ときどき、そんなふうにたずねられることがあります。 私のお返事はこうです、
なぜなら、このサイトにあるペルーは、日本人である私の目を通して見た、あくまで「私好みのペルー」だからです。 もちろん、うそは一度も(たぶん)書いたことがありません。でも私は人並み以上に、自分が見たいものしか見ない名人です。 ペルーはもちろん、無数の深刻な問題を抱えている国です。 たとえば、リマで広がりつづけるスラム街。 政治的・経済的・知的指導者層の欠如。 根強い人種差別。 貧困層の問題(なにをもって「貧困な生活」と言うか、ということは、アンデスの村の暮らしと「先進国」の暮らしを見比べていると、考え込んでしまうこともありますが)。などなど… ただここは、そういったテーマをとりあげるサイトではありません。また、便利なペルー旅行情報を提供するサイトでもありません。 一人の人間が、ペルーのすべて、ペルーの現実のすべてを見、それを他者に正確に伝えることは、絶対に不可能です。 だから私も、ペルーが見せてくれるたくさんの顔のうちで、自分が好きなところにだけ目をとめて、その一部でもご紹介できたらいいと考えています。 そして私が今、見たいと思っているペルーは、たとえば… スペイン人が入ってくる前の、でも今でもかすかに残っているはずの、モンゴロイドの人々の身振りや音楽、話し声、踊りのようす。 スペイン人が入ってきたあとの、なまめかしい混血の音楽、つたなさと豪華をあわせもった教会の壁画、アンデスとスペインがごちゃまぜになった美しい衣装。 今のペルーで、過去の伝統を守る人たちの、繊細な手仕事。 リマや旅先で出会う、楽しい、うれしい出来事。やれやれと思いながらも、笑ってしまえる出来事。 ペルーのあらゆるきれいなもの、かわいいもの、おもしろいもの。そして、きれいな人、かわいい人、おもしろい人、温かい人たち… リマ滞在がたしか5年めに入ったころ、最初は大好きだったペルーのすべて、当地で見るもの聞くもののすべてが、いやでたまらなくなった時期がありました。 そのころも今も、ペルーの人たちの中でだけ生活してきましたので、日本語のおしゃべりで気分転換することもできず、なにかというと、「日本じゃこんなことはなかったわ…」と心の中でつぶやく、たいへん「やなやつ」になっていました。 でも、胸に手をあててよく考えてみれば、日本を出たときの私は、日本の何かにくたびれ果て、そこから逃げ出すようにしてリマにやってきたはず… それを5年、6年と過ごすあいだに、すっかり忘れてしまっていたのですね。 ほんとうは、ペルーも日本も、あるいはほかの国も、それぞれ良いところ悪いところがあって、もし総合点を出すなら、どこも結局は同点くらいのものではないでしょうか。 だからこそ、どんなに好きと思う国で暮らし始めても、遅かれ早かれ、いつかは「故郷のほうがずっといい」と思うときが来ると思います。 それでもその国を、嫌いにならない秘訣は、人によってさまざまですが、私の場合は、「伝統と歴史という薄幕を通して、現実のペルーを見るようにする」というやりかたです。 もしそれを心がけなければ、私はどんな国に移住したとしても、さいごには同じ失望をくりかえすだけだと、あるとき気づきました。 同じリマの混沌を見るにしても、そこに過去の幻影を重ねることができるのは、人間だけの特権です。 私はそんな、良い意味での白昼夢を、ペルーにいるあいだは、ずっと見ていたいと思っています。
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