ペルー談話室 玄関に戻る

スペイン

古城、レンタカー、民泊、グルテンフリー、イサベル女王、ピサロ、ローマ遺跡…
テーマはいろいろあったけど、つまるところは…

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コウノトリ紀行 2019
(その3) トルヒーヨ、カセレス


2019年6月2日(日) アビラ→オロペサ→マドロニェラ(トルヒーヨ) (2009年10月19日更新)
<山を越えて猛暑のエストレマドゥーラへ>



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 本日の行程。グレドス山脈をこえて、エストレマドゥーラに入ります。
 総距離は250キロ弱ながら、気になるところが道中かなり多く…いくぶんの緊張感とともに出発です。



AVILA


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 アビラの朝。
 民泊にカギを置いて外に出ると、大聖堂がこの近さ。
 二晩だけだったので、せっかくの立地をあまり活用できなかったなあ。



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 アマポーラにふちどられた金色の麦畑を見ながら、しばらく平原を走ります。


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 ほどなくグレドス山地への坂道にさしかかりました。
 近くに、La hija de Dios(神の娘??)というおもしろい名の集落があるようです。
 宿屋の主人Diosさんが、一人娘のことを大いに案じながら亡くなった、という故事にちなんでいる、とか。
 でも13世紀、この集落はラテン語でFilia Deiと呼ばれていた、ともありますから、後からの作り話のようですね。まったくどうでもいいんだけどなんか気になる…



SIERRA
DE GREDOS


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 はじめはカシ、ブナ、カシワ、松などの森で、標高が上がるにつれ明るく開けて、エニシダの茂みだらけになります。
 車を降りてみると、まわりじゅうで虫がすだき、カウベルの音が近く遠くに聞こえています。
 ひんやりした空気は、花や薬草の香りをたっぷり含んでいます。タイムやラベンダーのすっきりした香りに、エニシダの甘い香りがまじりあっています。



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 登り始めてわずか30分で、標高1400メートルほどの峠(Puerto de Pico)に到着。
 この低さ、ペルーでは峠とは呼べませんね、4000メートルはなくちゃね、ふふふ。でも南に大きく開けたきれいな景色です。
 むこうはタホ川が流れる大平原です。



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 行きの飛行機から、運よくこのあたりを見ることができました。
 今は展望台のところにいます。これからグレドス山脈の南斜面をどんどん下って、ナバルカン貯水池の南西にあるオロペサを目指します。



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 展望台のすぐ右手に、ローマ道 calzada romana が見えています。
 きれいに修復されすぎているので、駐車場?とか思ってしまいましたが、紀元前に遡る古い道だそうです。
 ローマ時代以前から移牧(牛たちを秋は南へ、春は北へ移動させる)に使われていた道を、ローマ人が例によって石できちーーんと舗装したそうです。
 道幅の広さもいかにもローマですね、広いところでは6、7メートルもあるそうです。重装備のローマ軍が、ザックザックとここを行進した日もあったのでしょうか。



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 少し下ってから振り返ると、ローマ道がジグザグに下っていくのがよくわかります。
 (これがインカ道だったら、起伏におかまいなしに、だーっと一直線に通したかな?)


 私が好きな15世紀ごろには、この道を使ってアビラ産の材木とセビーリャ産の塩の交易がおこなわれていたとか。
 今でもなお小規模なかたちで、アビラ牛(例のおいしい肉牛)の移牧に使われているそうです。もちろん車での移動のほうがはるかに多いでしょうけれど。
 花がきれいな4月ごろに、ローマ道をのんびり下まで歩いてみたいですね。



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 峠は涼しいので、まだ少し花が咲き残っています。これはジキタリスかな。


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 と、そこに見慣れないきれいな虫が、ふわ〜っと飛んできました。
 どなたでしょうこれは。うーん、蝶でもないしトンボでもないし…
 うすぼんやりした印象の虫さんで、飛びかたもゆっくりで、近づいても逃げません。



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 後日グアダルーペ近くの別の峠(ペルー在住者的にはプチ峠)でも出会いました。
 旅のあとで、アミメカゲロウ(Nemoptera bipennis)だということがわかりました。
 いちばん長いところが10センチくらいもあったでしょうか、翅にはてりっとした艶もあって、とてもきれいでした。



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 低いところではもうカサカサだったラベンダーも、峠ではまだなんとか新鮮さを保っています。


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 きれいな湧き水。ヨーロッパのこういう清潔感は、やはりいいですねーー


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 南斜面を下り始めると、ふたたび松やカシ、カシワなどの森に入っていきます。
 とてもきれいで快適ですが、快適すぎてちょっと退屈してきたかな……



MOMBELTRAN


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 …するといいところで、立派なお城が出てきました。
 旅の前に、モンベルトランという地名を見て、どうもなじみのあるひびきだな…と思って調べたら…
 大当たり。ベルトラン・デ・ラ・クエバのお城でした。


 ベルトラン・デ・ラ・クエバは、イサベル女王のお兄さん、エンリケ(例の「不能王」、連呼してすみません)の寵臣です。
 もともと小貴族の出でしたが、20歳ごろ小姓として宮廷入りしたあとは、王に気に入られてめきめきと出世、十年後にはアルブルケルケ公爵位まで手に入れます。


 当然ながら猛烈な妬みも受けて、しまいには「不能王」エンリケの後継ぎたる王女フアナは、実のところベルトランの子である、という噂を流されます。
 かわいそうなのはそのお姫様で、フアナ・ラ・ベルトラネハ(ベルトランの娘っ子フアナ)という、軽蔑的なあだ名までつけられ、500年過ぎてもみんながそれを知っているという、なんたる哀しさ…



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 ここは、寵臣ベルトランが王から贈られた、無数の領地やお城の中のひとつです。
 もとはColmenarだった地名も、一族が勝手にモンベルトランと変えたとか。そしてベルトランやその息子などが、ここで暮した時期もあったようです。
 なんといっても交通の要衝ですし、近くに鉄鉱山も多く、何かと利益の多い領地だったのでしょう。


 ベルトラン・デ・ラ・クエバという御仁がおもしろいのは、さんざんお世話になり、同時に迷惑もかけられたエンリケ王の死後は、さっさかイサベル側についてしまったことですね。
 ラ・ベルトラネハとイサベル(つまり姪と叔母)のあいだで、王位を巡る四年にわたる内戦が起きた際も、ベルトランは終始イサベル側で戦っていました。


 ということは、本当にラ・ベルトラネハのお父さんではなかったのか、それとも自分の子だからこそ遠のいたのか、あるいは単に機を見るに敏な人だったのか…

 結局このあたり一帯の領地は、19世紀はじめまでベルトランの子孫が所有していたそうです。もしベルトランがラ・ベルトラネハ側についていたら、そうはいかなかったはずで、ご先祖さまさまですね。
 またこのお城は、現在もアルブルケルケ公爵(ベルトランから数えて第19代目)の所有だとか。
 外壁を見るだけでも荒れ放題とわかりますが、もしかすると公爵様は世襲財産が多すぎて、ここまで手がまわらないのかもしれませんね。いいなーー


 ついでながらベルトランは三回結婚していますが、三度目の奥さんは政敵フアン・パチェコの未亡人だそうで、これまたもう何がなんだか…

 フアン・パチェコというのがまた味わい深い人で…
 彼もまたエンリケ王の寵臣でしたが、ベルトランにお気に入りの立場を奪われると、イサベルの弟アルフォンソを担ぎ上げて反乱を起こします。が、夭折したアルフォンソ君の下手人として、いちばん疑わしいのもまた、フアン・パチェコさん。
 さらにラ・ベルトラネハとイサベル間の継承戦争時には、ベルトラネハ側についています。
 ここまで徹底してコウモリな人も、歴史上ちょっと珍しいかもしれませんね。



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古風ないいお城ですねえ…
門だけはちょっとルネサンス期ぽい?



 モンベルトラン城は、「日曜のみガイドツアーあり」と聞いていましたが、人の気配はまったくありません。
 近くに住んでいる管理人さんに電話すると、「30分くらい待ってもらえるなら案内できます」と言います。うーん、最近のスペインの30分は、本当に30分なのだろうか?
 理想的な崩壊ぐあいのお城で、たいへん心惹かれますが、今日のお宿は、幹線道をだいぶ離れたところにあります。
 明るいうちに辿りつきたいですから、ここの見学はあきらめるしかなさそうです。


 ついでながら、モンベルトランから十数分ほど横道を進むと、エンリケ王とイサベル女王のお父さん、フアン二世の寵臣アルバロ・デ・ルナのお城があるそうです。このへんは寵臣が集まりやすい場所なのか…というかつまり、良い立地だったということですね。
 アルバロ・デ・ルナは、イサベルのお母さんが罠にはめて死に追いやった人で、これまた大いに気になりますが…


 まあそのうちまた、来ることもあるでしょう。マドリードからは近いですし。


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さて平地に降りてくると、暑い暑い暑い!
そしてコウノトリだらけ!



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ひなたちも、暑そうにくちばしを開いています。


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「ジャーン!」
別の巣で、妙なポーズをとる親鳥。



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 と、そこにもう一羽やってきて、これは見張り番交代の儀式なのかな?


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 順番に長いのどを仰向けにして、カタカタカタカタカタ……とくちばしを鳴らしています。
 crotoreoというそうですが、高いところから降ってくるこの乾いた音、なかなか風情があります。
 海鳥の単調な啼き声のようでもあり、海の遠さを一瞬忘れます。


 それにしてもコウノトリの巣って、よくビニール紐とか袋とか混じっていて、可笑しいですよね。なんでも使っちゃうのですね。


OROPESA


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オロペサの立派なお城が見えてきました。
突如元気づく宿六。



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 12、3世紀に作られたオロペサ城は、自由にすみずみまで見て歩けるので、お城の作りを理解するのにとてもいいところですね。
 日曜の今日は、近隣からのはとバスツアーご一行が大勢みえていて、みなさんもとても楽しそうです。しかし暑い…



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 15世紀に増築された館のほうは、パラドールになっています。

 30年以上もむかし、この二階の食堂で、向こう側の乾いた平原を眺めながら、小学同級生のY子さんといっしょに昼食をとりました。
 当時のパラドールのコース料理は、(良い意味で)どーんとした田舎料理で、とても食べごたえがありました。
 特にここの名物は、十数品の前菜が小皿でずらっと出てくる、という楽しいもので、知らずに注文してびっくり&大喜びのY子さんの笑顔を鮮やかに思い出します。


 今はもう、どこのパラドールも、ちまっちました料理(お皿にソースで絵が描いてある系)に変わってしまったようですね。
 懐かしいのでここは寄りたかったのですが、料理の写真を見てやめにしました…



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 いかにも「子供たちが期待するお城!」という飾りつけ、かわいいです。
 白熱灯ならもっと雰囲気出ると思うけど。



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 オロペサという地名の語源を描いたお皿。
 あるときモーロ人が、捕虜にした耶蘇の娘の身代金として、彼女の体重と同じだけの金塊を要求した、という故事に基づいているとか…
 すなわち、Pesa oro、金をはかる、でオロペサ。これぜったい後付け話ですね…



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 このお城も、中に入ると冷えびえとしています。外の熱気がうそのようです。そしてこの石階段!
 四つあった塔のうち、二つ残っているそうですが、二つだけで良かったです。
 宿六は塔も階段も、ありったけ登りたがりますから。



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Torre de homenaje(天守にあたる高塔)からの眺め。



 ぱーーーっと開けた風景が、とても気持ちいいです。
 しかし、わがペルーとの因縁はまことに深いお城で、第五代ペルー副王フランシスコ・デ・トレドが生まれたのは、ここだったそうです、ああ知らなきゃ良かった…


 私はヨーロッパの中だけならスペイン贔屓ですが、タワンティンスーユ(インカ帝国)対スペインということになったら、そりゃあもちろんインカ側。
 その視点からすると、副王トレドは実にいやな男です、インカ帝国というものの身体にも魂にも、グサっととどめを刺した、もしくは刺そうとした奴ですから。
 ただ、たいへんな働き者だったのは、認めないとならないでしょう。だからこそもっと迷惑だったわけですが。


 なぜかペルーは、トレドという人物が上に立つとろくなことがないようです。
 21世紀のほうのトレドは、盗み以外はとりたてて何もしなかったので、まだマシでしたが。



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 変な連中のことを思い出してしまったので、愉快なコウノトリを眺めて気分を変えましょう!
 隣の教会は、コウノトリの集合住宅化しています。おみごと!
 巣が安定するように、金属製の枠がとりつけてあるんですね、みなさんコウノトリほんと好きなのね。



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 こちらにも、うじゃうじゃいますが…
 となりの電波塔?の巣は、見ているとちょっと不安になってきます。頭の良さそうな鳥だから、ちゃんと固定してるかな?



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グレドス山脈を背景に、悠々と舞うコウノトリ。


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 それにしても暑いです!
 思えば、こうしてまだ色の残っているアザミを見たのは、ここが最後でしたね…



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 一時間ほどゆっくりお城を見物して、満足して外に出ると…あ、また出た、副王トレド!
 地元では出世頭のひとりなんでしょうから、しかたないですよね…
 ここは副王トレドが建造を指示し、のちに葬られたイエズス会の元教会。
 18世紀のイエズス会迫害時に閉鎖されたため、遺骸は別の教会に改葬された由。



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 隣のイエズス会神学校も、完全に廃墟となっています。スペインの蒼穹には、廃墟が実によく似合います。


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 暑さでふらふらしてきたので、目に入ったレストランにぱっと入ります。
 まず、漬け込み焼きしたうずら入りサラダ。
 皮のかっちりした懐かしいパンが出てきました、5ミリ四方ほどだけ味見しました。



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 イベリコ豚のセクレト(secreto ibe'rico)とは、ウェイトレスさんの説明では、「脂の乗りぐあいが、多すぎず少なすぎず、絶妙な部位」だそうです。
 たしかにえもいわれずしっとりとして、とてもおいしいです、動物性脂肪ばんざい!
 ウェイトレスさんには三歳の息子さんがいて、「今日は何が食べたい?」と聞くと、そっと指を口にあてて、「ひみつ(セクレト)」のポーズをとるそうです。かわいいなあ。


 2040年代には、スペインが日本を押しのけ最長寿国となる、という説があるそうですが、たしかにこういうものを小さいころから食べていたら、寿命伸びますよね。(なお左と同じようなサラダがついているのは、コックさんのセンスの問題ではなく、ジャガイモフライを野菜にかえてもらったからです)


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 これから日盛りのドライブが待っているので、デザートは果物にしておきました。じゅうぶんすぎるほど甘かったですけど。
 オレンジはやはり、ペルーのはまだスペイン産の足元にも及びません。



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 もうすぐ四時。
 コウノトリの親御さんも、かわいいひなの近くにいたくないほど暑いもよう。



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 さあていよいよ、エストレマドゥーラを目指します。
 西日にもろに顔を向けての道中、なかなかしんどいです。
 進むほどに声が出ないほど暑くなってきました。ラジオでは38℃とか言ってますから、日なたはゆうに40℃越えでしょう。
 なにもこんな季節に、特別に暑い地方に行かなくても…と、早くもちょっと後悔気味…



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 ああでも、暑さも寒さも詰めの甘いリマの気候に、私はもう飽き飽きなのですから、暑いときこそ一番暑いところへ、寒いときには一番寒いところへ行くべきですね。気を取り直して再出発。


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 一時間ほどでトルヒーヨ到着。32年?前も、同じ道をY子さん運転のフォード・エスコートで辿ったのですよね。
 (最初二回のスペインは団体ツアーで、三回目がエストレマドゥーラ自動車旅行。当時は私も勇敢?だったなあ…)
 でも今は懐かしいトルヒーヨには寄らず、このまま郊外の民泊を探しに行きます。



MADRON~ERA


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 トルヒーヨのだいたい東方向にある、マドロニェラという集落へ向かいます。
 道ばたの燕麦の茂みが、日光で漂白されてものすごい金色に輝いています。眩しいったらありません。



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 マドロニェラの集落も素通りし、そこからさらに細い道を7キロほど進みます。
 車も人もまったく見かけず、すでにスマホの電波も切れ切れで、じわりじわりと不安になってきます…


 とつぜん前方に、長い角をもつ動物があらわれました。
 野生の山羊かも!…と期待しましたが、ざんねん放牧のおフランス山羊でした。
 このへん一帯は、野生&放牧の動物が、どちらもとても多いそうです。



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 スマホに頼らず、よく下調べしておいたおかげで、無事に今日のお宿の入り口までたどり着きました。良かった!
 するとすぐ下の藪から、家主のFさんが出てきます。
 オロペサを出るとき連絡しておいたので、「そろそろ着くだろう」と待っていてくれたそうです。
 とても話のしやすい、たいへん感じの良い人です。



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 門を入って、さらに300メートルほど車で下ります。
 やっぱり家は、門から車でしばらく走る、くらいでないとねえ!いいですねえ。



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 さてこちらが、本日から五泊するお宿。いちばん楽しみにしていた民泊です。
 敷地はにゃんと、ざっと40ヘクタール近く!あるとか。もはや想像もつきませんが、見渡すかぎり、らしいです。
 左の赤屋根が家主さんの別荘で、右のおうちが民泊用に貸し出されています。



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 周囲はroble(カシワの仲間)の明るい林ですが、二軒の家のまわりだけは、イトスギやいろいろな花を植えて、庭らしく作ってあります。
 そしてお宿の玄関前は、こんなふうに居心地良さそうに飾られています。
 いろいろな椅子が二脚ずつ、あちこちに置いてあり、これだけでも家主さん夫妻の心くばりがわかります。



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 元は納屋だった建物を改装したそうで、平たい石をぎっしりと積み重ねた厚い壁が、古風でとても魅力的です。


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 中に入ると天井が意外に高く、ひんやり爽やかでほっとします。
 ぜんぶで80平方メートルくらいでしょうか、居間兼食堂もじゅうぶん広く、窓も多くて明るいです。
 中央には、薪ストーブがどんと据えてあります。



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 室内にも、あちこちに椅子やソファが置いてあります。
 ここは書き物机の一角。引き出しを覗くと、周辺の名所のパンフレットや地図が山ほどそろえてあります。Fさんあなたはもしかして日本人?!



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 寝室は、大きな立派なタンスが壁二面を占めており、長期滞在しても大丈夫そうです。
 (お客さんの大半は北欧から鳥の観察にやってきて、数週間から一か月ほども長逗留するそうです)
 こまごまとした飾り物も、くどすぎず寂しすぎず、ちょうどよい感じに配されています。たぶん奥さんの趣味ですね。


 その奥さんはお昼寝中だったので、しばらくしてから出てみえましたが、とてもさっぱりと親しみやすい雰囲気の人です。
 私の渾身のスペイン語ジョークも、すぐわかって笑って下さる二人で、ああよかった…



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 洗面所も広々としています。
 シャワーはカーテンがなくて、ちょっとすーすーしそうですが、今の気候なら大丈夫でしょう。



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こういう窓辺の飾りつけが、なんとも心楽しいです。
いやーこの民泊は、大当たりですね!



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 台所はうっかり写し忘れましたが、調理台、湯わかし、水回り、ぜーんぶ新品のピカピカで揃っていて、食器も紙ナプキンも何もかもじゅうぶんにあります。
 家主さん夫妻は、ものすごくよく気のつく人たちに違いありません。


 唯一なかったのがお茶用ポット。
 奥さんは北部サンセバスティアン生まれのおフランス育ちだそうですが、紅茶は「誇張ではなく飲んだことがない」とか。



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 調味料もたくさんあります。
 玉ねぎとニンニクが置いてあるのは、さすがスペイン。基本、ということですね。


 冷蔵庫もあけてびっくり、ミルクや大量のビール(奥さんビール派だそうです)、ビン入りのおつまみ類が詰まっています。
 それにいちばん嬉しいのが、ガソリン入れのような大きなミネラルウォーターが、二本も置いてあったこと。
 このへんの水道水は、湧き水を引いていて良質だそうですが、「念のため外国の方にはお勧めしたくないので」、とのお気遣いです。
 いやはや、初めて会う人たちに、こんなに親切にしていただけるとは。


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間取りは、おおよそこんな感じかな?


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 電力はすべて、この太陽光発電板で賄っているそうです。
 滞在中何も問題ありませんでしたが(あれだけ日が照ればね…)、ドライヤーだけは使わないでね、とのことでした。


 電気が引かれていないのも当然で、周囲には人家はまったくありません。
 でも、隣に家主さんがいるから安心、と思っていたのですが…
 いつも週末だけみえるそうで、今日はもうマドリードに帰ってしまうとのこと。あら、そうなんだ!


 「泥棒なんか聞いたこともないので、どうぞ安心してください。ときどき庭師さんも見回りに来ますし。
 でも万一にも何かあったときは(例えば野生の巨大なシカが門にはさまって動けなくなっている、とか…)、上の道路まで出れば、電話が通じる…こともあります」
 …これはもう覚悟を決めて、めったに経験できない静けさを楽しんだほうがよさそうですね。



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「むこうの山の上まで敷地内」だそうです


 動物は本当に多いそうです。
 放牧や野生の動物が庭を荒らさないように、あちこちにある門は、閉めてあるところは閉めておき、開いているところは開けておく。
 それだけが、この家を借りる上での規則だそうです。


 マドリードに戻る前に、奥さんが手作りのトルティーリャを、旦那さんは赤ワインを一本下さいました。
 幸い私たちはアルパカのぬいぐるみを持ってきていたので、小さな息子さんに進呈すると、「ぼくの弟ができた!」と喜んでくれました。


 「ではこの家も敷地も、ぜーんぶあなたたちのものです、歩き回って楽しんでください!
 次はマドリードで会いましょう!」
 そう言い残すと、三人は仲良くセアット車で去ってゆきました。
 すぐに車の音も聞こえなくなり、あたりはしーん…と静まり返ります。ここまで人気のないところで過ごすのは、もしかしたら人生初かもしれません。



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 さっそくお言葉に甘えて、敷地内の探検です。
 最初に目についたのがこの灌木。イチゴノキ(マドローニョ)です。マドロニェラの地名は、明らかにこれから来ていますね。



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 周囲の草地はおおむね乾燥していますが、家のまわりは水まきもしているらしく、花が咲いて蝶も少し来ています。
 ラベンダーに夢中になっているのは
スペインヒョウモン(Issoria lathonia)。

 成虫が見られるのは、6月から8月までの間だけだそうです。


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 こちらは、Aricia artaxerxesというヒメシジミのようです。
 やはり6月から8月までしか見られないそうです。地中海性気候はなかなか厳しそうですものね。
 うちの庭の蝶などは、大抵7、8か月は飛びまわっていますから(シロチョウに至っては通年滞在)、遠い旅先で、改めてパチャカマックの豊かさに気づいたりもしますね…



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 この蝶々、おもては黒地に赤い模様なんですね。ぱっと開いたところが見たいなあ。


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 ジャノメチョウの、たぶんHyponephele lupinus?それともHyponephele lycaon?
 地味な美しさが、ラベンダーに良く映えています。



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 ガサガサっと低いところで音がして、大きな緑のトカゲが出てきました!(たぶんTimon lepidus)
 きれいな色ですねえ!尾の先までは見えませんが、60センチくらいはありそうです。
 スペイン、ポルトガル、フランス、イタリアに分布するトカゲで、このへんでは lagarto ocelado(ブチ模様のトカゲ)と呼ぶようです。


 (和名はホウセキカナヘビで、ペットショップサイトにも載ってました、やれやれ日本はこれだから…)


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 頂上まで敷地内!という向かいの山に、ぶらぶら登っていくと、すでにだいぶおうちが遠くなっています。

 イベリア半島南西部には、「dehesa」という放牧地が広がっています。もともと深い森だったところを、レコンキスタ後に徐々に開墾し、放牧に向く土地に変えていった結果が、dehesaだそうです。
 いちばん多いのは、コルクガシやセイヨウヒイラギガシの林で、イベリコ豚を放牧しているdehesa。
 でもこのへんはちょっと特殊な、「dehesa boyal de roble(カシワ林の牛放牧地)」に分類されるようです。



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 斜面の上のほうに、少しだけ野生のラベンダーが咲き残っています。
 4月ごろまでは、敷地内に小川も流れていて(いいですねえ!)、さまざまな花が咲き乱れていたそうですが、ここしばらくの暑熱で一気に枯れてしまったと、さっきご主人が話していました。
 やはり次回か次々回のスペインは、春の花の季節でしょうか、宿六君よ?



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 敷地内の木は、ほとんどすべてがroble(カシワの仲間)。
 そこらじゅうで、実生の若木も育っています。こうしてたえまなく更新されていくのですね。


 とても気持ちの良いところですが、植生は(花の少ない今は特に)単調で、ひととおり見たら満足しました。
 だいぶ日も傾いて涼しくなってきたので、おうちに引き返します。もう夜9時ですし。



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 あとはこの気持ちよさそうなテラスで、日暮れまでのんびりすることにしましょう。


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 今日はお宿に荷物を置いたら、いったんトルヒーヨまで戻って、スーパーで買い物しようと思っていました。
 でも冷蔵庫にはいろいろ入っているし、奥さんがトルティーリャまで下さったので、今夜はこれでじゅうぶんです。長い一日だったので、出かけないでのんびりできて大助かりです。


 古典的なジャガイモと卵だけのトルティーリャは、ルエダのワインによく合います。
 食器も色合いがすてきで、いっそうおいしく思えます。
 とっぷり暗くなるまで、四方から聞こえてくるカウベルの音を聞きながら、ゆっくりと過ごしました。



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es020619-74.jpg 居間には隅々にろうそくが置いてあり、それもまた嬉しいご親切。テレビがないのもいいですね。

 今日はとびきり楽しい一日でした。親切な人ばかりに会い、お城も見て、花や蝶や初めて見る虫や、トカゲにも会いました。そうそうオロペサでは、猫もいっぴき見ました。

 夜更けて風が吹き始めると、ときどき屋根に、バラバラっと木の実が落ちる音がします。
 真夜中をすぎても明け方になっても、ふと目覚めると、いつもカランカランカラン…とカウベルが鳴っているのが、とても不思議でした。



<旅はつづく>



2019年6月3日(月) トルヒーヨ (2020年4月30日更新)
<あてがはずれた?トルヒーヨ>



MADRON~ERA


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今日も暑い一日となりそうですー


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 小鳥の声しか聞こえないお宿で、すっきりと目を覚ましました。
 昨晩はカラカラに乾いていた庭の芝草も、明け方の涼しさで、すこし息を吹き返したようです。
 しおれていた小菊(Tolpis barbata)も、みずみずしい花びらを太陽に向けています(…またすぐしおれると思いますが)


 今日はのんびり隣町トルヒーヨを見物する予定なので、まずいコーヒーをゆっくり飲んでから(ここで飲むと多少マシに感じます)、ぼちぼち出かけることにいたしましょう。


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 山羊しかいない山道を走り、マドロニェラ村に入ったところに、オリーブがたくさん植えられた売地があります。気になるなあ。
 買える買えない以前に、ここに土地を持っても困るだけとわかっています…が、良い感じの斜面ですよね。この古木の数本だけでも、持って帰りたい…


 などと妄想しつつ、まもなくトルヒーヨ着。
 先に結論を書いてしまいますと、今日は大いにあてがはずれました!



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岩山の上に広がるトルヒーヨの町は
遠くからでもよく見えます
(マドロニェラの展望台から)


 32?年前のトルヒーヨは、私が見た限りでは、たいそうな田舎町でした。
 食事はパラドールの食堂か、そうでなければそのへんの定食屋でとるほかなく、閑散とした町を歩いていると、質素な身なりの子供たちがわーっと走り出てきて、「写真とってとって!」といつまでもつきまとい、それを黒づくめのおばあさんたちが笑って見ている…というのが当時の印象です。
 その数年後に旅行した大インフレ時代のペルーと、ほとんど変わらないほどの田舎度感でした。



TRUJILLO


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トルヒーヨの広場。
インカの金銀で建てられた
数々の館に囲まれた広場です


 経済危機のペルーを逃れ、東京までやって来た宿六と知り合ったとき、いつかあの田舎町トルヒーヨを見せたい、と思いました。
 ペルーを「建国」したのは、トルヒーヨ出身のフランシスコ・ピサロだから、というのはもちろんあります。
 でも、ピサロにしても宿六にしても、要は故国で食い詰めて新天地を目指した、という共通点があることもおもしろく感じていました。(人のことを笑っていたら、自分もまた同じ道を辿ることとなったのはご存じのとおり)


 そしてトルヒーヨを歩きながら、
 「このド田舎(失礼)からやってきた野蛮人たち(失礼)が、タワンティンスーユをぶちこわし、ペルーという問題山積の国の基礎を作ったものの、結局トルヒーヨには何も残らず、こうしてただ古い館しかない、さみしいさみしい田舎に戻ってしまったわけよ」
 などという話を偉そうに語って聞かせよう、と思っていました。


 ところが!
 今日見たトルヒーヨは、とても魅力的な観光地と「なってしまって」いたのでした!
 すみずみまで美しく維持され、ほうぼうのきれいなレストランでは若者たちが熱心に働き、おかげさまで楽しい散策となりましたが、でもなんとなーく肩透かしをくったような妙な感覚が、ちょっと残りました…



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サンティアゴ門
PUERTA DE SANTIAGO


 サンティアゴ門を通って、城壁の内側へ入ります。
 ペルーから金銀を盗んでくる前は(…しつこい?)、現在のごりっぱな広場ではなく、狭い城壁内にトルヒーヨの中心があったそうです。



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 このサンティアゴ門の左手にある、要塞を兼ねたチャベス一族の館。(この写真では庭と建物の一部だけ見えています、現在は学校になっています)。

 ここは、カトリック両王の定宿だったそうです。
 当時のトルヒーヨは、カセレス、メリダ、モンタンチェス(いずれも後日訪ねます)へと続く交通の要衝だったため、カトリック両王もたびたび当地に来ており、この館では少なくとも五回、長期滞在したようです。


 (左は、5本の鍵を描いたチャベス家の紋章)


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フェルナンド王の銘、Tanto montaが描かれた天井板絵
(サラゴサ、アルハフェリア宮殿)


 また、フェルナンド王が座右の銘Tanto montaを思いついたのも、このチャベス家の館でのことだった…と聞きましたが、本当かどうかはわかりません。
 トルヒーヨ市内限定説かも?しれません。


 でもいずれにしても、まちがいなくカトリック両王は、幾度となくこのサンティアゴ門を通って、城壁の内外を行き来したことでしょう。


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 インカの金銀で建てられた石壁に、南米原産オシロイバナがとりついています。


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 なんにもないフランシスコ・ピサロ博物館。
 インカ帝国「征服者」であるピサロ一族の、父親の生家だそうです。



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 玄関に掲げられたピサロ一族の紋章。
 さいしょ私には、二頭の豚が木に取りついているように見えて、貪欲なあの一族にはぴったり…などと思ってしまいましたが(豚さんに失礼か?)、ほんとは熊なのだそうで。どうしても熊には見えないけど…



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 小さな中庭の、ブーゲンビリアとピンクのランタナ。ここは南米出身者に征服されてます。


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 博物館とは名ばかり、インカ帝国関連の展示もたいへんさみしいものでした。
 お隣のこのおうちのほうが、ずっとすてきです。秋になってこの蔦が紅葉したら、きれいでしょうね。



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 さらにその隣の門もいいな…
 エストレマドゥーラ地方は、こういう昔ながらの鉄細工で有名です。
 ずいぶん前からこういう星型の鋲を探していますが、果たしてリマには今でも鍛冶屋さんが存在するのでしょうか??
 むしろスペインで注文したほうが早そうですね…



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 トルヒーヨ市が載っかった岩山のいちばん上、城砦跡に向かってぷらぷら坂を上っていきます。
 ここははっきり覚えています、小学校同級生のY子さんと、10月の明るい日にここを歩き、ちょうどこのあたりで写真を撮ったのですよね。こちらに振り返っているY子さんの姿が目に浮かぶようです。
 そして坂のむこうに見えているのが、例によって例のごとく、イスラム時代まで遡る城砦です。


 1474年5月12日。イサベルと姪のフアナ・ラ・ベルトラネハがカスティーリャ王位を争った、不幸な継承戦争のさなか。
 フアナはここトルヒーヨの城砦で、ポルトガル王アフォンソと会見、結婚契約書にサインし、月末にプラセンシアで結婚することとなりました。
 二人は実の伯父と姪である上に(まあこの戦争じたい親戚同士のいざこざでしたが)、アフォンソはもう43歳(当時の感覚では立派な爺さん)、フアナはまだ13歳。
 政略結婚にしても無理のありすぎるお話です。


 当然ながらアフォンソは、この結婚を口実にカスティーリャ王国併呑をもくろんでいたわけですが、いろいろあったあとで(全部省略)、結果的にはイサベル・フェルナンド軍に敗北。


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 1479年に平和条約が結ばれ、カトリック両王の長女イサベル(当時9歳)とアフォンソの孫(ポルトガル王位継承者、当時4歳)の間に婚約が結ばれます。(その結婚もまた、若き夫の急逝で悲劇に終ります…)

 いっぽう、もはや不要となったフアナと伯父の結婚は、教皇により都合よく無効とされます。
 そしてフアナは、カトリック両王の長男との結婚話を蹴って、ポルトガルの修道院で1530年(68歳)までの長い余生を、頑なにYo la Reinaと署名しつづけて全うした、というのは皆さまご存じの通り。


 ポルトガル王室にしてみれば、フアナは生きている限り、「もしかしてもしかするとカスティーリャ王国併呑の切り札となる可能性のある重要人物」であり、それだけに手厚い待遇を受け続けたようです。

 また、1504年にイサベル女王が亡くなり、やもめとなってカスティーリャ王位を失ったフェルナンド(当時52歳)が、なんと修道院のフアナ(当時42歳)に求婚した、という伝説まであるそうです。
 フェルナンド王にしてみたら、あの憎たらしい婿フェリーペ美公と、その背後のハプスブルク家との対抗上、あらゆる手段を考える中で浮上した一案、と思うと、少し気持ちもわかるような気もします。
 もちろんフアナは拒絶したそうです。それもまた伝説にすぎませんが、史実だったとしても当然断ったことでしょう。



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 きれいに整備された城砦跡。
 むかしは特に入り口もなく、勝手に入って、崩れ落ちた石のあいだを歩き回った覚えがあるのですが…
 古城や遺跡は、直せば直すほど魔力を失い、魅力が目減りしてしまうのは、やむをえないことですね。



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 でも城砦からの眺めは、今も昔も大昔も、さほど変わっていないはず。
 ここで爺さん婿の到着を待ったラ・ベルトラネハの、心のうちはいかに?



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 いっぽう町の南側には、新しい街並みが広がっています。
 (あとで新市街にある洗濯屋さんとスーパーマーケットに寄らなくては…)



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 ご近所を少し覗き見。(高いところに登るとつい…)
 屋上に作られた、小さな秘密の花園。ヨーロッパ人はたしかにこういうの上手ですよね。
 夏の夕べにここでワイン、か〜



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 段差のある土地に作られた家、いいですねえ。
 糸杉とプールの配置が絶妙です。



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 さきほどピサロの家近くで見た、星型の鋲を打った門の内側が、どうもここのようです。
 たいそうご立派ですが、個人宅なのかしらん?
 お城の目の前で、高台にあって見晴らしもよく、すばらしい住み心地でしょうね。



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 人けのないお城に、とてもよく似合うカラスたち。


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 目がきれいな水色で、首すじは濃い灰色です。ニシコクマルガラスでしょうか?
 こういう鳥、庭にいてほしいなあ。



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 さきほどから気になっているのが、お城の石壁の、うんと高いところに根を下ろしたイチジク。


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 ほら、こちらにも!
 幹もしっかり太く育っています。よくまあこんなところで…



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 城砦の広場で、親御さんと思われる木を見つけました。


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 イチジクってこんなに大きくなるのですね。
 しかしこの木から、まさかタネが飛んで行った…はずもなく、どうやって石壁までたどり着いたのでしょう?
 …あっそうか、運び屋さんは、イチジクの甘い実をついばんだ小鳥ですね!



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 大きなイチジクの木のまわりには、ローマ時代の石板がたくさん飾られています。
 うーーーー、こういうの一枚ほしい…



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 午後1時。今日も37,38℃くらいまで上がってきたようです。
 遮るもののない城砦を歩いて、こちらはミイラになりかけていますが、アゲハ蝶はとても元気そう。



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 スペインはキョウチクトウ(この名前なんとかならんか…アデルファのほうがずっといいですね)、本当に多いです。
 めまいがしそうなほど咲き乱れています。となりのオレンジもみごと。
 いやーほんとに私はスペインにいるのだなあ!



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 先日マドリードで、「今年は1月と5月と、二回もマグノリアの開花を見ました」とお話ししましたが、その後12月に、また家で咲きました。
 なので結果的に、マグノリアの開花に三回も巡りあえた豪勢な年となりました。


 でもいちばん薫り高かったのが、このトルヒージョのマグノリアです。
 だれかが盛大に香水をこぼしたか?と思うほど、甘い香りであたりを満たしていました。
 乾ききった空気のせいかもしれません。



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 ちょっとでも早く日陰に入りたい一心で、目の前に出てきたレストランに飛び込みます。


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冷えた炭酸水が超おいしい!
(ペルーでの癖でagua mineral heladaと注文するたびに、
ちょっと変な顔をされます(笑)
こちらではagua mineral friaなんですね…)



 ウェイターさんのメニュー解説は、ここは日本か?と思うほど懇切丁寧です。
 レストランに限らず、どこを見学するときも、みなさんたいへん親切でにこやかで…
 ううーーーん、どうも昔のスペインの印象とちがうなあ…
 別に以前スペインでいやな思いをしたわけでは、まったくないのですが、なんというか、もっとあっさりサバサバとした印象だったのですよね。



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 まず鉄板焼きの野菜。
 右のトマトとアスパラガスの次の、野草風のcardillo(ウェイターさん言葉に詰まって、「よくそのへんに生えてる草」と…)がおいしくて、大いに気に入りました。



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 後日マドリードの王立植物園で、生前のお姿を確認できました。
 まさに雑草系ですね。ペルー生活でいちばん不足しているのが、この手の野性味のある野菜かも。
 (前は庭に勝手に生える菜の花が楽しみでしたが、そういえば2019年の春は、ついに一本も見ず…犯人はアのつくあの方々に違いない…)



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 ternera retinto(というのは部位の名称のようです)の炭焼き。
 子牛にしてはちょっと固いものの(というかスペインの子牛は固いものなのかも)、炭の香りが良くてとてもおいしいです。
 粗塩のききぐあいもたまりません。



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 デザートはちょっと注文失敗。
 白いチーズにブルーベリーソース…おいしいですし、ほかにはグルテンぬきデザートはありませんでしたが、うちに一年中ある素材なので…



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 日向に出ると、またぐら〜っとくる暑さです。
 少しでも涼しそうなところへ…と思い、すぐ近くの貯水池albercaへ。


 諸説あるようですが、ここはローマ時代の公衆浴場を、イスラム期に農業用水池に転用したもの、のようです。
 また1930年代までは、公共の水浴び場として使われていたとか。
 近くの三つの泉から水が引かれており、水深は常に6,7メートルを保っているそうです。


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 猛烈な暑さですが、ここだけは少し風が涼しい…ような気がします。
 貯水池の緑色の水の中では、赤い金魚が涼しそうに泳いでいます。



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 小さいわりに、見るべき場所が多いトルヒーヨ。
 でも今日は月曜で、閉館しているところが多く、むしろ助かります…
 おかげで心安らかに、のんびりと散歩できます。暑いけど。



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 壁のむこうのお庭から、たっぷりと咲きこぼれるジャスミン。
 暑さと強い香りとで、気絶しそうになってきました…



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 いい鉄格子ですねえ。
 こういう石作りのお屋敷の中は、こんな午後でもきっとひんやりしているのでしょうね。



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 スペインではこういう扉をよく見かけますが、これ、犬を外で飼ってるおうちには最適かも。
 犬って扉の下半分をカリカリかいて、けっこうぼろぼろにしてくれますもんね。もし飼うときは参考にしようと思います。



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勝利の門
PUERTA DEL TRIUNFO


 1232年にトルヒーヨが最終的に(というのはそれまで取ったり取られたり忙しかったからですが)カトリック側に奪還された際、カトリック軍が嬉しく通った門、だそうです。


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 ここでも南米出身者ががんばっています。なかなかきれいに咲いたハカランダ。


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教会の鐘楼のコウノトリ一家。
手前のコニファー、丸い実満載ですね!



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だーれもいない城壁へ…
暑い暑い暑い…



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 城壁のすぐ内側に、大きな糸杉が並ぶ、風情のある墓地があります。


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 もともと歩哨が立って、あたりを見張るための城壁、見晴らしはすばらしくて当然。
 町の足元に広がるこういう風景は、ピサロの時代から、大して変わっていないのではないでしょうか



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 トルヒーヨのお城を見上げながら、こういう道をゆっくり歩いてみたいですね。
 もちろん今日は無理。秋か春先がいいでしょうね。
 牛たちもあまりの暑さに座り込んでます。



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 雑草の陰で一服中の、涼しい色のルリシジミさん発見。
 北半球ならほぼどこにでもいる蝶、だそうですが、ペルーにはいません。ここで会えて嬉しいです。



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うわ、すごいトカゲ見つけた!



 …と思ったら子供のおもちゃ。
 暑さで頭がくらくらしていたので、けっこう本気で驚きましたー



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 トルヒージョいちばんの名家アルタミラノ一族の、要塞を兼ねた館。
 建設は13世紀にさかのぼるそうです。
 ここでは中米出身者ががんばっています、ウチワサボテンがみごとな繁茂ぶりですが、たぶんメキシコから入ったのでしょうね。



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聖アンドレス門
PUERTA DE SAN ANDRES



 門の上にはカトリック両王の、領土をありったけ描き込んだ、ごてごてしい紋章が刻まれています(右の写真)。

 そして門の奥に見えているのが、さきほどのアルタミラノ家の親戚筋にあたる、エスコバル一族の館(Casa-Fuerte de Los Escobar)。
 ここで1520年ごろ生まれたマリア・デ・エスコバルは、ペルーに初めて小麦を持ち込んだ女性、と言われています。
 (フランシスコ・ピサロの異父兄弟の妻、イネス・ムニョスにその名誉を帰す別説もありますが)



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 マリア・デ・エスコバルは、夫とペルーに渡る際、スペインから容積にしてわずか2リットル余りの小麦を持参したそうです。
 それをリマとカニェーテで、土地を持つ知己に数十グラムずつ配って栽培させたものの、収獲があまりにわずかだったため、最初の三年間は一粒も食べず、すべて蒔いてだいじに増やしたそうです。


 この話を「インカ皇統記」に書いたインカ・ガルシラソは、生地のクスコにいたころ、彼女と面識があったことも記しています。
 なのでどうやらマリアは、さいごはクスコで亡くなったようです。



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広場に戻ってきました。
あいかわらずの暑さに、
揃ってクチバシをあけたコウノトリ一家



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飛び比べをしている?
コウノトリとチョウゲンボウ。
暑いのにあんたたち元気ねえ…



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ペルーで高い輸入品を買うのが
いやになってしまう、
魅惑的な品ぞろえ&お値段!



 ここは、先日家主さんに教わった、良いチーズが買えるというお店。
 夕方の開店時刻までしばらく待ってみましたが、思った通りだれも戻ってきません、こう暑いと期待するだけむだでしょうね。


 そこに通りかかった親切な老婦人、なんでもこの回廊の二階で生まれ育ったそうで、少しまわりの建物の説明などして下さいました。
 その人の服装は、白いブラウスに黒いズボン、そして銀髪を束ねる黒いリボン。
 むかしのエストレマドゥーラ地方では、ほうぼうで黒づくめの老婦人に出会いましたが、今回はまったく見かけません。
 たぶん今日のご婦人のような服装が、現代版老婦人スタイルなのでしょう。



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店先に飾られたパン。楽しい形ですね!
グルテンはだめでも、
パンの文化面は今も大好き。


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安くてたっぷり
モロッコのオレンジジュース
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高くて少ない
スペインのオレンジジュース…



 夕方5時をまわっても、いっこうに涼しくなりません。
 広場のバルで、ちょっと座ってみましたが、石畳からものすごい熱気が上がってきて、休む前よりもっとバテてしまいました。


 しかもこのオレンジジュース…
 なんでスペインのバルのオレンジジュースは、いつもほーんのちょっと、なんでしょう。
 モロッコのオレンジジュースが懐かしいです、あれくらい飲まないと今の脱水状態、とても治りません。



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 広場の宮殿の四隅にべったりとはりついた、カルロス君の双頭の鷲。
 無駄に立派な(失礼)石造りの館群を、外からじっくり眺めようか…とも思いましたが、あんまり暑くてもうどうでもよくなってしまいました。
 それにやっぱりピサロをはじめとする「征服者たち」は、野蛮にすぎて本当には興味が持てません。
 今日はもうこれでじゅうぶんです。



MADRON~ERA



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 新市街のスーパーマーケットでいろいろ買い込み、7時前に「帰宅」。

 スペインに来て、コーヒーのまずさには日々閉口しています。
 バルやレストランで出るのもハズレばかり。そこで今日はスーパーで、一応コロンビア産とあるのを買ってみましたが、やはり良くないほうのコロンビア豆でした…
 次にスペインに来るときは、コーヒーだけはたっぷり持参しなくては。



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 全身に熱がこもってしまったようで、涼しい屋内でもまだフラフラします。
 水ではとてもおさまらないので、スイカを試してみましょう。
 ナイフが入らないほどの固い皮にびっくり。でもあの陽射しを浴びて育つのではしかたないか。



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Salamanquesa comun
(Tarentola mauritanica)


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 冷蔵庫の裏から、かわいい顔の大きなサラマンダー(ヤモリ君)がでてきました。
 イベリア半島ではとてもありふれたヤモリだそうです。頭から尾まで、25センチくらいあったかな?
 代官山の廃屋でも、夜にはよくヤモリが出ましたが、こんな大きいのは初めて見ました。


 暑気あたりの宿六が、しばらく居間で気絶していたあいだ、サラマンダー君もすぐ近くでいっしょに休んでくれました。


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 夜9時。
 まだ明るい庭に気持ちよく座って、向かいの丘の上を歩く牛を眺めながら夕食です。
 家主さんに頂いたワイン、きのうの残りのトルティーリャ、買ってきた生ハム二種とサラダ、マドリードから持ってきたスペルト小麦パン。
 涼しい風も吹いてきて、天国のよう。



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 そして日が暮れると、きゅーっと冷えてきたので、居間の暖炉に火を入れてみます。
 家主さんに教えてもらった通り、まず松ぼっくり三個に火をつけてから、上に薪をのせると、ぼわっと一気に燃え上がります。
 何もかも乾ききっているから、こんなに簡単に燃えつくのですね。
 リマの冬に、えらい苦労をして湿った薪を焚きつけるのとは、大違い。たいへん愉快です。



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 この晩もとうとう朝まで、カウベル(スペイン語ではセンセーロ)の、高低さまざまな柔らかな音が、カランカランカランカラン…と近く遠くに聞こえていました。
 牛たちはどうやら、一晩中休むことなく草を食むようです!


 それではまた明朝!
 予定は未定ながら、たぶんあすはメリダへ行きます。


<旅はつづく>


2019年6月4日(火) カセレス (2020年7月25日更新)
<コウノトリのメッカへ>



MADRON~ERA

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 本日も文句なしの快晴。
 天気予報では「あす水曜から涼しくなります」と言っているので、予定を変更することにしました。
 歩くところが多く、炎天下ではしんどそうなメリダを明日にまわし、今日はこじんまりとしたカセレスへ向かいます。



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今日も、おフランス山羊の
お見送りを受けて出発



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 通りすがりのマドロニェラ町内で、大きな木に巣をかけたコウノトリ一家を見かけました。
 コウノトリって、木に巣を作ることもあるんだ!…と、一瞬感動した私。なんてバカなんでしょう!
 人が高い塔を作り始めるよりずっと前から、コウノトリはいたわけで、こっちが本来の姿ですよね。



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 枝の多い木に巣をかけたほうが、ヒナがおちたとき助かる可能性が高そうですが、でも彼らは明らかに、建築物のほうを好んでいるようです。
 やはりその高さと安定感からでしょうか?



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 カセレスへ向かう途中、Google姐ちゃんに従っていたら、いったん高速道を離れ、二車線のうねうねうねった田舎道に入っていきました。
 現在のスペイン人にはわるいけど、私の頭の中では、やっぱりこういう道こそスペイン!です。むかしこのへんに来たときは、立派なエストレマドゥーラ自動車道もまだなくて、どこへ行ってもこんな感じでした。


 高速道は快適で便利ですが、地元と切り離された感じがあるのはちょっと寂しいですね。


CACERES


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 はっきり言って今日の私は、ぜんぜんテンションあがってません。トルヒーヨにいるんだから、一応カセレスも、初めての宿六のために寄るか、くらいの気分です。
 昔見たカセレス旧市街は、しんしんと冷え込む石畳の上を、黒衣の未亡人だけがぽつりぽつりと歩いている、とにかく生気のない狭苦しい石の町、という印象だったからです。


 でもいま、こうして近づいてくるカセレスを見ると、記憶の中の灰色の町とはまるで違います。
 トルヒーヨ同様、近代化に完全に取り残されたおかげで、古い町並みがそのまま残ったカセレスは、今や観光地として大人気だとか。きっと昔より賑やかな町に変わったのでしょうね。



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 新市街に用はないので、駐車場に車を預けるとすぐ旧市街に入ります。
 写真では暑そうな青空ですが…なんだかひどく寒い!です。
 きのうの猛暑に懲りて、手持ちのいちばん薄い服で来た私は、石畳から立ち上る冷気に、ぶるっ…と身震い。どうも調子が狂うなあ。



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バリサイト(トルコ石に似た鉱物)と
金と水晶の腕輪 3世紀


 カセレス博物館に入ると、少し暖かくてほっとします…
 石器時代から近代の民具まで、雑多なものがとり集められた地方の博物館は、ほんと楽しいです。今のスペインではもう、絵になる古代人や中世人は歩いていないので、


 (…たぶんそこが、ペルーとのいちばんの違いですね、ペルーアンデスには「良い意味で」21世紀とは思えぬ世界がありますから。スペインもオリンピック前までは、確かにそういうところがあったのですが…)

 …もはや私たちと同じ、絵にならない「現代人」ばかりの今のスペインでは、こういう博物館の玉石混淆の収蔵物を眺めて、過去を自分で思い描く必要があります。


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ローマ時代のモザイクも、
ほんとにもうどこにでも
いっくらでもあるんだなー



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 西ゴート王国時代といえばこれ!鷲をかたどったおなじみのブローチ。
 これもあちこちの博物館にあって、当時よっぽど流行ったのですね。



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 もともとは別々の、二つの隣り合った館を占めているこの博物館。展示室の配置が迷路のようで、それだけでも楽しいですが、いちばんすばらしいのが地下に残されたイスラム時代の貯水槽(aljibe)。

 岩をくりぬいた雨水の貯水槽で、天井を支える12本の柱の中には、ローマ時代の建物からちゃっかり持ってきたものもある、という例によって例のごとくのお話ですが、ここは貯水槽としてはスペインでもピカイチに保存が良いそうです。


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 うすら寒い今日、貯水槽の中へ降りていくと、ぞくっとするほど冷えています。
 今も水があるのがまたいいのですが、なぜかプラスティックのパネルが無数に並べてあるのは、興ざめでした…(なんでそんなことするかなー)
 そのパネルを脳内削除しつつ、眺めていて気になったのが、単なる貯水槽にしてはアーチが立派すぎること。


 帰国後調べたところ、2009年の調査で、ここはもともとモスクだったことが、ほぼ確認されたようです。壁に装飾が(それも水に弱い塗料で)ほどこされているのが、本来は貯水槽ではなかったことの、証拠のひとつだとか。
 左の写真でも、今も残る赤や白の塗料が見えますが、たしかに貯水槽の内側に色を塗るのは、意味がなくて変ですよね。



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 さて一気にすっとばして、近代の民具コーナーへ。
 右のrabel(三弦の楽器)は、羊飼いのものだそうです。孤独を好む羊飼いが、野営の手すさびに、焚火のそばで黙々と楽器を作り、ときどき試し弾きなどしてみる情景が目に浮かびます。
 左はヒョウタンを使った楽器。こちらはいかにも飄々とした音が出そうですね、なんとなく。



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 こういうガラス絵は、わがペルーのカハマルカ地方の名産品、ということになっておりますが、やはりもとはスペインだったかー


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 迷路のような博物館内部を、あっちこっち歩きながら、ひょいっと窓外を見ると、そこはもう町はずれ。この「すぐ町が終ってしまうところ」が、たまらなく好きです。
 東京にしてもリマにしても、どこまで行っても味気ない町並みを、ずるずる引きずっていますもんね。



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 1600年までさかのぼるという中庭には、古びた穀物袋が積み上げてあります。


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 見るとどの袋にも、とてもきれいに頭文字が刺繍されています。
 説明書きがなくて、時代も事情もわかりませんが(20世紀前半くらいかな??)、ここまで丁寧な刺繍つきということは、単なる小麦の運搬用ではなかったのかも?しれませんね。


 丁寧に一針一針さしていった女性たちは、その作業を楽しんだのでしょうか、それとも一家の主人の顔をたてるためとか、他家との対抗上とかで、仕方なく良い仕事をしたのでしょうか。


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 同じL・Sさんの袋の中には、穴(かなり大きそう)にあて布をして、おもしろい縫い目で閉じたものもあります。こちらの生き生きした縫い目のほうが、女性たちの本音が、より多く縫い込まれているかもしれません。


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 そういえばさっきの展示室にあった、この男性用シャツの刺繍もみごとでした。
 これも時代はわかりませんが、おそらく手織り布を手縫いして、もちろん刺繍もちくちく手でさしたのですよね…
 (刺繍は、「今生ではやめておこう」と思う趣味の、トップ3くらいに入ります、それくらい憧れております)



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 中庭の隅には、こんな無造作でかわいい展示??もあります。
 ここスペインの乾いた気候なら、小麦粉と水だけで焼いたパンは、何年でも長持ちするのでしょう。


 (湿気の多いリマですら、この手のパンはけっこう長いこと飾っておけます。
 2014年に手に入れたかわいい鳩の飾りパンも、カビひとつ生えず長持ちしましたが、今年2020年にとうとうネズミに齧られました…写真は廃棄前の記念撮影)



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 博物館を出て、レモンの枝が空を覆う小道をプラプラ歩くうちに…


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 すぐに町の端までたどり着き、そこでちょこっと引き返すと、今度はすぐまた新市街へ出てしまいます。
 世界遺産に指定された区域が9ヘクタールと言いますから、狭いのも当然ですね、おおざっぱなところで縦横400m×250mくらいでしょうから。
 スペイン各地の有名な古都は、名高い割にどこもとても小さくて、行くたびに改めて驚きます。
 やはり日本含むアジアは、昔から格段に人口が多かったのでしょうね、米文化と小麦文化の違いでしょうか。



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 火曜は閉館のところが多いので、なんでもないものをのんびり見て歩きましょう。
 このオズボーンの風見牛、すごく欲しい!



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いいなあ、初夏ですねえ!
(今日は寒いけど…)



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 夏休みにはだいぶ早いので、少ない観光客のほとんどが年配の人たちです。
 そのせいかどこの窓口でも、「定年退職者ですか?」と確認されるので、だんだん宿六(54ちゃい)の元気がなくなってきました…
 うちは諸事情から、もうと〜っくに定年のはるか向こうなんだから、別にいいじゃないの?



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 目のさめるようなブーゲンビリア壁。
 リマで見かけるブーゲンビリアは、土壌の栄養が良すぎるせいか?葉っぱがとても多いんですよね。これくらい葉が少ないと、むしろ見栄えがしますね。



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 聖週間のあと、たぶんそのまま色褪せるまで忘れられた棕櫚の枝が、いかにもスペイン!

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 漆喰を削って、海豚模様を浮かび上がらせているのかな?古くはなさそうですがすてきです。


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 八百屋さん。そういえばおなかすいてきました。
 逆に言うと、糖質にうんと気をつけていると、朝はコーヒーだけで午後1時くらいまでヘイチャラです。
 旅先では特に、朝食時間がはぶけると、すぐ動き出せてとてもいいです。


 ちょっといいホテルに泊まって、ちゃんと着替えてお化粧してから朝食をとりに階下に降り、食後はまた部屋に戻ってお化粧を直して、それからいざ観光へ…という旅も昔は好きでしたが、今はそういうのはぜんぶめんどくさくなってしまいました。で、そうなると民泊は理想的なんですよね。
 今は旅行も、思い通りの好きな形が選べるのは、本当に嬉しいことです。



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 火曜も営業している数少ない料理屋の中では、この蔦の絡んだお店がいちばんおもしろそう…と心当てにしていましたが、パーティ貸し切りで入れませんでした。またかい!


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 狭い旧市街では選択肢がないので、次に通りかかった店にすっと入りました。
 右手の風通しの良いテラスに座って、宿六はご機嫌でしたが、私は超寒かったす…



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定食メニューについてきたワイン。
Palacio Quemado(焼けた館)って
名前がいいですね…



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 デザイン性に優れたかわいいパンは、いつものように眺めるだけ。


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きのうのあの雑草系野菜
(cardillo)が載ったサラダ



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白身魚のカルパッチョ


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豚肉料理(部位わすれた)


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豚肉料理(部位わすれた)
ジャガイモフライのかわりに
トマトにしてもらいました



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arroz con leche(お米のミルク煮)と
cuajada con miel(蜂蜜がけミルクゼリー)



 繰り返しになりますが、お砂糖がおいしいのは認めます。でもこのあとグラっとしんどい眠気が来て、お砂糖の害も改めて実感。
 こういう「無茶」は、旅先だけでじゅうぶんです。というかつまり、旅行中は楽しく食べます。



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 ソリス家の館の紋章。Solisさんだから、Sol(太陽)を家紋に選んだのですね。
 その太陽の光条を、八匹の蛇?竜?が齧っています。意味が知りたいのですが、今のところ情報見つからず!



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 カセレスには、ものものしく要塞化された貴族の立派な館が、いくつもあります(互いに狭い町中で、空しい抗争ばかりしていた結果)。
 でも公開しているところが少ない上に、今日は休館ばかりでちょっと残念。唯一、Palacio de Carvajal(カルバハル館)の中庭だけ拝見してきました。


 ここには非常に立派なイチジクの木があり、なんと推定300〜400歳だとか!
 400年前とすると、この木はスペイン黄金期のただなかに芽吹いたのですね…



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 いつも大聖堂や教会は、入るだけで頭痛がするので極力避けていますが…今日はもうほかに寄るところもなく(失礼)、サンタマリア准司教座聖堂へ。
 中でも聖具室は退屈な場所ですが、気になることがあって覗いてみました。


 30年以上前、初めてエストレマドゥーラに来たときは、キンキラキンの悪趣味なお道具類には必ず、「材料の金と銀はペルーなど植民地からもたらされた」と、得意げに書き添えてありました。それが、私がペルーに興味を持つ、いちばんさいしょのきっかけとなりました。

 でも今回は、とうとう一度もそういう説明を見ませんでした。政治的配慮というやつでしょうか?


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コイン式お灯明を見つけて、
大喜びで試す宿六…
教会もお〇〇なら宿六もおバカ



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 おてもやんな聖ルシア像。
 殉教時にえぐられた目玉を載せたお盆に、どうぞお賽銭を!…という次第。やっぱカトリックにはついてけん。



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 と言いつつ、さいごに鐘楼に登ります。
 私はぜんぜん登りたくなかったのですが、宿六の希望です。これほど狭い石階段好きな人とは知らなかった。インカ関係者のせいか、石の建造物には弱いようです。



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 でも登って結局は良かったんですよね、急にスマホの接続がよくなったので!
 下界では、友人あての写真つきメッセージがどうしても送れなかったのですが、塔の上からはおもしろいようにビュンビュンと、まるで吹きさらしの風に乗ったかのように飛んでいきます、実に爽快です。
 トルヒーヨもカセレスもみっしりと石造り過ぎて、電波すら通過できないのかもしれませんね。



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 やっぱりこういうスペインは好きだなあ。なんかわけもなく悔しい気もしますが…


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 良い気分で風に吹かれておりましたが、半端な時刻に、とつぜん頭上で鐘が鳴り始め、死ぬほど驚くというおまけつき。でした。


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眼下のおうちの、
瓦のあいだの
落ち着けそうなミニテラス



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 いい感じに古びた准司教座聖堂の戸板(ここまで風雨ですり減るには、かなり年月がかかったはず)と、貝殻型のすてきな鍵。


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旧市街への入り口
Arco de la Estrella


 例の15世紀の継承戦争当時、カセレスはベルトラネハ派が主流だったので、おそらくこの町では、イサベル女王もあまり人気はないでしょうね。意趣返しに、ベルトラネハ派の貴族所有の塔を、ぐっと低くさせたりしていますから。
 中世の塔は、エゴの象徴みたいなものですから、女王に取り壊しを命ぜられたほうは、さぞ不愉快だったろうと思います。


 とはいえ、カセレスが長の年月享受してきた地方特権(フエロ)までは、イサベルも手をつけられなかったのか、継承戦争末期の1477年と78年、イサベルとフェルナンドのそれぞれが、この門の前で地方特権を再確認する儀式を行ったそうです。
 門じたいは18世紀の再建ながら、場所はまさにここ、ということです。



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 新市街のお店を覗きながら、駐車場へ向かいます。
 タイル看板の中で、コウノトリが舞い、樫の木の下ではイベリコ豚がドングリを食べています。



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しかし本当にお土産品って、
グルテンと糖質ばっかり…



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 ドングリビールもありますね。
 これはちょっと気になるけど…グルテンフリーじゃないからやめときましょう。



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 こちらのドングリ食後酒も気になりますが…おそらく甘すぎて飲みきれないでしょうね。


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やはり私たちは、こっち派!


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 名物だという柔らかな羊のチーズ(かなり香り高そう!)と生ハム少々を買って、満足。


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こちらでも空を舞うコウノトリ


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 巣の中に、工具をいろいろ仕込んだコウノトリ。
 金物屋さんのタイル看板です。



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 このコウノトリ・ドーム、物悲しさが好きでちょっとほしかったのですが、例によってしばらく待っても、お店の人は戻ってこず…
 下にはドングリもくっついてますね。



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 カセレスの人たちは、ドングリとコウノトリとサクランボにアイデンティティを見出している?ようですね???


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駐車場前のお土産屋さんも
ザ・コウノトリ屋



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 トルヒーヨに引き返す前に、もう少し西へ向かいます。
 ポルトガルが近いなあ!ポルトガルにも、ちらっと寄ることにしとけば良かったなあ。



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 プラテーロ君に、このままあっちへ行けばいいよ、と教えられ…

MALPARTIDA
DE
CACERES


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 着いたところがコウノトリ池。
 それぞれの長い柱の上で、みなさん鋭意営巣中。なんとも奇妙な光景です。



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 もともとコウノトリの繁殖地だったところに、もっと殖えるように…と柱を立ててあげたようですね。


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 コウノトリがたくさんいて、カタカタカタ……という嘴の音も絶え間なく聞こえて、とても嬉しいのですが…
 雲行きがあやしくなってきて、ますます寒いです。



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 コウノトリはいつも屋根の上にいるので、どうしても水鳥とは思えなかったのですが、こうしてみると、確かに水鳥。
 納得できました。ここに来てよかった。



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 ほかの水鳥もいますが、コウノトリ集合住宅の変な迫力の前には、すっかりかすんでしまいます。


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 いやーー実に妙なところでした。
 すぐそばのバルエコス自然公園の中を少し歩けば、岩の上で営巣するコウノトリも見られるそうです。
 行きたいような気もしましたが、そっちには妙な現代アートがたくさんあるそうなので、遠慮することにしました…というよりも寒すぎるので、もう帰ります。



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 感じの良い田舎道を引き返し…


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 …高速道に出る手前に、またありました、コウノトリ住宅!
 ほんとみなさん、コウノトリ好きねえ。
 私ももし、コウノトリ飛来域に住む幸運に恵まれたら、ぜひ庭にこれを数本立てたいです。コウノトリのために塔を建てるよりは、経済的と思いますし。



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 カセレスの名産品トラック。
 (店名のEL CABRON、ペルーだったらちょっと強烈すぎますね……)



CACERES


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 カセレスの見納め。ここはたぶん今生では、もう来ないかな?
 キョウチクトウが良い額縁になってくれました。



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 さっき博物館から見たまんまで、町の足元にはもうオリーブ畑があって、「郊外」の雰囲気いっぱいです。


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 いつものように、少し覗きを…
 こういう作りの小さな家を、海の前に建ててみたいなあ。



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 その隣の家もすてきです。壁のピンクが絶妙。


MADRON~ERA

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 ミルクゼリーのお砂糖効果でクラクラしながら、戻ってきました。


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 こちらでも今日は涼しかったようです、庭の小花がみなみずみずしいままです。


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 お砂糖のとりすぎによる眠気(血糖値急上昇→急降下)には、とりあえずまた糖分をとるのがいちばん手っ取り早いので(お勧めはしませんが)、おいしいオレンジとヨーグルトでひとやすみ。

 …が、びっくりするほど近くからセンセーロ(カウベル)の音が響いてきたので、すぐまた飛び出します。
 あとで家主さんに聞いた話。この敷地内に来る牛は、近所の人が預かっているアビラの牛なのだそうです。(そうです、先日アビラで食べた、あのおいしいステーキのもと、です)



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 今いるのは、十数頭の小さな群れで、ボス格の二頭だけがカウベルをぶらさげているそうです。
 そのわりには、ずいぶん大きな音に聞こえますけれど。よほど響きの良いカウベルなんですね。


 この季節、夏枯れのアビラでは牧草が足りず、業者がトラックで連れてきて放牧する由です。でもお隣の敷地だけではまだ足りないと聞いて、それで自分の敷地も貸すことにしたそうです。
 牛たちが枯れた草を食べてくれれば、野火予防になる上、一日中カウベルの音が聞こえて心が安らぐので、大いに気に入っているそうです。



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すぐそこに立派なアビラの牛さんが!
(お…おいしそう……)


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 家のまわりをしっかり囲ってあるわけが、よくわかりました。
 こんな大きな牛が庭に入ってきたら、たいへんですもんね。



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 敷地の中には、石を丁寧に積んだ牧童の囲いも残っています。昔は山羊や羊をいれたのでしょうね。


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 牛たちは白茶けた燕麦を、ゆっくりと食んでいます。
 こういう育ち方をした牛は、それはおいしいでしょうねえ…そんな目で見てごめんねアビラの牛さん。



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 ちょうど今日、カセレス博物館で見たカウベルのコレクション。
 牛、羊、山羊、それぞれの大きさに合わせて、各サイズ作られているのですね。うんと小さいのは仔山羊や仔羊用かな?



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 (センセーロのすばらしい響きが忘れがたく、帰宅後アマゾン・スペインで探してみたら、ちゃんと売っておりましたわ!びっくり!(楽器のセンセーロも混ざってますが…)
 ごく小さなものは、犬につける人も多いようです。なるほど良い考え!


 うちではアルパカ用に、山羊&羊サイズのものを二つ取り寄せました。
 でもアルパカたちもアビラの牛同様、夜中でも気が向くと芝を食むので、そのたびにカランカランと音がして私たちが眠れなくなりそうで、結局いまだに試していません。かわりにアルパカにおやつを与えるとき、鳴らして呼ぶのに使って楽しんでいます、カラン…と一鳴らしですっとんできます)



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 おしゃれなアカスジカメムシ君が、夢中でフェンネルにとりついています。


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 きれいな小鳥が、つがいでやってきました、見えるでしょうか?


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 ゴシキヒワ(Carduelis carduelis)のようです。ありふれた鳥だそうですが、私は初めてです。
 アカスジカメムシ君に負けないくらい、おしゃれですね。



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 この晩も、カセレスで買ったチーズや生ハムのおかげで、よくワインがはかどりましたー

 昨晩は、半分遊びで暖炉に火をいれましたが、今日は寒くてほんとに火の気が必要です。
 洗濯物も、暖炉の前に並べて休みます。朝にはきれいに乾いて、良い薪の香りもついていることでしょう。
 おやすみなさい!


<旅はつづく>


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