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2020年6月-8月 非常事態令下の「一服いかが?」
<その3>



非常事態令下のペルーえーかげんにせーよ日記

2020年6月1日(月)
(13)<25年前の今日>


2020年6月9日(火)
(14)<いま見たい風景>


2020年6月26日(金)
(15)<103日目……>


2020年7月18日(土)
(16)<今年のロマスは霧雨不足>


2020年8月4日(火)
(17)<花盛りの冬>


2020年8月14日(金)
(18)<また半端なこと思いついたね大統領>



2020年6月1日(月) 午後7時半の室温23.3℃ 外気温19.9℃ 快晴!のち曇り
非常事態宣言下のペルー いーーーかげんにしてよ日記(13)
<25年前の今日>



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記念すべきペルー移住後
さいしょのスナップは、
なぜかククリー鳩でした
(たぶん水色の目元が
珍しかったのでしょう)


 軟禁生活78?日目の、本日6月1日。
 私がペルーに引越してきたのは、25年前のきょうです。
 90年5月の初ペルー旅で、この国が大いに気に入ったものの、ペルーの経済危機や実家でのいろいろがあって、なかなか踏み切れず。
 やっと95年になって、実家から飛び出す…いえ、逃げ出すきっかけをつかんだのでした。



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 95年6月1日の朝4時、現在とはぜんぜん違って、うすぐらーいホルヘ・チャベス空港に到着。

 それから9日間は、Hotel Renacimientoという宿にいました。
 国立競技場のすぐ裏の、細長いベラルデ公園に面していて、そこは表通りの喧騒からはちょっと想像がつかない、たいへん静かな住宅街でした。
 なんでそんな穴場?を知っていたのか、あまりにも昔で記憶がありませんが、おそらく現宿六の実家の紹介だったのではないかと思います。



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 ほんとならすぐ見に行くのですが、今はリマ市内は、ひどく遠いですからね……
 かわりにGoogleストリートで探してみると、あったあった、建物は(少なくとも2013年の撮影時は)昔のままですね!
 今は宿ではないようですが、おもしろいことに隣のおうちがホテルになっています。
 また公園のまわりには、1950年代から70年代ごろとおぼしき、当時のリマ独特の色とりどりのかわいらしい家々が、今もたくさん残っているようです。


 この「ホテル・ルネッサンス」も、古風な…というか、かなり古びた庭付き一軒家でした。
 内装は一見ちょっと豪華ぽい?ですが、お値段相応で設備はとことん古く、でもそのかわり、昔のリマの風情はたしかにちょっとありました。



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 到着した明け方、通されたのは庭のすみの、物置小屋みたいな暗い部屋でした。
 でも翌朝、二階の広い部屋が空いていて、そこは一泊25ドルと聞き、すぐかえてもらいました。


 後日オーナーさんが、
 「あの…本当は二階の部屋は30ドルなんです、うっかりまちがえて伝えてしまって…
 ……あ、でも………いいです、やっぱり25ドルで」
 と、かなり悔しそうに、聞こえないほど小さな声でつぶやいていました。見るからに人のよさそうな、おっとりとしたおじさんでした。



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部屋の窓からの眺め


 左手奥にうっすら見える、インカコーラの看板、TOME INCA KOLA la bebida del Peruっていうの、なつかしいなあ。
 (25年のあいだに三口ほどしか飲んだことはありませんが、看板はなつかしいです)
 90年にさいしょに来たときは、たしか
TOME INCA KOLA de sabor nacional ! だったんですよね。


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これもGoogleストリートより拝借


 四半世紀前には、二階の窓の前にてっぺんがあったヤシの木、こんなに大きくなったようです!
 撮影時からさらに7年?経過していますから、今はもっと高くなっていることでしょう。
 軟禁生活が終ったら、確認してこようと思います。


 コロナ祭で、80日間近く身動きとれなくて、すべてが限りなく遠くなって、もはやペルーには住んでいないかのような…気すらしてきた今日このごろですが。
 でも近いんですよね。ほんとは。



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 前庭でいつもくつろいでいたオウム君。名前はなんていったかなあ??ティトだった気がするけれど。
 ハチドリもブンブン飛んでいて、喜ぶ私を見たオーナーさん、
 「ええっ、ハチドリって日本にはいないんですか?!
 リマではどこにでもいるから、てっきり世界中にいるもんだと思ってましたよ!」
 と、かなり驚いたようすでした。私もそれを聞いて驚きました、そうかリマにはどこにでもいるのね、と。



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 ペルー生活のさいしょの数日は、冬に入る前の、さいごのさいごの快晴日にあたって幸運でした。
 25年後の今日も、当時と同じ、たいへん気持ちのよい快晴となりました。


 でもすぐあとに、こんなスナップも出てきます、みなさまおなじみの、リマの冬の太陽!
 初めて見たときは驚きました、曇って今にも雨が降り出しそうなのに、チラリとも降らないのですから。
 (近年はわりと降りますが…)



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 こちらも二階の窓から。歩いているのは、退け時の学校に子供を迎えにいったお父さんのようですね。
 私にとり、実家はおよそ心休まらない場所でしたので、逃亡先でこういう仲良し家族を見かけると(それがまたペルーではそこらじゅうで見かけるわけですが!)、なんともいえず心にぴりっと沁みるような、寂しいような楽しいような感覚がありました。


 ところで矢印の、植えたばかりの小さな木が気になって、今の様子をGoogleストリートで探ってみますと…


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 特徴ある窓と、電信柱の位置から推測するに、どうもこの大きな木になったみたい?!ですね。
 同じ葉っぱですし、電信柱の位置はめったなことでは変わらないでしょうから、可能性は高そうです。
 うちの木々の成長ぶりを考えても、25年もあったら、これくらい育ってもおかしくなさそうですね。



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 いったい何に感興を覚えて、これを撮ったのやら、今となっては自分でもわかりませんが…
 こういうリマの雰囲気は、ほとんど変わっていませんね。



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 Kola Inglesaの、ビンの王冠をかぶったナゾの少女も、いつのまにか消えましたねえ。
 調べてみたら、ごたぶんにもれずコカコーラに買収されて、Fanta Kola Inglesaという名で(王冠少女はなしで)生き残っているようです。
 これは一度も飲んだことないです、真赤な液体ですが何味なんでしょう?


 スナップに写り込むリマの人々は、近年ほどコテンコテンには太っていなくて、また服装の色合いもずっと控えめな気がします。
 今は、頭がいたくなるような原色や、どぎつい柄ものを好んでみなさん着るようですが。
 でも乗り合いバスの集金おじさんの、カメラに気づいて自然にこぼれた笑顔は、今も昔も変わらぬペルーらしさですね。



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 当時はまだ、60年代70年代もののフォルクスワーゲンがいっぱい走っていました。
 この写真にも4台も写っています。
 これいったいどこかな、と思ったら、病院名が書いてあってわかりました、ブレーニャですね。私は宿を出て、どこかへ向かっているようです。



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 Googleストリートの、2015年の同じ場所。
 病院は変わりありませんが、まわりには大きな建物がいろいろできて、また陸橋も作られたようですね。
 …うーんたしかに、来た頃は陸橋、とても少なかったですね。
 だから左の写真の少年のように、危なっかしく車道にどんどんはみ出してくる人が、もっとずっと多かったですよね。



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 ああなるほど、私は国立考古学人類学歴史博物館(この名称どうにかならんか?)に行ったようですね。
 あ、また奥の角にワーゲンとまってる。あのちょっと苦し気なエンジン音が聞こえてくるようです…



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 このあたりの雰囲気は、あまり変わりませんね。たぶん木はぐっと太くなったんじゃないかと思いますが。


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 リマに到着した日は、何はともあれスーパーマーケットに行き、「これなら何とか暮らしていける…かも」と一安心したのですが、その後は家探しのかたわら、博物館のハシゴをしていたようです。
 これもご存じ、国立博物館。よくまとまった展示が見やすいところでしたが、今はお役所になっているのかな?


 右には、同じ場所のGoogleストリート写真(2015年撮影)を二枚載せましたが、同じ色できちんと感のある市バスが走り、ガラス使い過ぎピカピカビルも建って…
 もし当時のリマの人たちが見たら、まさに未来都市ですよね。


 そういえば、あのころ東京にいたペルー人は、日本人からの同じ質問に、しばしば悩まされていたようです。すなわち、
 「あのー、ペルーにもビルとかって、あるんですか?」


 で、定番の返答はこうでした。
 「ありますあります、リマには三つもありますよ。実はその二番目を建てたのが、うちの親父なんですけどね!」
 もちろんウソで、90年に初めてリマを見たときだって、さすがにビルごときはいくらでもありました。今とは違う、灰色のコンクリートだらけのやつですけれど。



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 さて95年6月10日には、かのルネッサンス宿を引き払い、スーツケース二つを転がして、冬のお天気がマシだというラ・モリーナ地区に引越しました。
 ご縁に恵まれ、ピッカピカの新築のおうちの、二階を借りることができました。
 貸主さんが、娘夫妻のために建てた二世帯住宅だったのですが、娘さんに断られて急遽賃貸に出すことになった、というお話でした。


 一年たって、ここは歯科医院に改装されることになり、私もしかたなく引き払いました。でも数年後、
 「歯科医院はうまくいかなかったので、少し建て増して、また貸すことになりました。
 あなたがいたときは静かで良かったので、ぜひまた借りてくれませんか?」との連絡をもらいました。
 すでにアパートのローンを組んでいたので、お断りしましたが、なんだかちょっと嬉しかったです。



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 またまたGoogleストリート。今もあの懐かしい窓が、外から見えています。
 貸主だったご夫妻、元気にしていらっしゃるかな。


 三階、四階と、大々的に建て増しをしたようですね。
 ということは、きっと賃貸業がうまくいったのでしょうね。



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 これも窓から。貸主さんの飼い犬、トイプードルのカリ君。
 彼は生涯独身を貫いたそうです。一度はお嫁さんとして、かわいいメスの仔犬が来たそうですが、あっというまに、カリ君がはるかに見上げるほど大きくなってしまい…
 何をまちがったか、大型プードルの仔をもらっちゃったのですね…
 どうしようもないので返品し、嫁とり話もそれっきりになったとのこと。



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 現在この家の前は、とても賑やかな大通りですが、当時はまだまだ郊外らしさが残っていました。

 これも窓から。向こうで誰かが一所懸命、走らなくなったワーゲンを直そうとしているところ。(あの頃は、ペルーには来たものの何をしたらいいかわからなくて、よく窓からぼんやり外を見ていました)
 こういう、あちこち塗装が剥げて、代々の塗りなおしの色が全部わかる車、すっかり見かけなくなりましたねえ……


 このあとまもなく行った、プーノとクスコ(バカだったので、標高がずっと高いプーノに先に行きました)のスナップも、次回すこしお目にかけようかと思います。
 …そうなんです、軟禁生活がきりなく長引くものですから、とうとうフィルム時代のプリント写真箱(開かずの大箱二つ!)まで、引っ張り出してきてしまいました。
 十数年ぶりに開けてみると、あらあらみごとな資料沼……これだけで、じゅうぶん一生絵を描いていられそうです。


 ほんとにコロナ大祭は、家の中がよく片付いて、いろいろ再発見もあって助かります。これ、さほどいやみでもなく書いております。


2020年6月9日(火) 午後11時半の室温22.0℃ 外気温18.5℃ 曇り
非常事態宣言下のペルーいいかげんにしてよ日記(14)
<いま見たい風景>



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今年はコロナ祭のせいで逃した、
リマのいちばんきれいな季節…


 軟禁生活86日目となりましたー
 私はどうしてもノレないコロナ大祭。完全に飽きたなあ…
 でも、とにかく静けさ…特に夜間の静けさは最高!です。
 夜間外出禁止令(現在は10時から4時?だったかな?ころころ変わるのでわからなくなってきた)などは、もう永遠に続けてもらってもいいくらいです。


 先週からは、おありがたくも、住んでいる区内の自動車での買い物(ただし一人のみ)は、お上からお許しいただけるようになりました。
 残念ながらパチャカマック区内にスーパーマーケットはないので(惜しいことにルリンは隣の区)、私たちには特にありがたみはないのですが。


 でもせっかくなので、宿六が一度、車を外で走らせてきました。こまめに手入れしていたので、おかげさまで問題なく動きました。
 が、にゃんと!!
 門の錠前がガジガジに錆びついていて、開けるのに手間取ったのには大笑いです!
 まったく、どれだけ長期間、閉じ込められているか、ですよね。



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せめて写真でちょっと
味わってみましょう!
昨年3月26日の
ご近所サン・ペドロ浜です


 また、さらにおありがたくも、毎日1時間以内&3キロ以内の散歩も、お許しいただけるようになったとか。
 でも制限時間や距離なんて、お上がいちいちコントロールできるはずもなく、だから実際にはもっと自由に行動できそうですね…


 と思った通りで、パチャカマックでは多くの人たちが、時間限定外出許可をうーーーーんと拡大解釈し、大いに活用しています。
 目立たない形で、いろいろ小さな仕事を始めたり、こそこそ家族で集まって食事会を開いたり、だいぶ日常に戻ってきたようでなによりです。


 愚かしくもうちの近所では、道に消毒薬をふりまいたりしているようなので、私は当分出かけるつもりはありませんが。
 (いくらそんな消毒をしても、誰かが一回咳でもしたら元の木阿弥なわけで、そういうやってもキリがないことは、なかったことにしてさっさと次に進むのが、楽しく健康に生きる知恵というものですよね)


 さて、よけいなおしゃべりはもうやめます。
 リマの夕日のすばらしいエネルギーが、みなさまにも届きますように!



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千鳥の群れがせわしくなく飛んでいきます


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食いしん坊の鵜やペリカンは
日没ぎりぎりまで
ごちそう探しを続けます



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みるみるうちに沈んでいく太陽


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太陽がしゅーっと、溶けるように消えていきます。
明日またよろしくね!



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あーあ、沈んじゃった…
というガッカリ感もちょっと好き。



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 日が沈むと、ふっと青白い風景に変わります。
 良く晴れて、今日は西空に雲がないので、夕焼けは期待できませんね。



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 東南の雲だけが、少し鮭色に染まっています。
 海の白い別荘群に、明かりが灯り始めました。



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 うすら寒くなっても、さいごまで浜でねばっていたお客さんも引き上げて、海辺のレストランも店じまい。
 お菓子売りのおじさんも、そろそろ家路につくようです。



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インカコーラのアルパカ広告。
(このときは、まさか半年後に
アルパカと同居を始めようとは
夢にも思っていなかったなあ)


 私たちも、猫たちの待つわが家へ、急いで戻りましょう!

 (昨年3月26日。
 猫たちの旅立ちはもうまもなく、とわかっていた中で、珍しく1、2時間ほど家を抜け出した夕べでした。
 懐かしい猫たちのさいごの日々を、そろそろ一度まとめて、きちんと終りにして、それから第二シーズンへ入ろうかと思っております。
 恥ずかしながら、一年過ぎてやっと気持ちの整理がつきました。もちろんそれは、アルパカたちに負うところ非常に多し!です)




2020年6月26日(金) 午後5時の室温21.7℃ 外気温20.1℃ 霧雨のち快晴!のち曇り
非常事態令下のペルー えーかげんにせーよ日記(15)
<103日目……>



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巨大アスクレピアスの
フラウィウス君にとうとうタネが!
増やすぞー!!
(今年は6月になっても、こんな
快晴の日がときどきあります)


 非常事態令が、堂々の100日越え!したわがペルー。
 La cuarentena mas estricta pero la menos eficienteをやってる国…
 (ラテンアメリカで最初に、それも世界一厳しいロックダウンをやったのに、世界一成果の出てない国…)
 として、このところ各国のニュースサイトで取り上げられておるようですね。なんとも名誉なことで。


 そんな情けない状況ながら、幸いにも外出禁止令のほうは、日ごとにずるずるずるずる緩和されております。
 まずは製造業など仕事復帰が許可された人たちが、一気にどどっと外に出ました。
 するとドサクサ紛れに、関係ない人たちも、みーんな外出するようになりました。(そうしなくちゃ日雇い仕事の人は飢え死にしますから、けっこうなことだと思います)


 ところが、耳タコのソーシャル・ディスタンスとやらで(これって、ヴェネチアの黒死病対策仮面なみの、迷信に近い考えと思うのですがねえ…)、仕事場に向かう乗り合いバスが定員をぐっと減らしたせいで、結果、バス停は朝晩ものすごい大混雑。
 いやはやもう、なにもかもがバカバカしい。



 でも個人的におありがたかったのは、今週月曜からショッピングセンターが再オープンし、それが居住区外であっても、自家用車で行けるようになったことです!
 ただし出かけていいのは、一家につき一人のみ、だそうですが、まあこれはほぼ誰も守ってないでしょうね。官憲側もチェックのしようがないですし、事実上、外出禁止令ほぼ全廃に近い状況かと思います。
 (幸い、私が大好きな夜間外出禁止令と、日曜の終日外出禁止令は続行中)


 しかしこの期に及んでなお、「今後もどんどん感染者数が増えるなら、また厳しい外出制限を課すかも…よ?」という政府からの脅しは続いています。
 実際やりかねないのが、○○のこわいところ。(○○ってキリがないですから…)
 なので万一にもそうなる前に…と、この月曜、宿六がまっさきにしたことは…


 もちろん猫の受け取り!
 三毛猫二匹と、久しぶりに買えたおいしいコーヒー豆を持って、嬉しく帰宅いたしました。


 こうなると、私にはもう何一つ不自由はありませんから、ペルーのコロナ大祭がいつまで続こうが知ったこっちゃないです。勝手にせえ。
 少なくとも、世間が無意味な消毒薬ふりまきをやめるまでは、私は今後も当分、楽しく引きこもりを続けます。


 (近日中に猫ページを再開いたします、当談話室の猫型会員の皆様、猫第二シーズンもごひいきに願います)


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一昨日のDIY店。長い軟禁生活の間に、
どこのお宅でもいろいろ壊れたようで(わかるわー)、
レジはご覧の通りの長蛇の列。



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 軟禁生活のあいだに、前よりずっと自分の家が好きになりました。
 当分ここにいるしかないんだ、と思ったら、返っていいところがいっぱい見えてきました。


 わが家は表通りから少し引っ込んでいるので、おもての門と家のあいだに、こういう壁に挟まれた通路があります。
 殺伐たる未舗装道でしたが、余ったタネをまいたり、手持ちのサボテンを折って挿しておいたのが、ぜんぶむくむく育ってきました。



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 中でもヘリオトロープが元気で、山盛りに育って、年中無休で花を咲かせます。さすが原産地!
 おかげで門を入ったとたん、すっぽりと良い香りに包まれて、外の排気ガス(最近戻ってきちゃいました…)を一瞬で忘れさせてくれます。



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 このサボテン(当地での通称はpaletas)も、一本だけ買って、少しずつ挿して増やしたのがみな大きくなり、なかなか壮観です。
 しかもモナルカ蝶が、よくこのサボテンにぶらさがって羽化するんですよね。
 この写真でも、下に羽化したモナルカ蝶、その真上に緑の蛹が見えています。



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羽化したてほやほやの
オオカバマダラさん


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 その後のカランドリアさん。
 巣立ちのあと、ご両親はすぐヒナをどこかへ連れて行ってしまいました。
 でもこのところ毎日、仲良く三羽でフルーツパーラー千羽屋を訪れる家族がいます。
 もしかしたらこのうち一羽が、あのときのヒナかも…しれませんね。



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 ペンキ塗りは、はんぱなところで放り出していましたが、いよいよ猫をもらう!と決めたら気合が入り、先週一気に片付けました。
 でも同じ色を塗るのにも飽きたので、手持ちのペンキを混ぜて、少しずつちがう水色にしてみました。


 家具の色なんて、一度も深く考えたことのない宿六が、
 「塗り替えてから、家に海の気配がするようになった!」
 と喜ぶのには、ちょっと感心。意外にわかってるんだ…



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 飾り棚にも着手。
 塗りにくい彫刻が多くてうんざりでしたが、なんとか塗り終えたあと、思いついて背板に太陽、月、星、雲を描いてみました。
 楽しいので、あとで木々や雨、燕なんかも描き込むつもりです。


 5か月近く、鉛色に曇りっぱなしのリマの冬、いつもとても懐かしくなるのが、青空にぽっかりと浮く白い雲です。
 こういうイタズラ描きをしておくと、そんな冬場にけっこう楽しそうなので、やはり水色に塗ったドアにも描いてみようかと思います。



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懐かしいサンティアゴ・ロハスさんの、
聖母ママチャ・カルメンとその踊り手たち。
背景が明るくなったら、
彼らの表情も明るくなったようです



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 寝台の飾り板は、うまく一日で乾かないと眠れなくなるので、こわくて後回しにしていましたが、晴れの日にやっつけました。
 塗ったところと塗っていないところで、これだけ明るさが違うのは驚きです。五十過ぎたら身辺は明るくしたほうが、目はたしかに楽ですねー



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 ペンキ塗りが終ったあとは、二日かけて家を猫モードに戻しました。
 ハシンタ猫ハスミン猫のさいごのお衣裳も、念のためもう一度洗って、準備万端です。
 (ついでながら後ろの窓枠も、白く塗りかけです。洗濯室には猫は入れないので、あとでゆっくり仕上げます)


 では次回は猫ページで!


2020年7月18日(土) 午後5時の室温22.1℃ 外気温19.1℃ 快晴!…なぜ快晴??
非常事態令下のペルー えーかげんにせーよ日記(16)
<今年のロマスは霧雨不足>



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先週行ってみた近所のロマス
雨が少ない今年は、
まだカラカラです


 ペルーの非常事態令は、今のところ7月末まで続くらしいです、まだやってんの?って感じですね。でも今月はじめからは、外出制限が最低限となったので、少なくともわが家への影響はほぼなくなりました。
 集会の禁止や、若年者と高齢者の外出制限などはまだ続いている…はずですが、基本だれも守ってないでしょうね。


 まったく無意味かつ無茶苦茶なロックダウンでしたが、ひとつだけ良かったのは、「ペルー人もその気になれば静かにできる」とわかったことです。25年暮らしても、まったく知らなかった事実。
 でもたちまち、前と同じ騒々しい町に戻ってしまってがっかりです。夜間外出禁止令だけは、たぶん破ると目立つからでしょうね、おかげさまで夜の静けさは続いておりますが。



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7月もなかばなのに、
やっと目を覚まし始めたアマンカイ


 四か月ほど嬉々として家に籠っていた私は、先週になって初めて、ちらっと外出しました。
 消毒剤をふりかけられる心配のない、家の裏手のほうに出て、近所のロマスを見てきました。


 昨年の今ごろはもう、アマンカイのタネがたっぷり実っていたので、欲深く大きな袋など持っていきましたが、ざんねんながら手ぶらで戻りました。
 どんどん山側へ進んでいっても地面はカラカラで、アマンカイもやっとチラホラ芽を出し始めたばかりのようでした。



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昨年は六月にはもう、
同じ場所が
一面の花畑でした


 うちでは井戸水を撒いてアマンカイを育てているので、今年のロマスが、ここまで水不足な状況とは気づきませんでした。
 たしかにこの冬は、とても寒かった去年なみに気温が下がっているのに、なぜか晴れる日が多くて、霧雨はほとんど降っていません。(ふつうは寒い冬=霧雨の多いロマスの当たり年、なので、今年の空模様はとても珍しいと思います)


 日記で確認してみますと…
 6月17日から7月18日までに、快晴、または数時間でもカラっと晴れた日数は、昨年は4日間のみ。でも今年はなんと15日間!



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そして昨年の7月半ばには、
タネが山ほど熟していました


 ロマスは、年ごとのわずかな気候の違いで、緑の育ちかたがまったく変わってしまいますので、今年はどうなるのか気になります。先週あたりから、やっと少し霧雨が降り始めたので、これからに期待します。

 リマではめったに出会えない、ひんやり寒いけれどよく晴れた日を、何度も何度も味わえたのは嬉しいです。
 でもこのままでは、冬のロマス散策を収入源とするお向かいのケブラーダ・ベルデの人たちも、困ってしまうと思います。そろそろ本格的に降り始めますように!



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ペヘレイのオーブン焼き


 非常事態令がらみの話もタネが尽きましたので(「すべて元の木阿弥っぽいです」としか言いようなし)、外出禁止令下さいごの日々の食事のことでもお話しして、ごまかしましょう〜


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 無意味なロックダウンのおかげで、わが家でいちばん変わったことは、酒量の増加ですねー
 食事のスナップを見ると、なぜか毎回ワインが写っていて、そんなに飲んでたかな?と思うのですが…写ってるからなあ。
 まあせいぜいが赤ワインの1、2杯ですが、昼に飲んでも、午後の作業への影響はゼロと、困ったことにわかってしまいました。


 (閉じ込められていた三か月あまり、私は一貫して上機嫌ですごしましたが、もしかするとそれは単に、ワインの切れ目がなかったせいかも)


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牛ひき肉とお茄子と
チーズの重ね焼き
(じゅうぶんおいしいので、
パスタなんかいりませーん)



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地鶏のクリーム煮
(小麦不使用)


 唐辛子の消費量も、今までにまして多くなりました。
 世の中がバカバカしくてやってらんないときは、唐辛子は良い気分転換になります!



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卵とブラックチョコレート、
アーモンド粉ちょっとだけのケーキ。
これが意外においしい!



 ワインを飲むと、甘いものもほしくなります。
 外出禁止のあいだ、低糖質のお菓子を何度も作りました。



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薄切りリンゴ、アーモンド粉、
卵と生クリームとラカントのケーキ



 リンゴのせいで、これはあまり低糖質でもないので、平らげたらきちっと1キロ増加。
 でも猫が来たとたん、オチオチ座っていられなくなり、すぐまた減りました。



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 豚のチーズ焼きの飾りは、今年も庭に勝手に生えてきたマイクロトマト。
 チャスカの大好物なので、収獲するそばから奪い取られます。



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牛肉のバター焼き



 パチャカマックに良いお肉屋さんがあるとわかったのも、外出禁止令下での嬉しい発見でした。


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 アルパカはビーツを好む、と聞いてたくさん買ってきましたが、二週間ほどで飽きたのか、ぜんぜん食べてくれなくなりました……
 しかたないのでビーツ入りシチューにして、飼い主が消費。高糖質ですが、たまのことなので問題なし。



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イワシ入りオムレツ


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 生ハムに添えた「パン」は、ナッツ数種と山羊のフレッシュチーズ、卵をフードプロセッサーでよく混ぜて、オーブンで焼くだけ。
 小麦粉なしですが、不思議なほどパンっぽく仕上がって、バターをつけるとワインにぴったりです。



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 本日もまたこの快晴!
 しかも早々に、ミチカ桜がほころび始めています。
 ほんとにどうしちゃったのかな、今年の冬は??
 気温はしっかり下がっているので、エル・ニーニョ現象というわけでもなさそうですし…




2020年8月4日(火) 午後7時の室温20.7℃ 外気温17.2℃ 曇りのち晴れのちまた曇り
非常事態令下のペルー えーかげんにせーよ日記(17)
<花盛りの冬>



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 心がしん…と静まるような霧雨の日、今年は本当に少ないです。
 夜間の気温は、寒かった昨年なみに下がっていますが、昼は晴れる日ばっかり。



 このシリーズも、いいかげんやめたいのですがー。
 ペルーの非常事態令、無意味に8月末まで延長されました。


 それに伴い、国際線の運航再開予定も無期?延期。
 夜10時から朝4時までの外出禁止令も、続行(これは個人的に大歓迎)。


 さらに先月あたりから、「再び数週間のロックダウンが予定されているらしい」と盛んに噂されていますので、うちでは念のため、近所で買えない必需品(特に良いコーヒー!)はしっかり買い置きしています。
 ここまで風邪が蔓延したところでロックダウンしても、みなが家に暗〜く籠って、互いにうつしあうだけで、何の意味もないと思うんですけどね。
 でもすべては政治ゲームの一環なので、流されるほかありませんね。


 車で外出できなくなるのは不便なので、宿六はうっすらといやがっていますが、私はどっちでもいいです。
 三か月ものロックダウン経験のおかげで、自分の家で自分と向かい合って幸せな気分でいることが、とても得意になってしまいましたので、もうこわいものは何もない、という感じです。今では、アルパカだけでなく猫もいてくれますし!


 それに、現時点ではほぼ自由に動けるリマ在住者は、ペルーの中では幸運なほう…なんですよね。
 ペルーの地方には、いまだに厳しい外出禁止令下におかれているところがたくさんあります(特にイカ、アレキーパ、ワヌコ、フニン、サン・マルティンは全域、またクスコ市も外出禁止令下だそうです)
 単に政府が、「ちゃんと対策やってます」アピールをするための犠牲になっているわけで、まあほんとひどい話です。


 感染者数については、「リマでは25パーくらいいくのでは?」という、テキトーな推計がなされているようですが、実際はもっといってるんじゃないかな?
 身近なところで宿六の親族だけ見ても、ほぼ全員陽性だったそうですが、みな無症状または軽い風邪症状のみですぐ快復。おそらくほとんどの人が、そんな風に知らずに乗り越えているのではないかと思います。
 (宿六と私は、用も興味もないので検査していませんが、これだけ感染者に包囲されていると、知らずにかかって治った可能性もありそうです)



 ペルーでの勢いを増す死者数増加については、いろいろ要因が考えられますが、やはりいちばんは、肥満人口の多さ、ということになってしまいそうですね…
 昨日も、「現在までの死者のうち、85.5%が重度の肥満であった」との報道がありましたが、要するに真の問題はそちらのほうにある、ということかと思います。


 また、先だってこんなことがありました。
 宿六の親族数名(後期高齢者)が、病院でちょっとした手当や手術を受ける必要があったのですが、検査の結果コローナ陽性(症状なし)とわかり、治療を拒否されました。
 すぐ命に関わる問題ではなかったのが幸いでしたが、そのとき宿六がぽつりと言いました、「もしこの治療拒否のせいで亡くなっていたら、持病ではなくコローナでの死者にカウントされたんだろうな……実際には死者数の大半が、そういうケースなんじゃないだろうか?」と。


 私にはいまだに、本当にいまだに、どうしてたったひとつの病気だけを、全世界をあげてこうも恐れているのか、その理由がまったくわかりません。
 でもそのかわり多くの人が、今までに経験のない静かな時間を得たのも事実で、今後そこから芽生えてくる「良いもの」もたくさんあるはずで、きっとこのわけのわからない経験には、人類史上とても大切な深い意味があるのだろう…と思いたいです。



 でも今の段階では、まだリマの大半の人たちは、ただただひたすら、雲をつかむような恐れに飲み込まれているようです。
 宿六はたまにリマ市内で買い物してきますが、大きなスーパーマーケットはいつ行っても奇妙なほど空いているそうです、たぶん多くの人が、感染怖さから配達サービスを利用しているのでしょう。


 またお役所も同様で、どこも仕事が停滞して大混乱のようです。
 先日、知人のおばあさんが寿命で亡くなったのですが、お役所に死亡届を出したところ、正式受理は12月!(いままだ8月になったばかりっすよ…)と言われたとか!
 つまり年末まで、気の毒な遺族は相続の手続きが一切できないわけです…



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いつもの冬とは違って、
日向ぼっこできる猫は
とっても幸せそう!



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 快晴日が多いこの冬、ミチカ桜がもうどんどん咲き進んでいます!
 昨年から入れ始めたアルパカ肥料が合ったらしく、今年はとてもつぼみが多くて、これからが楽しみです。



 また(小さなグチ話ですが)、ロックダウン中に壊れたわが家の温水器も、とうとう修理も買い替えもできないまま今に至っています。
 Soleというメーカーの温水器ですが、わずか7年で底に大穴があいて使えなくなりました。経験的には、ふつう20年以上平気でもつ家電なのですが。
 そこで外出制限が緩和されてすぐ、修理を依頼しましたが、「5年以上すぎた弊社製品には、修理サービスを行っていません」との取りつく島もない回答…(Soleテルマは二度と買わない…)


 やむなく他の、家電なんでも修理所に相談したところ、
 「数百ソルかけて直しても、たぶんそれは半年でまた壊れますよ。
 それより買いなおしたほうがいいです、でも個人的には、SoleじゃなくてBryant社のをお勧めします」
 との、たいへん正直かつご親切な助言を下さったので、言われたとおりにしました。


 が、今はどこで温水器を買っても、配達まで一か月か、一か月半かかると言われます!
 自分で受け取りに行こうにも、電気式温水器はとてつもなく大きいので、うちの車では無理です。そこでフランクリン君にトラックで一走りお願いすることになったのですが……今度は「いつ店頭にもってこれるかわかりません」ときた。どうやら一か月以上待つほかないようです。
 いまいちばん寒い時期だからこそ、急いで買ったのですが、これじゃあ春が来ちゃいますね。


 …まあ冷水シャワーというのも、けっこう好きだったりもします。
 真冬ですので、さいしょに浴びる瞬間はゾっ……としますが、でも浴びたあとの疲れが吹き飛んだ感は、お湯シャワーとは比較になりません。
 またこの冬は、気温が下がっているわりに、私たちがぜんぜん風邪をひかないのも、冷水シャワー効果かもしれません。
 ついでに皮膚と髪のつやまで、ちょっと良くなった?気がします。(ただこれは、さいきんリマの通販店で見つけて、マルセイユ石鹸に替えて使い始めた、アレッポのオリーブ石鹸の効果かもしれません。話がそれますがアレッポの石鹸、洗髪に超お勧めです)


 いずれ(数か月後?)温水器が設置されたあとも、さいごの仕上げに冷水を浴びる、というのは続けなくちゃと思っています。
 迷惑千万な非常事態令下での、これもちょっとした拾いもんでした。



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 リマの寒緋桜の欠点は、花の季節まで、こうして葉っぱが少し残ってしまうことです。


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チャスキ「僕にも一枚くださいな」
チャスカ「ありえないお・も・て・な・し!」


 見苦しいので、踏み台を持ってきて一枚一枚、つぼみが落ちないようにていねいにはずしていると、大喜びのアルパカたちが走ってきます。
 桜の葉は、パリパリに枯れていてもおいしいらしく、ポテトチップスみたいな音をたてて平らげます。



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 木によってバラバラの開花率ですが、よく咲き進んだ枝は、いまこんな感じです。
 見とれていると、寄ってきたチャスカが、ぐーっと頸を伸ばして……



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うわ、チャスカ!
なにやってんの!?
(驚きで手が震えてピンボケ)



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「パクッ!」
た、食べちゃったよ……


 昨年も、散った花はぜんぶ拾って食べていましたが、今年はよけいなこと覚えてくれましたね…


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 幸いチャスカも私も低身長、どう背のびしても届かない枝がほとんどですから、大した被害はないと思います(と思いたい)。
 いちばん白い花が咲く、いちばん大切な木も、うんと高いところに無数につぼみがついています。
 まだやっと二、三輪咲き始めたところで、これから毎日楽しみです。また追ってご報告します。



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「私の鼻も桜色?」



 チャスカの口がすぐ届きそうな小枝は、食われる前に切ってきました。
 猫は食いませんから、家でじっくり開花を楽しみます。



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 アルパカ軍団に盛大に食い荒らされたバラも、アルパカ肥料でだいぶ回復しました。
 ただバラを切ってくるときは、ちょっとばかり命がけ?です、アルパカたちが自分のおやつと思って、全速力で追ってくるからです。



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ミモザも咲き始めました。


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一年前のアルパカたち



 来週10日は、アルパカ記念日です!
 つまり今チャスカとチャスキは、1歳10か月くらいですね。
 昨年チャスカとチャスキがやって来た日も、やはり桜とミモザが咲いていましたねえ。



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昨年のちっちゃかったチャスキと…


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今のチャスキ


 こうしてみると、顔のまわりのフサりぐあいも、ぜんぜん違いますね!



2020年8月14日(金) 午後11時半の室温20.7℃ 外気温17.7℃ またも快晴のち曇り
非常事態令下のペルー えーかげんにせーよ日記(18)
<また半端なこと思いついたね大統領>



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ひきつづき快晴ばかりのパチャカマック。
いつもは緑に染まる裏のロマスも、
今冬はカラカラのままです


 また当地ペルーの大統領が、余計なこと思いついたようですね。

 これから日曜日は、リマ含む全国で、また外出禁止になるそうです(月曜朝4時まで)。
 もうリマ中に風邪が蔓延したところで、そんな半端なことをしても、何も意味はないでしょうに。
 また曜日を問わず、集会も禁止だそうです。


 一応、非常事態令の期限切れの今月末までですが、どうせまたずるずる延長するのだろうな…、もう5か月くらい(5か月ですよ5か月!)、非常事態令出しっぱなしですものね。
 うーんこのデジャブ感は…?と考えて思い出しました、むかし、非常事態令ばかり乱発してあとは何もしない、トレドという無能な大統領がいましたね…


 非常事態令などというものは、他に手がないときちょこっとだけ使うと、もしかしたらそれなりの効果が期待できる…かもしれない毒薬のようなものであって、こうも長引かせたらただの人権侵害です。


 しかし人は誰しも、ダブル・スタンダード。
 度の過ぎた人権侵害はけしからん…と思いつつも、夜間や日曜日が静かなのは、やっぱりいいものですね。
 「集会の禁止」にしても、近所のスポーツイベントが禁止されるのは大賛成。酔っ払いが夜中までボール蹴って騒ぐのには、もう飽き飽きですから。


 しかしですね、その「集会の禁止」に、家族訪問まで入っているのは笑止です。
 たとえば、両親と別の家で暮らす娘や息子は、実家を訪ねちゃいけないんだそうで。


 高齢者などハイリスクとされる人々は、引き続き外出禁止ですが(ほぼ誰も守ってないけど)、そういう人たちは、所用で外出した家族とは直接接触しないように、との余計なお達しもありました。
 そんなの物理的に不可能に決まってるじゃないの…


 また、毎日1時間のお散歩を、ありがたくも許可されていた14歳以下の子供たちも(これも誰も守ってないけど)、これからは30分だけお許しいただけるそうです。ええっと、30分減らして、いったい何の意味があるんでしょう…そんなこと大真面目で検討しているところを覗いてみたいよ…

 こういったコマコマした家庭内のことを、官憲が掌握できるはずもなく、今後もちゃんと守る人は非常に少ないと思います。
 でも、運わるく万一にも見つかったら、厄介です。ここまでの大バカと長いものには、今後もグルグル巻かれておくしかないようですね。



 三か月にもわたるロックダウンで、ペルーでは生活習慣上、きちんとした社会的隔離は実行不可能、従って経済が痛手をくらっただけで感染阻止の効果は何もなかった(というかむしろ最大限に悪化させた)と、すでに世界に知らしめたペルーですのに、なんでまたこういう余計なことをするのでしょう。
 政治家どもが「なんかかんかやってます」感を醸し出すために、無理やりでっち上げた愚策のせいで、国民全員大迷惑。私にはもはや何の痛痒もないですけれど……


 そしていずれ(さほど遠くないと思いますが)、この手のウィルスの宿命として、ある日とつぜんシュ―ッ…と消え去った暁には、迷惑だけかけて何もしなかった連中が、ここぞと大威張りするのでしょうね。どうでもいいですけどね。


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 ミチカ桜の中で、いちばん白い花の咲く木が、そろそろ七、八分咲きです。
 植えてから丸7年、こんなにつぼみがついたのは、今年が初めてです!アルパカさん、たくさん良い〇〇をしてくれてどうもありがとう!



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ちょうどいいところに
ハチドリさん




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 ミチカ桜(どれも寒緋桜)の中でも、特に白い花を咲かせる木ばかり、つい贔屓にしてきましたが…
 これだけたっぷり咲くと、濃いピンクのほうも見事ですね!



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 濃いピンクのと白いのと、色合いがこんなに違うので、互いに引き立てあうのがまたいいですね。


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 散るまぎわのピンクの花は、赤みをぐっと増します。もう葉っぱも少し出てきました。


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おや、早くも緑のさくらんぼ!


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 つい先日まで、桜の枯れ葉をパリパリと、スナック菓子がわりにしていたアルパカたち。
 いまは少しずつ降る桜花を、器用な口先でひとつ残らず拾って食べるのが、楽しい日課です。
 寒緋桜の花びらは一枚一枚散らずに、まるごとぽろっと落ちますから、きっとふつうの桜より食べやすいでしょうね。



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 こちらもアルパカ肥料の効果なのか、今年は枇杷も、真の鈴なり!です。
 まだ青いですが、気の早いインコたちが、熟し具合を調べにやって来ました。




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