいときに、あのしーんみりとした風情のある国に行かんでも! と、すぐ考え直しました。で結局、またも気楽なスペインへ、となってしまうわけです。
日本……も一瞬考えましたが、日系人であり日本人の配偶者でもある宿六が、ただの観光ビザを取るだけで、ずいぶん手間と日数がかかりますから(怒)。そんなの待ってたら、ペットロス発症してしまいます。
ペルー人もEU圏を自由に旅行できるようになった今、日本からますます足が遠のいてしまうのは、避けられそうにありません。
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またいらない食事が配られます。 これは95%が糖質と見た…
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朝食はほっぽって、窓の外に集中! 後日旅する予定の、エストレマドゥラ地方の上空を通っていくので、目が離せません。
オロペサの北のロサリート貯水湖と、その向こうのグレドス山脈がきれいに見えてきました。 このグレドス越えも、このたびの旅程に入っています。
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遠くにマドリードが見えてきました。。 よーーし、少し気分が持ち上がってきた!
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機内食の積み込み中… グルメって、あーた……
午後2時、快晴のバラハス空港に到着。 何はともあれ、生命線たるスマホSIMカードを調達してから、赤ダスキ・タクシーでリマ市内へ。
マドリードのタクシー運転手さんというと、数語おきにみやびやかな罵倒語を挟まないと会話できない人たち、という勝手な思い込みがありましたが… 今日会ったのは、「J〇〇〇〇!」とか一回も口にせず、穏やかなスペイン語を話す運転手さん。 聞いてみたら、あーやっぱり。コロンビアの人でした。
行きがけ、リマの空港まで乗ったUberタクシーは、ベネズエラ人の運転手さん。 まず一般タクシーの悪口に始まり、それから一代記を聞かせてくれました。 そして今度の運転手さんは、まずUberタクシーの悪口に始まり、それからやはり一代記を聞かせてくれました。
お二人ともそれぞれ、移住先にはかなり満足して暮らしているそうで、本当になによりです。
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これから三泊するお宿に到着。 プラド美術館(行かないと思うけど)にほど近い、Barrio de Las Letrasのアパルタメントです。
写真はお宿の、バルコニーつきのキチネット。食器やおなべ類、少々の調味料やハーブティなどおいてあります。 アイロンがけセット、洗濯機と洗濯洗剤などもそろっています。 また、写っていませんが手前には食堂スペースがあります。
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バルコニーつき寝室。 長逗留にはやや手狭かもしれませんが、数日の滞在ならちょうどよさそう… …いえいえ、同価格帯のホテルで、この立地、この広さはありえないので、文句言えません!
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バス&トイレ。 どの部屋も照明が明るく(ぜんぶLEDだけど…それだけでも昔のすてきなヨーロッパ感は、ガクっと目減りしちゃいましたね…)、ピカピカに清潔です。
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寝室と居間のバルコニーからの眺め。 奥の緑はプラド大通り。 ちょっと歩けばすぐ王立植物園!いいですねえ。
民泊には、いろいろ種類があるようですね。
自分の家を、休暇に丸ごと貸し出す人。 自分が今げんざい暮らしている家の、一間だけを貸す人。 使っていない手持ち物件(アパート、一軒家、別荘など)を、賃貸専用にしている人。などなど。
私はもちろん、賃貸専用で共用スペースのない、ホテルと同じに使える物件を探します。 とはいえフロントは(ふつうは)ないので、チェックイン時は、カギを持った担当者と玄関前で待ち合わせです(なのでスマホが使えないとアウト)。 チェックアウトはもっとかんたんで、部屋の中にカギを置いて、バタンと扉を閉めるだけです。
ここのオーナーさんはアパートを数多く貸しているそうで、お客さん対応のため、何人か若者を雇っています。 このときやってきたカギ係は、メキシコ出身のお兄さんでした。
民泊は、ホテルなみのサービスはなくて当たり前、ですけれど、このお兄さんは荷物をぜんぶ運び上げてくれて、部屋の説明も懇切丁寧。 困ったときはいつでもどうぞと、自分の連絡先も教えてくれます。 じっさい後日、ちょっとお騒がせしましたが、すぐ対応してくれました。
これなら下手なホテルより、よほどサービスいいかも!
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間取りは、だいたいこんな感じ、かと思います。 おそらく、もとは150平方メートルくらいだったアパルタメントを、三つに分けて貸しているようです。
私が借りた1号室の広さは、推定36〜40平方メートルくらい。 後日マドリードに戻ったときに、2号室を借りましたが、そちらはもう少し大きかったです。
このアパルタメントの紹介サイトでは、「宿泊料のほかに保証金300ユーロ」となっていましたが、私たちは請求されなかったので確認したところ、メキシコ君が言うには、
「保証金は、若者グループからだけとっています。 部屋でパーティ開いて大騒ぎして、挙句にソファでたばこの火をもみ消したりとか、ひどいことやらかしてくれますから。 でもあなた方のような『落ちついた年齢の人たち』の場合は、保証金は必要ありません」
ふーーーーーーーん。あっそう……… なんかね、嬉しいような……少し侘しいような?(笑)
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お向かいさんは多肉植物がたいへんお好きなようです。 これ、フライ麺状に育ってる、すごい…
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こういうのを見ると、忘れていた「ヨーロッパの都会のアパルタメント」へのあこがれが、ひさびさに再燃しちゃいますね!
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夜は(明るいですがもう7時過ぎ)、そのへんのバルへ。
いつも思うんですけど、どうして西ヨーロッパでは(東は私は知らない)、ただのコップやミネラルウォーターの壜が、それだけで魅力的に見えるのでしょう? 湿気もホコリも少ない、からっとした空気のせいでしょうか。 食器がカチャカチャいう音からして、なんとも風情ありげに聞こえますよね。
もしかすると、ヨーロッパ人がすごくセンスいい、だけでなく、気候の影響もけっこう大きいのかも。
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軽くサラダと、何か数品…のつもりが、焼き赤パプリカのサラダが巨大すぎ。 むこう側で宿六が、「参ったな…」と腕組みしています。 半人前を頼む、という注文技術を忘れ果てていました。
飲み物についてくるおまけは、厚切りのマンチェゴ・チーズと乾パン風のpicosでしたが、小麦は食べられないと言ってみたら、 「うちはグルテンフリー・パンはおいてないので、かわりにチーズ増やしたげますね!」 と、もう一皿持ってきてくれました。
なんかとても得した気分…?(このチーズ、スペインでは安いけど、ペルーだと高いのですよね) どうやらスペインでは、グルテンについてはくどくど説明しなくても、すぐわかってもらえるようです。 それも一安心。
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赤パプリカ(けっこう糖質多いのだ…)でおなかいっぱいでしたが、もう一品は試したくて、トルティーリャの一切れをがんばって食べます。 ジャガイモなんて数年ぶりに食べましたが、けっこうおいしいものですね、炭水化物って(^^)
今のところ、スペインではグルテンは問題なく避けられそうな予感… でも炭水化物のほうは、旅行中は多少はとろうと思っています。 そうでないと、食べるものがなくなりそうなので。
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旅行中、どこに行ってもサクランボを叩き売りしてました。 いいときに来た♪ こういう糖質は(たまには)大歓迎!
近くのスーパーマーケットを二軒まわってから、「帰宅」。 どちらも店員さんが親切で、何度もグラシアス、グラシアスと言うし、うーーーーん、なんかおかしい… 私が少しは知ってると思ってたスペインとは、どこか違う気がする…
宿のミニ台所で、お茶を入れたり果物を洗ったりしながら(やはり台所があるとホテルより数倍くつろげます!民泊バンザイ!)、 「なんか今日会った人たち、みーんなニコニコしてて親切だったよね。マドリードって……こんなだっけ?」 そう宿六にたずねると、 「今日は、スペイン人には、たぶんまだ一人も会ってないと思う」
なーるほど…… 今日言葉を交わした人々は、新しい世界で道を切り開こうとがんばる、移民のみなさんでしたか。
このアパルタメントは、観光客の多い通りに面しているので、少し心配でしたが、夜11時をすぎるとぴたっと静かになります。民度高くていいわねえ。 (明け方のごみ収集車のガラガラガッシャン!だけはどうにかしてほしいけど、それはもはやヨーロッパ旅の味のうちか…)
しかしどっちにしても私は時差で眠れず、宿六だけが腹立たしいほどの熟睡ぶり。 グルテンフリーだろうとなんだろうと、これだけは何も変わらぬ、いつもの旅行初日でありました。
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まだ五月末ですが、地下鉄では夏のバカンス関連の広告ばかり目立っています。 ほとんどの人が、そのことだけ考えて毎日を乗り切っている…のかな。
私たちもそういうところは見習いたいです! これからは、旅行が終ると同時に次の旅の計画を立てる、という風にしたいです。いえ、そうします。 そうでないとまた、6,7年は行きそびれますから。
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前の旅行でたいへん楽しかったお店を、表敬訪問。 平日の昼間は、年配男性のたまり場となっているもよう。
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パンおいしそうですね… 食べませんけどね…
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前のときと同じに、マリスカーダ(塩茹で魚介類の激盛り)と、シシトウガラシの素揚げを注文。 すると、となりに座った常連さんらしい紳士二人が、マリスカーダの写真を撮らせてほしい、と話しかけてきます。
「やっぱりマリスカーダが、いちばん見栄えしますからね。 やきもち焼きの友人に、『いまこれ食べてるんだ』って写真送ってやりたいんです!」
これをきっかけにおしゃべりが始まります。 当初、「二人とも料理人でね」とおっしゃっていましたが、それはお二人ともやもめ、という意味でした…なるほど。
二人組のいっぽうはマドリードっ子で、元は装飾デザイン関係のお仕事だったそうで、たしかに繊細でやわらかな印象の人。 もうひとりはグラナダ生まれで、17年間アルバイシンでアランブラ宮殿を正面に見ながら育ったのち、定年まで光学関係の会社を経営していたそうです。
それで以前は日本へ行く機会も多く、あるとき東京行きの機内で、隣に座った日本人女性と大いに話が合って、たいへん良い雰囲気となったそうです。 しかしざんねん、その女性は仕事で大阪まで乗り継がねばならず、泣く泣く別れた…とのこと。 「あのとき彼女が、東京でいっしょに降りてくれてたら、自分の人生はどう変わっていただろう?」と、今でも思うそうです。
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(ご本人に許可をとるすべがないので、写真を「油絵化」しましたが) これは右のグラナダ紳士が、『やきもち焼きの友人』とせっせとメッセージのやりとりをしているところ。 「料理より、となりの異国のご婦人はいったいだれだ?!」と聞かれた、とご満悦です。

マドリード紳士のほうは、上品でかわいらしい雰囲気の、小声で楽しいことを話す人でしたが、グラナダ紳士のほうは機関銃式にジョークを畳みかけてきます。
じぶんと従妹がロバに乗った古い写真を出してきて、 「これが若い頃の私。…あ、下(=ロバ)じゃなくて、上に乗ってるほうね」 といった、もうひっきりなしの古典的ジョークがおかしくて、おちおち海老の殻もむけません。
日本では箱根がお気に召したそうで、芦ノ湖のカラベラ?船に衝撃を受けたという話や、「効果」があると聞いて温泉卵を6個食べたけど効果はよくわからなかった、ことだとか……
二時間あまりあれこれ話して、それからお互い名前も聞かずさらっと別れましたが、 「次はぜひ、テーブルくっつけていっしょに食べよう。 今日は、ほんっとうに楽しかったなあ!」 と、お二人がおなかの底から言って下さったのが、とても嬉しかったです。
こういう儚い小さな出会いが、なぜかいつまでも心に残ることって、ありますよね。 きっと本当は古い知り合いで、たまたま今回の人生では共演場面がないけれど、どちらかが参っているときなど、ちょっと元気づけに友情出演してくれたりするのでしょう。
今生ではもしかしたら二度と会うことはないかもしれませんが、「むこう」に戻れば、「なーんだお前だったのか、わははは」みたいなことになるに違いありません。
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お隣さんが注文した料理。 メルルーサとバカラオだそうです。 この店の温かい料理も、次回はためしてみたいな。 (とたしか前回も言っていた…)
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五月のバラに、ぎりぎりで間に合いました。 (間に合うように旅立ってくれたハスミン猫、ありがとう…)
お昼のあとは少し買い物をして、それから日暮れまでレティーロ公園でのんびりしてから「帰宅」です。
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そろそろ夜10時の、レティーロ公園。 零時まで開いているせいか、まだ大勢の人が芝生の上でゴロゴロくつろいでいます。 ついでながら今日は水曜日。同じ人類の生活とは思えないなあ。
犬の散歩をする人も多く、夏のマドリードの犬たちは幸せですね。 日暮れが遅いから、ご主人様の仕事のあとで、たっぷりかまってもらえますもんね。
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今朝は、レティーロ公園の向こう側にある、PANEMというパン屋さんへ。
地下鉄のどこかの駅が閉鎖されており、やむなく何本も乗り継いで辿りつきましたが、次からはこういうときはタクシーにしましょうよね宿六よ。 ほんとは宿からすごく近いんだから… (宿六は久しぶりの地下鉄がよほど嬉しいらしく、どこでもぜったい、何としてでも地下鉄で行こうとします…)
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なぜ私が、よりによってパン屋さんへ行くかと申しますと… 買いたかったのはこれ。スペルト小麦(古代小麦)のしっかりした田舎風のパン。
スペルト小麦ならぜんぜん胃腸にきませんので、明日からの自動車旅にもっていこう、という考えです。 スペインでワインを飲むには、やっぱりちょっとはパン、ほしいですものね。
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うわーおいしそう!でもふつうの小麦なので、私はやめておいたほうがよさそう。 でもあとから気づきました、ひとつ買って味見だけして、あと宿六に食べさせればよかった。
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バゲットもおいしそうだなあ。 いい尖りぐあいです。でも見るだけね…
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スペルト小麦のビールもあるそうです。 店員さんが親切にいろいろ教えてくれました。
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ずっしり重いパン二つを宿六に背負わせて、ぷらぷら歩いてまたレティ―ロ公園へ。 途中ですてきな車を見ました。 ペルセベスはペルーにもあるけど、なんでも大きく育ちすぎるお国柄のせいか、ペルセベスも妙にひょろ長くて、どうもちょっと違うんですよね。
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レティーロ公園のプラタナス。緑色が明るくていいなあ。 ふるさと代官山に、むかしたくさん大きなスズカケノキ(プラタナスの一種)があって、あの丸いトゲトゲの実は、おままごと料理には欠かせない素材でした。そのせいかプラタナスの下に立つと、なんだか故郷に戻ったよう。
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今日はグラ〜っとくる暑さです。 34,5℃くらいかな? 赤のつるバラが、強烈な存在感を放っています!
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どこからか花の香りがして、振り仰ぐとムリーリョ像前のマグノリアが、満開になっています。 今年はうちでも咲きましたから、1月と5月と、二回もマグノリアの花を見ることができました。
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グルテンをうっかりとらないためには、ぱっと見て、何が入っているかわからない料理を出すお店(高級料理店ほどその傾向大)は、避けたほうが無難です。 「素材をただ焼いただけ」みたいな料理を、でもそれなりに感じよく出してくれそうなお店を、これから毎日鼻をきかせて探していこうと思います。 でも今日のところは、お宿の近くで適当に…
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とりあえずリベイロ。
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パドロン産シシトウガラシ(の仲間)の、手書きメニュー。 つきものの決まり文句が、ガリシアなまりで書いてあります。「辛いのもあれば、辛くないのもある」 そりゃそうだ…
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野菜の炭火焼き。 おいしいですが、うちでいつも食べてるもの感、非常に大。
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小イカ(チピローネス)の、やはり鉄板焼き。 わるくないです。価格もたいへん良心的。
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説明書き、見忘れましたが… 古代エジプトのコアグラス?でしょうか。 紐をつけ、香油を入れて首飾りにしたという… (あー今の時代は味気ないなー)
午後は国立考古学博物館へ。 大昔に来た覚えがうっすらありますが、見違えるほどきれいに改装されたんですね。
いつまでも日が沈まないので、つい油断して食後にぐずぐずしすぎて、あまり時間がありません。 なので今度の旅とかかわりの深い、古代ローマ〜中世あたりだけ、ざっと見物しようと思います。 写真もキリがありませんので、私がほしい!と思ったものだけ載せますね。
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紀元前5-3世紀の首飾り。イビサ島出土。
紀元前の地中海世界に、ガラス製品を大いに流通させた、フェニキア人のトンボ玉。 直径が3センチくらいある、みごとなフェニキア玉。ひとつでいいからほしい!できたら青いの! こんなに古いものなのに、あまりキズもなくて、持ち主はさぞだいじに使っていたのでしょうね。
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ローマの銀化ガラス器。 美しいですねえ。
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これは欲しくはないのですが、とても驚いたので… このモダーンな水ポンプが、なんと紀元1世紀のものとは!(ウェルバ地方出土) 鉱山で、鉱物を含む岩をよーく熱したところへ、これで冷水を吹き付け、もろくなったら砕いてたやすく採取、という使い方をした由。ローマ人おそるべし。
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タコのモザイク。 食べるとこあんまりなさそうなタコ。 紀元2-3世紀、レオン地方出土。
そういえば最近ペルーのタコ、高いんですよね。しばらく食べていないなあ…
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粘土で作ったパン用のハンコ、と思われる品。 1世紀、アルバセーテ出土。
「焼く前のパンに押しつけ、それぞれのお店ごとに異なる模様をつけていた」、そうです。 いろいろな図案があるようですが、これはロムルスとレムスにお乳を与えるメス狼の図。とってもローマ世界。
でもパン生地は焼くとまた膨らみますから、こんな細かい模様が、ほんとうにうまく浮かび上がるでしょうか。ちょっと疑問。 グルテンが少ない昔の小麦なら、うまくいったのかな?
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リサイクル・アクセサリー! 大きさは4センチ弱くらい。 最終的にこの形になったのが、たぶん1世紀ごろ
いろいろなアクセサリーから集めたらしき、よく使い込まれた部品が組み合わせてあるそうです。
いちばん上の金具は、押しつぶした金の指輪。 中央の瑪瑙細工は、Aqueloo神(ギリシャの河の神アケローオス)をあらわしており、おそらく紀元前のギリシャ産とのこと。 下の握りこぶしは、古代ローマ世界でよく使われた、邪視を祓うお守り。
まわりのビーズも、色も素材もまちまちですね。 これとこれ組み合わせたら、おもしろい新しいアクセサリーになるかも…というその楽しい気持ち、よくわかるなあ。
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ナツメヤシの実の形の涙壺。吹きガラス。 1-2世紀 Baelo Claudia遺跡(タリーファ近く)出土
これ、そっくりなのがケルンの博物館にもあって、解説書には「ローマ時代のイタリア半島からの輸入品」とありました。 これもそうなのかしらん?
その本によりますと、「5,6センチの長さで、もとは木の栓がついていて、香料やナツメヤシの実のシロップなど入れたのではないか」、とのこと。 香料はわかるけど、シロップはこんな小さいのに入れて、いったいどうしたんでしょうね? ちょっとずつ舐めたのかな…(^^)
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バッカス神の勝利の入場。 劇場での一場面をモザイクにしたもの。 2世紀、サラゴサ出土。 猫科動物にはつい目をひかれます…
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エメラルドと真珠、金鎖のネックレス。 3世紀、エルチェ出土。
古代ローマやビザンチン時代によくあるデザインです。 エメラルドはあまり磨かず、こういうふうにざっくりと切ってあるのが、いちばん味がありますね。 これは欲しいなあ、20歳代に戻って使いたい。でも70歳以上になると、また似合いそう。
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かわいい三羽のうずらのモザイク。 4世紀、レオン地方出土。
うずらも久しぶりに食べたいですね…
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ガラスのトンボ玉と琥珀のビーズ。 5〜7世紀、セゴビア出土。 茶色の髪の女性に似合いそう。
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超有名な、西ゴートのRecesvinto王の「冠」 7世紀
子供のころ、中世ヨーロッパを扱う本で、この立派な王冠の写真を初めて見ました。 どこの何時代のものとも知らないまま、大粒の宝石をごたごたと並べた、稚拙なのに豪勢なつくりが目新しく、強く印象に残っていました。 なので20代になって、一人で入ったこの博物館で「ご本人」にばったり出会ったときは、とても嬉しかったです。
でもそのときから、ずーーーっと勘違いしていたあることに、今日気づきました。 王冠、という呼び名から、西ゴート族の王様がこれを頭に載せていたのだ!と思い込んでいましたが、ほんとは教会の天井からぶら下げる祭壇飾りだったんですね。たしかに頭に載せるとしたら、下の飾りが邪魔になるはず…
教会を贅沢に飾りたてるビザンチン帝国の風習を、西ゴート族の王様が取り入れた、のだそうです。
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丸くつやつやと磨かれたサファイヤのきれいなこと!(これもひとつでいいからほしい!) 下にぶらさがった文字は、ラテン語で「レケスビント王が奉納しました」と綴ってある由。
西ゴート族の王様たちの歴史も、いろいろ悲惨なこととか多そうで、さぞおもしろいでしょうね。 なかなかそこまで手がまわりませんが… この王様は、ユダヤ人迫害と、教会との協調政策で知られている、らしいです。幸い在位期間は長かったようです。
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ムデハル様式のタイル。 15世紀、バレンシア地方。
バレンシアでは今もソカラット・タイルという、ベンガラ色がきれいな素朴なタイルが作られているようですが、それのご先祖ですね。 自信に満ちた描線ですばらしい!
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イスラムスペイン時代のお皿? 「イラン起源」としか書いてませんが、当時の輸入品?
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塔と、花咲く灌木の絵柄のタイル。 どこかのお宅の紋章のようです。 15世紀。
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天井の梁と梁のあいだを飾る、彩色板。 左は水売りの女性、右はユダヤ人像と推定される由。 13世紀。テルエル。これも宿六に担がせて持って帰りたい…
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壁を飾る彩色板 14世紀。バリャドリード地方。
竜を退治中の騎士のようですね。
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彩色板。 1500年ごろ
中央を飾るCastilla y Leonの紋章、いいなー 前世があるとしたら(だんぜんあると思ってますが)、私はこの手の職人だったかも。 描くときに筆から手に伝わる、粘度のある絵の具の感触まで、ありありと思い出せる…ような気がします〜(^^)
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カトリック両王の肖像金貨、「Cuatro excelentes」 1523〜1543年ごろセビージャで鋳造。
まだ見たいものがたくさん残っていますが、やはり博物館って疲れます。 カトリック両王が出てきたところで、見物を切り上げ、「帰宅」することにしました。
ところでこの金貨、ずっと不思議に思っていたことがあります。 ふつう王様や皇帝の肖像をあしらった貨幣は、その在位期間にだけ発行されるものかと思うのですが、カトリック両王の金貨は、没後百年は作られ続けていたようなのです。 今日は、嬉しいことにその謎がすっきり解けました。
1497年、カトリック両王は中南米から流れ込んだ潤沢な金を使って(なるほどー、そうであったか…)、当時信用が高かったヴェネチアのducado金貨をまねた、新しい金貨を発行。 その品質はたいへん高く、国内外で広く受け入れられたため、「excelente」と呼ばれるようになったそうです。
まただからこそ、孫のカルロス五世や曾孫のフェリーペ二世の治世となっても、両王の「excelente」とほぼ同じデザインの金貨が作られ続けたのだそうです。(カルロスくんやフェリーペくんの肖像金貨も、もちろん発行されていますが)。
上の写真の金貨も、孫のカルロスくん時代のものです。 カルロスくんはネーデルラント育ちで、スペインの祖父母、つまりカトリック両王には会ったこともありません。 祖父フェルナンド王に可愛がられてスペインで育った、弟のフェルディナンドならともかく、兄のカルロスくんのほうが親愛や敬愛の情からこのような金貨を作った、とはちょっと考え辛く、もやもやしていましたが、要するに実利的な意味がちゃんとあったのですね。
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カトリック両王の肖像をあしらったducat金貨。 1590年〜1597年ごろ。 スペイン・ハプスブルク家時代のネーデルラント。
私はこの、カトリック両王が向かいあっている金貨の絵柄が、「いかにも中世さいごの王様たち!」という感じがして、好きで好きでたまりません。 (カスティーリャとアラゴン両王国の統合を、大いに宣伝する政治目的もあったにちがいないところが、また好きです)
それでなんとか入手できないかと(コイン収集はしていませんが、例外的にこれだけはほしくて)、ときどきオークションサイトなど覗いていましたが、両王在位中の「excelente」金貨は、お値段もたいへんエクセレント! 大きくて保存のよいものは、軽〜く数十万円超で(うっかりすると車買えますね)、もちろん問題外。
それでも気になって気になって、2017年4月のある晩、ふと口に出して言ってみたのです。 「イサベルとフェルナンドの肖像がくっきりと残っている、ンン円くらいまでの小さな金貨があったら、私ぜったい買う!」
…と、恐ろしいことにその翌々週、条件にほぼ合った、ぎりぎり手が届きそうな金貨が、ネット上に忽然と現れたのです。
直径23ミリ、3.5グラムほどの、とても小さな金貨ですが、両王の横顔や髪の流れ、王冠がくっきりしていてひとめぼれ。 結果的にこれは、宿六からのプレゼントとなりました。 (立て替えてもらって、あとで返すね、と言っているうちに折よく誕生日が来た♪人生はタイミングが重要…)
この金貨もまた、両王がとっくの昔に亡くなってから鋳造されています。 その不可思議さも、今日すっきりしました。 曾孫の代の、それもスペイン領内ではなくネーデルラントにおいてなお、両王の上質な「excelente」の威光を借りて、同じ図柄の金貨が作られていた、ということなのですね。
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さて、明日はいよいよ車を借りて、北へと向かいます。
ほんとうは、マドリードであと二泊はして、涙をしっかり乾かす…つもりでした。 が、5月31日と6月1日の宿だけが、どう探しても見つからなかったのです。 かろうじて残っていたところも、あやしげな地区の流れ星ホテルが一泊500ユーロとか、無茶苦茶な価格になっていました。
驚いてネットで調べて、やっとわかったのが、チャンピオンズ・リーグなるものの決勝戦が、6月1日にマドリードで行われる、ということ。 なんでも勝ち残った英国2チームのサポーターが、ざっと7万人?!マジ?!チャーター便でマドリードに押し寄せてくるとか… そりゃあ部屋なんか、あいてるはずがなかったですね。
となったらもう、この二日間はマドリードから逃げ出すしかありません。 緊急避難場所に選んだのは、どっちを向いても歴史がぶんぶん唸っているような、アビラです。
(コウノトリも、明日以降、出て参るはずです)
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ぜんぶお前↑がわるい…… いえ、ほんとはおかげで、ずっと良い旅程になったのですけど!
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