ペルー談話室 玄関に戻る

2021年3月 非常事態令下の「一服いかが?」
<その6>



非常事態令下のペルー もうどうでもええわ日記


2021年3月15日(月)
(39)<まるまる一年!出しっぱなし非常事態令>


2021年3月19日(金)
(40)<2004年聖週間のクスコ @聖木曜日>


2021年3月30日(木)
(41)<2004年聖週間のクスコ A聖金曜日>


2021年4月5日(月)
(42)<2004年聖週間のクスコ B聖土曜日と復活の主日>


2021年4月11日(日)
(43)<政治色なしの(農村色だけの)ペルー選挙特集>


2021年4月22日(木)
(44)<外出禁止の静かな夜に…>


2021年3月15日(月) 午後6時の室温27.0℃ 外気温26.5℃ 快晴!
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(39)
<まるまる一年!出しっぱなし非常事態令>



210314-05.jpg

宿六の同窓生から届いたペルービアン・ジョーク。

ワクチン到着しました。
(ワクチン容器にはビールのロゴ)


副作用…接種後、セビッチェが食べたくなります


 つまんない冗談ではありますが…
 もしかしてお酒のほうがよっぽど…??……という部分には共感。



 まさかあれから一年後の今日も、非常事態令出しっぱなしとはねえ。さすがペルー。私の選んだ国にまちがいはない。ったく。

 2月のロックダウン終了後も、日曜日は外出禁止でしたが、これはやっとナシになりました(カヤオ以外のリマ市の場合)。
 でも日曜は、自家用車は使えません。車の利用とコローナウィルスと、何の関係があるのかいまだに不明…誰か教えて!
 また夜9時から朝4時までの夜間外出禁止令も続いています。ペルーのコローナウィルスは夜行性なんですねー。


 浜辺や河川敷も、引き続き遊びに行ってはだめだそうです(あんまり守られてませんけど…)。
 また例の、「サーフィン、パドリングその他はOK」という、なぞの決まりも生きてます。
 でも久しぶりに官報を見たら、いつのまにか「それらのマリンスポーツを教えるのはだめ」と但し書きがついていて笑いました。
 きっとこの謎法令のせいで、サーフィンなど始めたい人が激増し、問題になったのかもしれませんね。どうでもいいことに限ってへんに細かいねえペルー政府。


 まあでも、コマコマと何が変わろうと、私には関係ないです。ロックダウン後も、結局ぜんぜん外出してませんし。
 ラ・ニーニャ現象も終りかけなのか、急に暑くなって、マスク(義務)してまで外出する気にはとてもなれません。うちで猫とゴロゴロしてるほうが涼しいです。


 だからとうとうこの一年、ずーーっと生活必需品の買い出しは宿六まかせです。
 …えーと、宿六に買い物をまかせますと、少し鮮度のおちた野菜が混入していたりはしますが、別に目の色変えて怒るほどのことじゃないですものね(むかしは怒ってましたが、今は黙ってアルパカにやるだけです)
 こういう、ほんとは大した意味はなかった生活上のこだわりを、いろいろ捨てて楽になれたのは、非常事態令やロックダウンのおかげ…と言っていいかもしれません。



210314-02.jpg


大好きなリマの3月、4月。
日ざしが澄み切って本当にきれいです。


 まあそんな感じでこの一年、もともと引きこもりの私たちは、多少生活を簡略化しつつも、ほぼいつも通りに暮らすことができました。
 なによりも、一度もコローナ・ウィルスをこわいと思うことなく、淡々と過ごせたのは幸いでした。


 でもときどきテレビなどで、多くの人たちが被害者意識と、そのぴったり背中合わせにある加害者意識(罪の意識)にとりつかれ、悩み苦しんでいる様子を見るのは、なんとも辛く息苦しいことでした。


210314-01.jpg


ミゾハシカッコウの黒い羽根も、
今は銀色や水色に輝いています。


 被害者意識は、ほんとは自分自身に対する虐待のようなものだと思います。
 「なんで私がこんな目に…」という被害者意識は、私にも半生つきまとっていましたが、ロックダウンのあいだ、できるだけ自分が楽しくなるよう過ごすうちに、いつの間にかどこかに消えてしまいました。
 それで初めて、被害者でいるとちょっと偉いような気がして嬉しくて、それでずっと被害者をやめられなかった、ということに気づきました。


 これもあの、実質5か月に渡ったいまいましいロックダウンの、意外な効用でした。


210314-03.jpg


盛夏のあいだに育ちすぎた
ピンクの夜咲き睡蓮…


 ところでこちらペルーは、四月の大統領選挙を控えて、たいへん騒々しくなってきたようですね。
 でもここでは、選挙に関しては何も書きませんので、ご了承ください。
 (何かよほど間抜けでおもしろいことがあったら、書くかもしれませんが…)



210314-04.jpg


まだ暑いですが、
どことなく秋の気配が
漂いはじめました。


 昔々の2000年ごろには、私もペルーの政治を楽しみましたが、その後、トレド様とかのお顔を拝見しているうちに、ぷしゅーっと興味がなくなりました。
 結局政治なんて、経験的にも私の人生に何の関係もなかったですし。


 どんなしょうもない政治家が国政を執ろうと、また私のうちの壁の外でどんな病気がはやろうと、わざわざ特別の関心を向けたりさえしなければ、こちらにはさしたる影響もなく過ぎ去っていく…
 というのがこの世の仕組み(実は単純きわまりない仕組み)なのではないかと、このバカバカしい一年を過ごしたあとでは、なおさら強くそう思います。



2021年3月19日(金) 午後5時の室温27.3℃ 外気温27.1℃ 晴
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(40)
<2004年聖週間のクスコ @聖木曜日>



210318-02.jpg


クスコへ向かう機内から。
(2004年4月8日)


 聖週間にはまた、家に閉じ込められることになりました。
 4月1日(聖木曜日)から4月4日(復活の主日)まで、外出禁止です。その間、自家用車はもちろん、公共交通機関も動かない由。でもおありがたくも、一家につき一人だけ、徒歩または自転車での買い物がお許しいただけるとか。


 ペルー人、ほんとに大人しすぎやしませんか?
 人権の思想がほとんど行き渡っていない国(とりわけ「他人の人権」は基本尊重しない国)ということは知っていましたが、ここまで政府に押さえつけられてもみな黙っているのは、意外でした。


 まあ私にはほとんど関係ないので、かまいません。聖週間が近づくと、朝晩の気温がすっと下がって、空が高くなって……今はその快さに浸っています。
 アンデスもまた雨季の終りの、最高にきれいな季節ですね。2004年の聖週間に、三泊四日でクスコに行ったときのことを、ずいぶん久しぶりに思い出しました。



210318-04.jpg


 氷りついた絶壁の向こうに、ウルバンバ川の支流が流れる、緑豊かな谷が見えています。
 このもう少し右手には、マチュピチュ遺跡があるはずです。
 すでに大旅行をした気分です。



210318-03.jpg


 美しくも恐ろしい亀裂が、無数に入った氷河。
 自分で歩いては絶対見に行けない絶景を、こうして機上から楽して見ると、ほんと得をした気分です。
 ペルーの国内線は、(今はどうだか知りませんが)毎回少しずつ航路が違うのも楽しみでした。



210318-01.jpg


どっしりとした角錐形の
聖山サルカンタイ(6271m)が
見えると、もうじきにクスコです。



210318-05.jpg


 クスコのまわりの山々も、雨季らしい鮮やかな緑色に染まっています。

 クスコのタクシー運転手、フェルディナンおじさんの話では、この美しい若緑に輝く草地は、実のところキクユ(Pennisetum clandestinum…なんかすごい学名…)というアフリカからの外来雑草だとか。
 おじさんが子供のころ大流行し、クスコの人たちがこぞって庭で大事に育てていたのが、その後厄介きわまりない雑草と化してしまったそうです。



210318-10.jpg


キヌアと鶏のスープ。
左はトマトスープだったかな。


 このときは高山病の薬を飲んでいたので、高地に弱い私も体調万全でした。
 でも念のため昼食は軽く……



210318-06.jpg


 それから、三色のクスコのジャガイモ。
 今だったら、「これはぜんぜん軽い食事じゃない!」とわかりますが、当時は糖質がどうのこうのと無粋なことは言わない私でしたので、おいしく頂きました。



210318-07.jpg


 破れ鍋ガーデニング。こういう土鍋は、ヒビが入ったら植木鉢に転用するのがいちばん。
 ただペルーのは大抵焼きが甘くて、いずれは土に還ってしまうのが、いいような悪いような?
 私も今までに、土鍋はもう何個も土に還してしまいました。



210318-08.jpg


大聖堂脇にあったころのCafe' El Ayllu


 懐かしいCafe' El Aylluの、leche asada(固めのプディング)とコーヒー。
 これは誉めてるのですが、このカフェで出すものは、全部どこかしらまずくて、しかも量が多すぎるところが、とても味わい深くて好きでした。まずいというか…私にはなじみのない別の時代の味、と言ったほうが近いかな?


 お醤油ビン風のコーヒーエッセンスも、懐かしいですね。リマでは絶滅したのか見かけなくなりましたが、クスコではまだ生き残っているかな?
 このエッセンスをたらして飲むcafe' con lecheも、なんともまずくて、そこが旅先らしくておいしいのです。


 1990年に初めてクスコに来たとき、そのへんで知り合った老夫妻が、このカフェで山ほどお菓子をごちそうして下さいました。日本のコロネに似た形の、でももっとどっしりとした菓子パンや、「姑の舌 lengua de suegra」という名の、長ーいパイ菓子や…
 スペイン語がわかる今、あのときのクスコに戻って、老夫妻からもっといろんな話を聞きだしてみたいです。


 このカフェの建物は、持ち主がなんとクスコ大司教区で(ったくなにやってんでしょ、耶蘇の坊さんたちはこれだから…)、2009年にとつぜん立ち退きさせられ閉店した、と聞いてとても寂しく思っていました。その時点で、約40年の歴史があったとか。タイムスリップしたような古めかしい店でしたが、私よりは若かったのですね。

 でもさっきGoogleMapで探してみたところ、今はコリカンチャ寄りのところで営業しているのですね。
 最新の写真をパラパラ見ると、元のお店にあった机と椅子が置かれ、見覚えのあるガラスケースの中には、昔とまったく同じ大きな菓子が並んでいます。良かったです。
 プラサ・デ・アルマスのあの眺めも、だいじな味のうちだったとは、思いますけれど。



210318-11.jpg



 夕食は、やはりクスコに行くたびに寄っていた、これまた何とも懐かしいレストランPucara'。
 ここの味も、ある種独特のくせ(良い意味で)があり、それがクスコの夜とは切っても切れない良い思い出となっています。


 あの不思議な、シャワーキャップみたいな布帽子をかぶったウェイトレスさんたち、お元気かな。
 開店時刻か、あるいはお昼メニューが売り切れるころ(お店が空く時刻)を狙って行って、お姉さんたちとのんびり世間話をするのも楽しみでした。


 クスコでは産後の肥立ちをよくするために、おなかにたっぷり薬草を塗って、布でぐるぐる巻きにして数日ゆっくり休む、という古来の治療法が今も残っており、お姉さんのひとりもそれを試したらすぐ床上げできた…なんてお話もここで伺いました。

 写真はたしか、ペヘレイの塩焼き。
 ちょいと焦げ目をつけた焼きかげんが絶妙です。
 ペルーのほかのレストランで、本当においしいペヘレイにあたったことは、まだ一度もありません。




 ペヘレイはPucara'に限る。


210318-12.jpg


 こちらはPucara'のaji de gallina(鶏の黄色唐辛子シチュー)。
 他店で食べると、味が寝ぼけていることが多い料理ですが、ここのはとても上手でした。


 それにしても、クスコみたいな高地に来た初日から、しっかりあれこれ食べていますねえ!
 しかもこれ夜9時過ぎです……(ダイアモックス、効きすぎてこわいほどでした)



210318-09.jpg


 夜十時ごろ、やっと高く昇った居待ち月(十八夜)。
 大きな明るい月が出るのがあたりまえの聖週間ですが、でもなんとはなしに、ふだんの月より特別に見えますね。



2021年3月30日(木) 午後11時の室温24.7℃ 外気温22.3℃ 少しもやっていますが、月がきれいです
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(41)
<2004年聖週間のクスコ A聖金曜日>



210320-01.jpg


 非常事態令は、4月末まで延長だそうです。で、あさってからはまた、4日間の聖週間自宅軟禁です。
 (そんなことしても、前日にみなこぞって買い物におしかけるだけで、逆効果しかありえないんですけどねえ…)


 更にそのあと、三度目の長期ロックダウンをやるのでは?という噂が、今ぶんぶん飛び交っています(あの無策政府はやりかねないのがこわい)。
 でも4月11日は選挙だから、少なくとも選挙前の一週間は、大丈夫かな??
 ロックダウン突入前に買い出しさえできるなら、私はどうでもいいです。悲しいことに、この異常事態にも慣れっ子になってしまいました…


******

 さて2004年4月のクスコに戻ります。
 今日はいよいよ聖金曜日。朝食は、昨晩 El Aylluで買っておいたお菓子です。



210320-03.jpg


 今日はフェルディナンおじさんと、「聖なる谷」をのんびりドライブです。特に目的はありません。
 ウルバンバ川はまだ、雨季らしいcafe con leche色に濁っていますね。



210320-24.jpg


2004年の「インカの聖なる谷」
(赤く見える畑は、
キヌアかキウィチャかな)


 google earthで同じ道を辿って、懐かしんでいたら、よけいなことに気づいてしまいました。
 ウルバンバ川と山のあいだの狭い土地を、きっちりと活用して作られていたこの畑が…



210320-23.jpg


2019年(google earth)の同じ場所


 今ではなんと、すべて宅地化してしまったようです。畑は跡形もありませんね。
 その右手の土地も、もとはみっしり植えられたトウモロコシが風にそよいで風情がありましたが、2019年には大々的に掘り返されていますね。何か大きなものを作る計画でもあるのでしょうか。
 すべては変化していくのが当たり前…ではありますが、谷の美しい一角が失われたのは、やはりちょっと寂しいですね。



210320-25.jpg


 ピサックの、コロニアル時代来のかまど(ほんとかどうかは知りませんがそう言われています)があるパン屋さんへ。
 ここも今では、カフェ・ビストロ・バル!(いったいなんなのそれは?!)に変わった由ですが、このときは真黒に煤けたパン焼きかまどがあるだけでした。
 鄙びたものが好きな私は、昔のほうが良かったと思いますが、観光客にとってはたぶん、より楽しい場所になったのでしょうね。



210320-05.jpg


 近所の人が持ち込んだとおぼしき、聖金曜日の「お肉抜きのごちそう」が焼きあがったところです。
 ペルーの人はカトリックを自称するわりに、四旬節の節制は、もうまるっきりやらないですよね。
 いちおう形ばかりお肉は避けても、ほかの食材は、むしろふだん以上に食べてませんか?という印象です。



210320-06.jpg


 いつもはハムなど入れて焼くパンも、きょうは白いチーズと玉ねぎだけだそうです。それがまたおいしいんですけど。
 ペルーのぽろぽろした腰抜け小麦パンは、まったく好みではありませんが、こういう薪の香りのする焼きたては、お話が別。



210320-26.jpg


 このパン屋さん、なぜかクイ(食用モルモット)用の家作りに、昔から力を入れていました。
 行くたびにクイハウスが豪華になっていくのが面白かったのですが、最近の写真をネットで探したら、ついにはクイハウスの高層化が始まった模様。
 まだやってるんだ、と嬉しくなってしまいました。



210320-27.jpg


 谷をあちこち走りながら、すばらしい遺跡のあるオリャンタイタンボまでやってきました。昼時ですし、そろそろ引き返しましょうか?


210320-08.jpg


 昼食は川の近くのレストランへ。
 聖金曜日の今日は、レストランで出すのも、お肉抜きの料理ばかりです。
 これはchupe de viernes、塩漬け魚と塩漬け魚卵と、海藻、ジャガイモ、お米、ミルクのスープ。
 取り立てておいしくは……なかったですが、祝祭がらみの料理は、それだけでちょっと味があります。



210320-09.jpg


 フェルディナンおじさんは定番の虹鱒フライ。
 永遠の少年、フェルディナンおじさんは、食後ボーイさんにひとこと、「わりと虹鱒に似てたよ!」といけずなことを言うのを忘れません。



210320-10.jpg


 雨の匂いのすがすがしい大気を楽しみながら、のんびりクスコへ引き返します。
 むこうの山では、もう夕刻のお決まりの雨が降り始めたようですね。私たちも追いつかれるかな?



210320-12.jpg


 チンチェーロにさしかかります。
 幸い一足先に、雨が通り過ぎていったところでした。



210320-13.jpg


 足元で咲き乱れるタルウィも、きれいなお顔を洗ったばかり。
 昔の小型デジカメは、こういう紫色を写すのがとても苦手でしたよね。
 でもこのちょっとずれた色調も、今では思い出の一部みたいになっています。



210320-15.jpg


 少なくともこの2004年ごろは、聖週間のクスコに、おおぜいの観光客がつめかけることはなかったようです。
 みごとな畑のパッチワークで知られるこの場所も、誰ひとりいなくて、しーーん…としています。
 雨に洗われて、すみからすみまで、なにもかもがみずみずしい風景です。



210320-07.jpg

(2004年6月撮影)


 このあと4月なかばに雨が終ると、ほんの二ヵ月後には、こんなに色どりが変わってしまいます。
 麦の金色のおかげで、まだパッチワークらしさは保たれていますけれど。



210320-14.jpg


 昔懐かしい、つぎはぎパノラマ写真。(自動でパノラマを撮る機能なんて、なかったですもんね!)
 左端の濃い緑色は、ムラサキウマゴヤシのようですね。
 今すぐここにチャスカとチャスキを連れてきて、思う存分たべさせてやりたいな…あまりの損害に、きっとすぐ訴えられるでしょうけど…



210320-17.jpg


 冷たい雨を追い越したり、追いつかれたりしなから、クスコ市内に戻ってきました。
 聖金曜日の早朝から開かれる薬草市、Hampirantikuy(「健康」を買うところ、ほどの意)の売り手たちが、夕方になってもまだ居残っていたので、ちょっとのぞいてみます。(たしかこれは、サンタ・アナ広場だったでしょうか…)



210320-18.jpg


 聖金曜日には、キリストが流す血のおかげで、薬草の治癒力がとても大きくなるとか。
 そこで近隣の人たちは、野山でありとあらゆる薬草を集めて、クスコまで売りに来るそうです。きっと売るほうも買うほうも、この季節ならではのお楽しみとなっているのでしょう。


 (でも「聖週間=ロックダウン」の今年は、こういうささやかな楽しみも全部禁止なんでしょうか?
 そんな無粋なことをするほうが、よほど健康には良くないと思います。しかも二年続きで聖週間お取りやめ、ですし)


 クスコの聖週間には欠かせない、ニュクチュの真赤な花(Salvia oppositiflora)を、ここで1ソル分だけ買ってみました。
 ほんのひとつかみほど、と思ったのですが、ポジェラ姿の奥さん、こぼれた花も丁寧に拾いあげつつ、どんどん袋に詰めていきます。
 そしてとうとう、広げてあった花は、ぜんぶ入ってしまいました。



210320-16.jpg


 でも薬草市でいちばん目立つのは、この色とりどりの十字架です。さまざまな薬草や野の花といっしょに、ニンニクまで束ねられています。
 これを家の扉の裏にかけておくと、良い厄除けになるのだそうです。



210320-22.jpg


 宿の部屋に、ちょうどからっぽの棚があったので、夜戻ってからモージェの枝といっしょに飾ってみました。


210320-19.jpg


 「聖週間には、甘いものをたくさん食べなくちゃだめなんです!少し用意しておいたから、うちに寄って食べてってください」
 そう言われて、フェルディナンおじさん宅におじゃまします。
 するとテーブルの上にはもう、今が出盛りの梨や桃、リンゴのシロップ煮や、こんがり焼いたロスキート(ひねった縄の形のクッキー)が並べてありました。


 でも、高山病薬を飲んでいるとはいえ、富士山級の高地滞在二日目…
 そろそろ酸欠が胃にひびきはじめた私は、ほとんど食べられず、フェルディナンおじさんをがっかりさせてしまいました。
 あとで帰宅した奥さんも、「あら……ぜんぜん減ってないのね」とおっしゃったとか。すみません。



210320-20.jpg


 それでもおいしく感じたのが、このEmpanada dulce。
 エンパナーダというと、ふつうはお肉が詰め込まれた半円形のパイですが、クスコの聖週間のエンパナーダは、ぺちゃんこの薄い焼き菓子です。


 作り方はかんたんで、トウモロコシ粉と小麦粉、砂糖、ラード、卵などを混ぜて、ピスコでちょいと香りづけして、オーブンペーパーの上にうすーく伸ばして焼くだけです。でもやはり雨のクスコで齧らないと、ちょっとあの味は出ないかな。
 物悲しいような薄甘さで、またトウモロコシ粉のせいでぽろぽろ儚く崩れてしまうのが、とてもいいのです。

 上には色とりどりの飾りをまぶしますが、この砂糖粒もむかしはアイランポ(小型サボテンの赤い実)で染めたそうです。古い時代のそういう悠長さ、好きだなあ…



210320-21.jpg


 お宿に戻る前、アルマス広場で、磔刑後のイエスさんに出会ってしまいました。痛々しいので、あまり会いたくなかったのですが。
 お棺の上には、イエスの血を象徴するあのニュクチュの花が、山盛りに載せられています。
 傷ついたイエス像の生々しさも、ニュクチュのおかげで、少しだけやわらいで見えるような気もします。


 この小さな花を、こんなにたくさん集めるには、いったいどれほど手間がかかったことでしょう。
 でもそれよりもっと感動するのは、いまクスコ周辺の野山では、これだけ摘み取ってもまだ残るほど、とんでもなく多くのニュクチュの花が咲き乱れている!ということです。



210320-02.jpg


 やや遅れて、悲しみに打ちひしがれた聖母マリアがやってきました。
 マリア像もやはり、胸元やマントの裾が、無数のニュクチュの花で飾られています。


 長年カトリック国ばかり見てきましたので、こういう祝祭は失礼ながらもう飽き飽き、今はまったく興味はありません。
 しかしこのニュクチュの花を(かつてはアンデスの神々に捧げられていたという花を)、上手に祭儀に取り入れたところは、さすが良くも悪くも海千山千のカトリック教会、なんともかんとも気がきいていて、やはりちょっと心惹かれてしまいますね…



2021年4月5日(月) 午後5時の室温27.4℃ 外気温26.3℃ 晴れ
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(42)
<2004年聖週間のクスコ B聖土曜日と復活の主日>



 おかげさまで、聖週間の4日間の外出禁止は、難なくやりすごしました。
 ほとんどのパチャカマックの人たちは、自由に外出していたようですけれど…。でもこういうとき、「外人」は悪目立ちするので、うっかりしたことはできません。
 大人しく家にいて、蝶を探したり、ヒアリに噛まれながら庭仕事に打ち込んだりしておりました。(ヒアリに襲われたときは、直ちにニームオイルを塗ると腫れあがらない、ということを人体実験によって確認できたのは、今回の自宅軟禁の大きな成果でした!)



210401-01.jpg


 さてまた2004年4月のクスコに戻ります。今日は聖土曜日。
 きのうは例年どおり、イエスの磔刑も無事(……無事?)終り、町の空気もどこかしら、ふっと和らいだような気がします。いえほんと宗教って、考えれば考えるほどひどいものですねええ。


 きょう午前中は、クスコのサン・ブラス地区にある、サンティアゴ・ロハスさん(当時86歳)の工房を訪問。
 だいぶ前に注文した、パウカルタンボのママチャ・カルメン(聖母マリア)像を、やっと受け取ることができました。


 サンティアゴさんが、「私が作ったママチャ・カルメン、という何よりの証拠になるから、いっしょに写真を撮ったらどうかな?」とおっしゃるので、奥さんといっしょに並んでいただきました。
 マゲイ(リュウゼツランの芯)で作られたこのマリア像の、凝った衣装は奥さんの手縫いです。



210401-03.jpg


若き日のサンティアゴさん


 そのあと、物持ちの良いサンティアゴさんが、昔の雑誌をたくさん出してきて、古い貴重な記事をあれこれ見せてくださいます。
 上の白黒写真のサンティアゴさんは、まだ40代前半です。



210401-04.jpg


 1961年の、O CRUZEIRO という雑誌。
 ブラジル発行の写真週刊誌で、1950年代60年代には、ペルーなどラテンアメリカ諸国でもスペイン語版が出ていたそうです。
 (表紙のhombres rana(カエル人?)ってなんでしょう、軍の潜水士のこと?)



210401-27.JPG


 サンティアゴさんの生まれ故郷、パウカルタンボで開かれる聖母祭の、すばらしい白黒写真も載っています。
 これは聖堂からしずしずと、ママチャ・カルメンがお出ましになったところです。
 集まった人々はみな古風なポンチョ姿で、実にいいですね!この時代のパウカルタンボに行ってみたいなあ。



210401-02.jpg


 サンティアゴさんの狭い工房の床に、製作途中のお面が積み上げられています。
 ママチャ・カルメンの踊り手たちのお面、「マヘーニョ」のようですね。アレキーパのマヘスからやってくる、葡萄酒や蒸留酒の商人に扮する踊りです。


 きたる7月の聖母祭に向けて、たくさん注文が入ったそうです。
 厚紙を貼り合わせて石膏で仕上げたお面は、軽くて踊りやすいかわりに、どうしても欠けやすく、そのため祝祭のあとは、今度は修理の注文で忙しくなるそうです。



210401-26.JPG


90年代後半の(いつか忘れた…
フィルム写真はこれが困る…)
パウカルタンボの聖母祭


 お祭の初日、革の上着に絹のネクタイとスカーフを巻きつけ、馬に乗って意気揚々と村に入るマヘーニョたち。
 この身なりだけでもわかるように、マヘーニョの踊り手は、羽振りの良い人が多いとか。ひと昔前だと、荘園主の子息が踊ることが多かったそうです。


 お面作りの職人はクスコに数あれど、いちばん人気があって手に入れ難く、またお値段もそれなりだったのが、サンティアゴさんの作品でした。
 でもマヘーニョたちは余裕がありますから、もしかしたらこの年は全員のお面を新調することにして、まとめてサンティアゴさんに注文したのかも?しれませんね。



210401-05.jpg


 工房を辞したあと、またフェルディナンおじさんと合流して昼食です。
 豚のから揚げ、パパ・レジェーナ(ペルー風コロッケ)、玉ねぎサラダ添え。
 右奥の白いのはウミータ(クスコ式の、ふわっと発酵させたトウモロコシの甘い蒸しパン風)。
 そして左下はモラヤ(天然フリーズドライ・ジャガイモ)。糖質祭ですねー。


 パパ・レジェーナはコロッケの一種ですが、日本のコロッケとは違って中に具が詰まっています、牛ひき肉や玉ねぎ、レーズン、みじん切りにした黒オリーブ、ゆで卵などです。
 昔々、一度だけ当地で日本風のコロッケを作ったことがあります。でも、出来上がりを見てパパ・レジェーナを期待した宿六に、「あれ?中に何も入ってないよ?」と言われ、非常〜に気をわるくした私は、以来現在に至るまでコロッケもパパ・レジェーナも作ったことがありません。
 もうぜったい二度と作らない。



210401-12.jpg


ただドライブしているだけで
幸せになる今日のお天気!


 さてお昼も済んで、あとはどうしましょう。何も予定はありませんが、上天気なので少し遠出してみたい気分です。
 「だったら、ピキジャクタ遺跡に小さな博物館ができて、妙なものを展示しているから、それでも見に行きますか?」
 とのフェルディナンおじさんのお勧めに従うことにします。妙なものって何かしら?



210401-09.jpg


 広大なピキジャクタ遺跡は、今日は素通りです。小さな博物館にだけ入ります。


210401-06.jpg


グリプトドンの甲羅
(後ろ姿)


 フェルディナンおじさんの言う妙なものとは、これでした、巨大アルマジロ、ことグリプトドン!
 なんとも奇妙なこの哺乳類は、更新世に最長3メートルまで巨大化、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、それにペルーアンデスあたりを這いまわっていたらしいです。生前にお会いしてみたかったです。



210401-07.jpg


グリプトドンの甲羅(正面)
頭の上にも甲羅があるのが
実にアルマジロっぽいですね


 これはグリプトドンにしては小ぶりのようですが、それでも中に入れるくらい大きいです。


210401-08.jpg


グリプトドンの中身の骨格


 グリプトドンは、丈夫な甲羅を利用したい人間による乱獲、および気候変動との相乗効果で、一万年ほど前に哀れ絶滅した…とされています。
 「でもきっと、肉も旨かったんじゃないかな…?」とつぶやくフェルディナンおじさん。


 (当時は本当に、この巨大アルマジロしかいないミニ博物館でしたが、その後展示品は増えたのかな?
 思いがけない変なものを、こうして間近で見られて、私は大満足でしたけれど)



210401-10.jpg


 すぐ近くの遺跡、ルミコルカに寄って、しばらく風に吹かれて、それからクスコに戻るとしましょう。

 この遺跡は、東からクスコに入る幹線道路沿いにあります。
 夜遅くにここを通ると、ルミコルカの上にチラチラと鬼火がともっていることがあり、もしそれを見てしまうと悪いことが起きる…と、昔は非常に怖がる運転手諸氏も少なくなかったとか。
 でもフェルディナンおじさんは一切気にせず、何度も深夜に近くを走ったそうですが、残念なことに怪しい火を見たことは一度もないそうです。



210401-11.jpg


 ワリ期に遡る…とされる巨大な城門ですが、表面のきっちりとした積み石は、インカ期のものだそうです。
 あいかわらずインカ期の職人さん、隙のないお仕事ぶりです。



210401-13.jpg


 今日は一日、雨も降らず良いお天気でした
 明日はリマかー…帰りたくないなあ。



210401-14.jpg


 深夜のクスコの大聖堂。
 今年もまたつつがなくイエスは復活し、集まった信者さんたちも、嬉しく復活の主日のミサに参列したようです。良かったね。



210401-15.jpg


 クスコの聖週間の主役たる、Taytacha de los temblores(地震のキリスト像)に、遠くからちょっとご挨拶。


210401-16.jpg


 翌朝。
 お昼の便に乗る前に、ひとっぱしり大聖堂わきのCafe El Aylluへ。あの「おいしいまずさ」の食べ納めです。
 少し発酵しすぎた、やや不安になる味わいのヨーグルトサラダと、アンデスらしいぽろぽろしたパンを急いで齧ります。



210401-17.jpg


 お宿に駆け戻り、あたふたスーツケースを閉めていると、早くも窓の下には、フェルディナンおじさんのお姿が…
 約束の時刻の30分前には到着&待機に入る、ペルーではめったに出会えない、超優良タクシー運転手さんです。



210401-22.JPG


 「すぐまた6月に来ますから!」とフェルディナンおじさんに挨拶し、小さな空港に入ります。
 ほんの数日の旅でも、さいごに飛行機が飛び立つときの寂しさは、格別ですね…
 もちろん旅にはわずらわしさも多いので、もともとの居場所に戻る嬉しさと、非日常が終ってしまう寂しさと、両方がまぜこぜになった気持ちです。
 たぶん今回の人生を終えて旅立つときも、同じような気持ちになるのでしょうね……と、飛行機に乗って離陸するたびに思います。(逆に言いますと、あの世への旅は、実はそれくらい容易などうってことない旅なんです)



210401-23.JPG


 雨季の雨を集めて流れる川が、だんだん幅広くなっていきます。だいぶ海が近づいてきたようです。


210401-25.JPG


 いつもはリマに近づくと、必ず窓外がもやもや白くなってきますが、真昼だったおかげでしょうか、今日は上天気です。
 雲一つない快晴の中、パチャカマックのクジラ島上空にさしかかりました。
 クジラの尾にあたる島のまわりを、潮の白い流れが取り囲み、まるで火炎に包まれた宝珠のようです。なんと美しい!



210401-30.JPG


 ミラフローレス上空を通過中。
 左手に、当時はまだ開業して4年とたっていないマリオットホテルと、6年目くらいのラルコマール・ショッピングセンターが見えています。



210401-24.JPG


 サン・イシードロのゴルフ場もくっきり見えます。
 (市内の一等地の、この広大な緑地が会員制ゴルフ場だなんて、本当にもったいないことです。
 これが新宿御苑のような公園になったら、リマもいくぶんともマシな街になるでしょうに…)


 真夏でもないのに、リマがここまで靄一つなく晴れているのは、ちょっと珍しいほどの幸運です。しばしリマ遊覧飛行を楽しみます。


210401-21.JPG


 マグダレーナ・デル・マール上空。
 当時はこのあたりの浜辺は、荒れ果てたゴミ捨て場状態でひどかったのですが…



210401-20.JPG


2020年のgoogle earth画像


 その後、この写真のようにきれいに整備されて、すっかり変わりましたよね。
 カヤオの空港から自宅まで、いつもタクシーでここを通るので、浜辺がきれいになったのはとても気分がいいです。


 なお2021年現在、この界隈の海ビュー高層物件は、50平方メートルのミニ(当地的にはミニ)アパートで1千万円!…とかで販売されております。
 おそろしいことです。



210401-18.jpg


 わが家に到着したサンティアゴさんのママチャ・カルメン。
 もったいなくも、水色、ピンク、白の三色のトイレットペーパーで包まれています。(この一重のガサガサしたトイレットペーパー、今でもペルーにあるのかな??)
 それをそっとはがしていくと、下のほうには新聞紙も入っています。どうもそれが、古新聞にしても古すぎる新聞なので、開いて眺めてみますと…



210401-28.JPG


 …いちばん古いのは、これ!1968年6月16日のものでした!(La Prensa紙)
 さすが物持ちの良すぎるサンティアゴさん夫妻!


 洋楽(というのも変か…)ランキングの欄で、ペルーでは今、サイモン&ガーファンクルのミセス・ロビンソンがヒット中だそうですー
 左上に、懐かしい九ちゃんの写真も見えますが、ざんねんその記事の部分は欠けています。
 九ちゃんは1968年、リオの歌謡祭に出演したようなので、その話題だったのかな?



210401-19.jpg


 ハシンタ一世へのおみやげは、クスコのとれたてトウモロコシ。
 トウモロコシやジャガイモがとても好きな猫だったので、さいしょの飼い主さんはアンデス系の人だったのかな?と思います。
 ハスミン一世のほうはトウモロコシには興味ゼロ、それより聖母を包んでいたトイレットペーパーで転げまわるほうが楽しそうでした。



210401-29.JPG


 サンティアゴさんご夫妻は、90代なかばまで元気に長生きなさったのちに、たいへん穏やかにあちらの世界へと旅立たれました。
 さいごのさいごまで、細かな手仕事を続けていらしたそうです。そういう人は大抵いつまでもお元気だし、旅立ちもごく自然なんですよね。


 そして、サンティアゴさん夫妻の代理人としてこの世に残った、ママチャ・カルメンとその踊り手たちは、少しも色褪せることなく、きょうも私の飾り棚の中で、賑やかに聖母祭を祝いつづけています。


2021年4月11日(日) 午後11時半の室温26.9℃ 外気温21.9℃ ほぼ晴れ
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(43)
<政治色なしの(農村色だけの)ペルー選挙特集>



210409-26.JPG


1995年のクスコ、「聖なる谷」
Valle sagrado de los Incas, Cusco


 今日11日は大統領選挙が行われました。
 今回はなんと18人も(チャスキ・コチャユーヨ候補以外に…)候補者がいるそうで、票が細かく分散してしまい、6月の決選投票に持ち込まれるのはほぼ間違いない見通し…のようです。
 私は個人的には興味ゼロ、誰が大統領になってもぜんぜんオッケーという境地?です。なにしろ初めはどうなるかと案じたトレド、アラン・ガルシア、ウマラ等々の時代を、ぜんぜん平気で生きのびましたから、もう今さら怖いものなんかありませーん!


*****

 ところでペルーに引越してきたころ、当地の選挙広告には驚かされました。そのへんの民家の壁に、でっかでかと「手書き」されているのですから。
 それに選挙が終っても、誰もそれを消さないのですよね。まあ負けた候補者たちは、もう賄賂のあてもなくて、資金難で消すに消せないのはまだわかります。
 でも、ありとあらゆるカラ約束をして勝った政党も、古びた広告を永遠にほったらかしなのは、あまりにごりっぱすぎますよね。



210409-25.JPG


1995年のクスコ、「聖なる谷」
Valle sagrado de los Incas, Cusco


 「あなたが知っている通り、彼はちゃんと仕事します」と青字で書いてあります。
 ふつうは当選したあと仕事はしない、ということが、もはや前提になっているのがおそろしいですねえ。



210409-28.JPG


1996年のクスコ、ワサオ村
Huasao, Cusco


 村の目抜き通りの壁は、ほとんどぜんぶ、選挙広告が書かれています。
 書かせてあげると何か見返りがあるのかしらん?



210409-29.JPG


1999年フニン県ワイレ村
(チンチャイコチャ湖畔)
Huayre, Junin


 政党がハートマーク使うなんて、うさんくさすぎますが、写り込んだ人たちのおかげで、ほのぼのした風景に見えますね。


210409-03.JPG


2004年のクスコ、「聖なる谷」の確かカルカ?
Calca, Cusco


 聖金曜日の聖像行列がしずしずと通る道に、若者たちが花の絨毯を制作中。
 でもよくみたら、これも政党の広告じゃないですか!いやーね。



210409-15.JPG


2006年、リマのどこか


 懐かしのアラン・ガルシアのポスターを貼って走る乗り合いバス。

 アラン・ガルシアが自殺したのは、ずいぶん昔のように思っていましたが、調べてみたらつい最近の2019年だったんですね。
 先ごろkotetsuさんに、マンデラ・エフェクトというのを教えてもらいましたが、もしかするとその一種かも!
 まあ科学的?説明としては、去年と今年の自宅軟禁が長すぎて、2019年がものすごーく遠く思えてしまう…ということでしょうか。



210409-01.JPG

2007年4月
アヤクーチョ、ビルカスワマン近く
Vilcashuaman, Ayacucho


 風情ある草葺き屋根のおうちに、でこでこと選挙広告が書かれて、のどかな田園風景をだいなしにしていますが…
 ルーチョ!とか名前が大書してあると、ちょっとかわいかったりもしますね。



210409-02.JPG


2006年4月 中央道マトゥカーナあたり??
Cerca de Matucana?, Lima



210409-05.JPG


2007年4月 アヤクーチョ Ayacucho
ガソリンスタンドの壁も、
何度も書きかえられた
選挙広告でいっぱいです


 聖週間には、リマから大勢の観光客がアヤクーチョに押しかけます(去年と今年はなかったけど…)。
 到着日はまちまちですが、帰るのはみんな「復活の主日」です。
 それでアヤクーチョや近郊の子供たちのあいだでは、その日は道ばたに立って、走り去る無数の車にせっせと手を振るのが、大流行しているようでした。
 別にお菓子か何かをねだるのではなく、ただニコニコして手を振ってくれるのです。かわいかったなあ!!



210409-04.JPG


2007年4月 アヤクーチョ
民家の壁に、例の赤い星…


 特にわすれがたいのがこの少年。年一回だけの特別な日のために、赤ダスキで正装!してお手振りです。
 ちょっぴり恥ずかしそうに首をすくめて笑っていて、ぜーったいいい子ですよね、こういう子は。一瞬で通り過ぎてしまいましたが、ちょっと降りてお話ししてみれば良かったなあ。



210409-07.JPG

2007年10月、ワイラス渓谷カラス近郊
Caraz, Ancach


 ワスカラン国立公園の入り口の、すぐ近くまで選挙広告が押し寄せています〜
 都会のセメント壁に書かれた広告は、放置されると汚くなるだけですが、農村に多い日干し煉瓦の広告は、ゆるゆると風雨で崩れていって、うまくするとまれに芸術作品化するものもあります。



210409-06.JPG


2007年10月、ワラス郊外
Huaraz, Ancash


 町内会の聖人祭も、どこにでもある選挙壁の前で開かれています。


210409-08.JPG


2007年1月、ハウハ
Huaripampa Jauja, Junin


 楽しそうな奥さんのうしろの選挙壁は、何度も上塗りして書き換えたものが雨に洗われて、もう何がなんだかわからなくなっています。
 かすかにCAMBIOと見えるのは、もしかして1990年の「CAMBIO 90」の一部かも?!



210409-09.JPG


2007年1月、ハウハ
Huaripampa Jauja, Junin


 選挙ポスターもありますが、人が多い町なか以外では、まず見かけませんね。
 しかしこの広告、同じのを十数枚も並べてありますが、そんなことして意味あるのかなー。
 おそらく、ポスター貼りの手間賃が出来高だから、ちょっとずるをしているのかも。



210409-12.JPG


2008年、マンタロ渓谷コンセプシオンあたり?
Valle del Mantaro, Junin



210409-13.JPG


2008年マンタロ渓谷、コンセプシオン?
Valle del Mantaro, Junin


 この広告壁は、けっこう芸術作品化が進んでいますね。
 その前でおじさんたちが、出荷する豚を苦労して縛っています。



210409-14.JPG


2008年、マンタロ渓谷,
Valle del Mantaro, Junin


 これも年季の入った日干し煉瓦の選挙壁。
 されいな明るい目をした奥さんの、良い背景になっています。



210409-17.JPG


2008年、マンタロ渓谷
Valle del Mantaro, Junin


 マンタロ渓谷には珍しい、小さなアルパカ農場で。
 この選挙壁はセメント仕上げなので、古くなっても味が出ませんね。


210409-18.JPG


2008年1月6日、マンタロ渓谷ミト村
Mito, Valle del Mantaro, Junin


 三賢王も、古びて青く焼けた選挙ポスターの前を、しずしずと進んでいきます。


210409-16.JPG



 ミト村のおうちに作られた、聖ヤコブ(サンティアゴ)の小さな祭壇。
 マンタロ渓谷ではサンティアゴ信仰(かわいらしくなまって「タイタ・シャンティ」とも呼ばれます)がとても盛んです。


 その左下に、どこかで見た女性の顔が…
 おおこれは、ちょっと懐かしい気もする、あのルルデス・フローレスさんですね。


 たしかこの方、フジモリ後の2001年大統領選挙のとき、出しゃばりなお父さんが対立候補トレドのことを、あろうことか「Auquenido de Harvard、ハーバード出の南米ラクダ科動物!」などと呼んだせいで、ペルー初の女性大統領になりそこねた?のかも?…とも言われていましたね。

 たしかにとんでもない発言です、いくらなんでも、南米ラクダ科動物に失礼すぎます!…よね?


210409-33.JPG


1995年のタキーレ島
Isla de Taquile, Lago Titicaca


 ところかわってティティカカ湖上のタキーレ島。
 島の個人宅や民芸品販売所、レストランなどでよく見かけた、このフジモリ大統領カレンダー。
 こういうのって政府が配るのか、それとも目先の効く印刷屋さんあたりが作るのかな。
 (果たして日本に、ガースー・カレンダーを喜んで貼るおうち、あるかしら…?)



210409-34.JPG


1995年のタキーレ島
Isla de Taquile, Lago Titicaca


 左のカレンダーが貼ってあった民芸品販売所。
 いまはもっと大きくなったらしいですが、当時はこんなに簡素で味のある建物でした。



210409-35.JPG


2000年ごろのタキーレ島。
Isla de Taquile, Lago Titicaca


 タキーレ島にもいる、「政治家」たちとその令夫人。
 島のお役所の壁には、フジモリ・カレンダーの新バージョンと古いのが一緒に貼ってあります。(ところで右のポスターの、なんとなくビスカチャ風のおじさまはだれ?)



210409-19.JPG


2009年10月、カハマルカ県カハバンバ近く
Cajabamba, Cajamarca


 これぞ真のミニマムライフと言うべきか。心惹かれますこのおうち。
 小さく頑丈に囲った庭に、ウチワサボテンが植えてあるのもいいですね。とことん守りの姿勢、という感じがします。
 壁には選挙広告や、アラン政権の標語などが書かれているようです。



210409-20.JPG


2009年10月、カハマルカ県のサン・マルコス
San Marcos, Cajamarca


 だいぶ古びた選挙壁の前で、日曜午後のビールを楽しむ人たち。


210409-21.JPG


2009年10月、カハマルカ県のサン・マルコス近く
San Marcos, Cajamarca


 ここまできちゃうと、むしろ美しいですね!
 青空と同じ色の文字と、太い「」の数字がすごく効いてます。巨大化したリュウゼツランも良い仕事をしています。



210409-22.JPG


2010年3月、アンダワイラス郊外
Laguna Pacucha, Andahuaylas


 サボテンが植えこまれた日干し煉瓦壁の、古びた選挙広告。かなり芸術作品化しています。
 (こういうサボテン壁を(選挙広告はいらない)、パチャカマックのうちで作りたかったのですが、サボテンが育つのを悠長に待っていたら、その前に泥棒が入るので無理でした。いずれにしても一度入ったけど…)



210409-23.JPG


2010年5月、ワンカベリカ県ワンドあたり?
Huando, Huancavelica


 奥のおうちに書かれた選挙広告は、もうほとんど消えかかっています。


210409-30.JPG


2010年5月、ワンカベリカ
Huancavelica


 選挙壁はいつも、撮りたくないのに勝手に写りこんでいるのですが、これだけは大喜びで写しました。
 前にもお目にかけたことがありますが、この政党のマーク、とても気に入っています。
 おいしそうなペルアナ種のジャガイモ(赤紫とクリーム色のぶちになったジャガイモ)が、なかなか本物らしく描かれています。
 「(投票時には)おジャガにバツ印してね!」と大きく書き添えてあるのもなんか好き。


210409-24.JPG


2010年5月、ワンカベリカ
Plaza de Armas, Huancavelica


 お祭り会場でペルー国旗を手に、一所懸命踊ってみせる市長?さん。
 「これも未来の票のためだー!」というところかな。
 市役所主催の歌謡コンクールに参加していた女の子は、ワンカベリカの華やかな民族衣装がよく似合って、お人形のようですね。



210409-31.JPG


2013年10月、パチャカマック
Pachacamac


 さてこちらはわがパチャカマック。
 毎年10月(去年はなかったけど)、パンプローナの牛追いをまねたお祭が開かれます。
 でも本場とは大ちがいで、小さなかわいい牛さんが数頭走るだけの、たいへんショボいお祭で、パンプローナに申し訳ないみたいですが、地元の人たちは大喜びです。



210409-32.JPG


 で、みなさんお揃いのTシャツを着ていますが、これも実は選挙対策。区長の名前が大きく印刷されています。(いくら無料で配られても、他人(それも政治家)の名の入った服を着る心理は、私にはわかりません…)

 このラモス区長は、ある意味おみごとな人物で、とにかく人気取りに徹底した政治を行い、お祭にだけたっぷりお金をかけて、花火などもケチらずバンバンあげるので、たいへん人気があったそうです(笑)
 十年以上の長期政権を誇っていましたが、そういえばいつのまにか消えましたね。



210409-10.JPG


2007年 マンタロ渓谷
ハウハ郊外モリーノス村
Molinos, Valle del Mantaro


 ちょっと古い写真をかきまわしただけで、けっこうたくさん選挙壁その他のスナップが見つかりました。その中でいちばん好きなのが、この二枚です。
 選挙壁に囲まれた道を、羊の群れが渡っていきます。
 それにつられて、左の少女の羊も道を渡り始めてしまいました。少女の家は、右ではなくて左のほうにあるらしいのですが。



210409-11.JPG


2007年 マンタロ渓谷
ハウハ郊外モリーノス村
Molinos, Valle del Mantaro


 大きな羊とつな引きをするうちに、勢い余ってストン!…ところんだ幼い女の子。
 ちらっとこちらを見た表情は、恥ずかしそうにも、誇らしそうにも見えます。自分よりずっと大きな、こんな立派な羊の世話を任されているのですものね。



2021年4月22日(木) 午後11時半の室温24.1℃ 外気温19.5℃ 晴れかな?星が見えます
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(44)
<外出禁止の静かな夜に…>



210419-03.JPG


秋の上天気が続いております!


 いまペルーの人たちは、なかなか大変そうです、コローナの心配に加えて、大統領選への不安まであるのですから。
 でもまあ、選挙のほうは自分で作った心配ですよね…
 ほんとペルーのみなさんは、選挙のたびに、いちばんあぶなっかしい候補を選び出すことにかけちゃ、もうほとんど天才的です。(25年以上きちんとペルーに税金払ってきましたから、これくらいは言わせていただきます)。
 で今回は、ペルー版エボ・モラーレス的な、なんとも時代遅れなことばかり言う人物が、有力候補なんだそうですね。


 ただそういうタイプの人って、ほんとは自分というものがあまりなくて、その虚無を埋めるために他人が作った主義主張に縋り付いている、というケースがけっこう多いように思います。
 なので、もし当選して急に環境が変わると、別の色に染まったり腐敗したりするのも超早いですから、なにも今から心配するほどのことはなさそうですね。


 対するケイコさんのほうは、うーん、どうもときどき馬鹿正直すぎるのが惜しいですね。
 政治家は当選してなんぼ。決選投票を控えた今はなおさら、嘘も方便です。
 大統領にさえなってしまえば、ほっといても世間の半分以上は靡いてくるんですから、それから何でも思うように物事を運べばいいのに、そういう腹芸は苦手な人のようですね。
 あと、いささか側近に流されやすい傾向もあるそうですが、それはお父さん譲りかなっ。



210419-04.JPG


「集団接種用大型ワクチン到着??」
宿六の同窓生から流れてくるのは、
酒ネタばかり。


 さて、すっかりおなじみとなりました当地ペルーの非常事態令は、またまたまたまた延長されました。
 夜間外出禁止もバリバリ続行中で、また日曜の終日外出禁止令も戻ってきてしまいました。いやーね。


 それから外出時のマスク着用に加えて、市場やデパートなどでのフェイスシールド使用も義務化されました。
 その手の小細工に何の意味もないことは、一年以上むだな実験を重ねて、じゅうぶんわかってるはずなんだけどなあ。

 (4月25日追記。24日に出た官報では、フェイスシールドではなく「二重のマスク」が義務、となってました。
 バカはどっちも同じだけど、三回目のロックダウンよりはマシ)


 (しかたないので、初めてフェイスシールドをひとつ買いましたが、こんなものつけてまで外出したくないなあ…
 (二重のマスクはもっといやだ…喘息体質でそんなことしたら息詰まっちゃうよ)
 フェイスシールドは今までも乗り合いバスでは義務でしたが、見てるとみなさん息苦しいのでしょう、上にはね上げて使っています。ますますもって無意味ですね。私はたぶん、庭でアルパカと遊ぶときに着用し、つばを吐かれたときの備えとしようと思います)

 世界の情勢はおおざっぱなところ、変異株が次々と出てきて、感染率はぐいぐい高まり、でも重症化率が下がっている……
 ということはたぶん、少なくとも終りが(いつかはわからないけどだいぶ)近づいている証拠でしょうから、今さらよけいな悪あがきはやめて、淡々といつも通りにやり過ごすのが一番と思うんですけどね。


 今のところペルー政府は、新たなロックダウンはやらないと言ってるようですが、前回のロックダウン直前にもそう言ってたので信用できません。
 だいたい一日の死者数が200人を超えると、あの政府はソワソワ挙動不審になってきて、結局は「何かやってるふり」をするためロックダウンに走るんですよね。
 いま現在は連日300人、400人をこえているようなので(…その数え方については言いたいことが山ほどありますが、まあやめておきます…)、今後どんな暴挙に走っても不思議はありません。必需品の買い置きだけは心がけつつ、いつも通りに楽しく暮らそうと思います。



210419-02.JPG


 気分転換にシエネギージャまでドライブしたら、途中の吊り橋が落ちていました……
 あらららら…。しかし落ちた橋って、なかなか絵になりますね。



210419-01.JPG


 トレーラーの運転手が、ケータイ片手によそ見運転をして、吊り橋のケーブルを土台ごと持ってっちゃったらしいです。
 なお現場のすぐ横では、おばちゃんたちがジュースや駄菓子の屋台を出しています。見物人でも来るのかしらね?



210419-05.JPG


 さて、リマなりに秋も深まり、園芸にはもってこいの気候となってまいりました!
 キチョウを呼ぶため、新しく植えた「カリアンドラ」(南米のネムノキの一種)が、赤い花を咲かせています。
 これ、園芸店の人もよく「カランドリア」(小鳥の名)って言いまちがえて、かわいいんですよね。



210419-08.JPG


 こちらが本当のカランドリア(クロヒゲマネシツグミ)。庭いちばんの歌い手です。

 そういえば数年前までは、庭にはこんなふうに小花がいろいろ咲き乱れていましたが、アルパカ導入後にすべて食い尽くされてしまい…
 しばらくは緑ばかりの眺めをがまんしていましたが、ずーっと家にいて、緑すぎる眺めにも飽きてきたので(ぜいたくとは思いますが、でもやっぱり飽きます…)、少しずつ色とりどりの花を植え直しています。



210419-09.JPG

チャスカ「それ私のおやつ?(ワクワク…)」
だめ!あんたたちは見るだけ!


210419-10.JPG


「ひどーーーい!食べたーーーい!」


 花はもちろん、アルパカ阻止柵のこちら側に植えています。


210419-11.JPG


 あまりに赤いので敬遠していたサルビアも、生まれて初めて買ってみました。リマの灰色の冬には、けっこう目を楽しませてくれるかもしれません。

 左のピンクのポンポンは、センニチコウなのは確かですが、南米にはたくさん品種があってどれだかわかりません。
 園芸店の人は多年草と言っていました。だといいな。(いずれにしてもここリマでは、大抵の花は多年草化しますが)



210419-12.JPG


 センニチコウの当地での呼び名は、siempreviva(いつでも元気、ずっと元気)。
 でも同じカサカサ系のスターチスも、まったく同じ名で呼ぶので紛らわしいです。
 国によっては、センニチコウを amor seco (乾いた愛)と呼ぶところもあるようですね。乾いても色が変わらない愛なら…けっこうわるくないかも?


 その乾いた愛を植えるとすぐに、シジミチョウがやってきました!見た目は乾いていても、ちゃんと蜜があるんですね。
 この蝶は、庭で何度も会った顔なじみの個体で、長いおつきあいのあいだに翅もぼろぼろになってしまいました。
 幸いセンニチコウがとても気に入ったらしく、じっくり味わっています。旧友においしいプレゼントができて良かったです。



210419-06.JPG


 世の中がもやもやしているぶん、庭をもっと明るくしたくなったので、一年ぶりに米国Amazonで衝動買い!
 (ペルーの郵便事情はまだまだあやしいですが、米国からのDHL便などはまずまず届きます)
 ソーラー式カフェライトを仕入れて、アルパカ阻止柵に取り付けてみました。今はまだよく日が射すので、朝まで煌々と光っています。



210419-07.JPG


 ちょっと昔の遊園地みたいになって、月夜の晩の庭歩きもより楽しくなりました。
 なにぶん21時から朝4時まで外出禁止ですからねえ…毎晩たいへん静かで、しーん…としたところにフクロウが鋭い声で啼いたりして、それだけは非常事態令もわるくないです。






このページには何も有益な情報はないので、まさかここで被害に遭う方もいらっしゃらないとは思いますが、念のため・・・
【当サイト内のあらゆる情報の無断転載等は、固くお断りいたします。
また、当サイト内の情報をご利用なさることで、万一なんらかの不利益を蒙られることがあったとしても、私こと当資料室管理人は、一切責任は負いかねますので、その点はあらかじめご了承ください】


casita.pngペルー談話室 玄関に戻る