ペルー談話室 玄関に戻る

2021年6月〜10月 非常事態令下の「一服いかが?」
<その7>



非常事態令まだやってんのかいペルー日記


2021年6月3日(木)
(45)<冬らしい冬になりました!>


2021年7月20日(火)
(46)<遠くの新大統領より近くの庭師さん>


2021年7月22日(木)
(47)<永吉くん最終レポート その1>


2021年7月30日(金)
(48)<永吉くん最終レポート その2> 〜長女おみっちゃん編〜


2021年7月31日(土)
(49)<永吉くん最終レポート その3> 〜長男ハム君編〜


2021年9月7日(火)
(50)<沙漠の花園、今年は大当たり年!!>


2021年10月13日(水)
(51)<ひさびさのイベント> <クリスマス支度とカントゥータ>


2021年10月25日(月)
(52)<ふたたびのペンキ熱 @ポーチの若葉色>


2021年10月30日(土)
(53)<小さなハロウィン>



2021年6月3日(木) 午後11時の室温20.4℃ 外気温18.1℃ 曇り+霧雨
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(45)
<冬らしい冬になりました!>



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 アルパカたちのために、桜の木を揺すって枯れ葉を落としてやったり…


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 猫たちを毎夕、猫乾燥機にかけてやったり……
 そんなとても冬らしい日々を送っております。



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今年さいしょのアマンカイ開花!


 当地の非常事態令は、また6月末まで延期されました。
 でも今はそれより、次の日曜に予定される大統領選の決選投票のことで、みなさん頭がいっぱいのようです。


 宿六の取引先も、在ペルーの会社はみなビビってしまって、まるきり仕事にならないとか。
 どこの担当者も、「選挙が終って次期大統領が決まるまでは、何も発注しません」と買い渋っているそうです。
 こういっちゃなんですが、この手の意味不明な臆病さを、事あるごとに発揮する方(および企業)、ペルーには多いですよね…(これは批判ではなく、単なる四半世紀の観察結果の叙述です)


 しまいにはうちの永吉君までビビり始め(つまらぬニュースの見過ぎですね…)、先日蒼い顔でやってきて、「今のうちに少し米ドルを買っておいたほうがいいでしょうか?」などと聞いてきました。いやーね、1990年じゃあるまいし!

 1990年の天文学的インフレ下、初めてペルー旅行をしたときは、通りすがりの人が、「すみません、米ドル持ってませんか?少しインティと替えてくれませんか?」と話しかけてくるのが、実に実に終末世界っぽくて印象的でした。
 でもその、すぐにも滅亡しそうだったペルー共和国は、どっこい31年後のいまなお健在なんですけどね…世の中そんなもんです。


 前の日曜は夕方6時ごろから、家のまわりが異様な静けさに包まれて、てっきりサッカー中継かと思ったら違いました。
 大統領候補者二名のさいごの討論会が、夜7時から放送されたらしく、つまりご近所のみなさんは1時間も前から、緊張して待っていたってことですね。
 いやー、ワールドカップで敗退が決まった試合のときだって、もう少しは人の気配がありましたよ……でもおかげで私は、静まり返った夜の庭をゆっくり歩けて良い気分でした。



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次々と小さな芽も出て、
わが家の「ミニチュア・ロマス」も
少し本物に近づいてきたかな?


 SNSで流れてくる話題も、選挙選挙選挙選挙選挙コローナ選挙、くらいの割合です。(飽きた飽きた!ほかの話題ないの?!)
 ペルーの皆さんそこまでビビるんだったら、さいしょから心配などしないですむように、ほどほどの候補を選んでおけば良かったのにねえ。


 大統領選挙のときはほぼ毎回、同じこと繰り返していますよね。いったい如何なる集合意識(もしくは無意識)の働きなんでしょうね。
 もしかするとペルーの人たちは、「世の中がわるいから、自分の人生思うようにいかないのだ!」という言い訳がほしくて、無意識にそういう候補を選んでいるのかも……いえ、それは何もペルー人に限ったことではなさそうですね。
 「政治がわるい」ということほど、都合良く使いまわせる人生の言い訳は、ちょっとほかにないですものね。


 一年三か月を過ぎても終る気配のない非常事態令だけでも、じゅうぶんげっそりしているのに、そこに選挙騒動まで加わって、この世のあまりのアホらしさに私はますますニュースから遠ざかっております。
 でも、何かうんとおもしろいことがあったら、それだけ教えて、と宿六に頼んでおいたところ…
 いやあ驚きました、あのバルガス・リョサ氏(90年の大統領選でフジモリ候補に負けたことを半生許せなかったあの人)が、今回はフジモリ(娘)に投票するよう呼びかけているとはねえ。まったく半世紀以上も生きると、奇妙なものを見るものですね!


 こうしてバルガス・リョサ氏が、80代なかばの今なお、いらん政治的発言をせずにはいられないのは、おもしろいと同時に、少々物悲しくもありますね。
 政治界なんぞに入り損ねて、時間を無駄にせずに済んだおかげで、書きたいことを全部書いてこれたのでしょうにねえ。



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「私チャスカがこの壁のツタ駆除を
担当させて頂きました!」


 じめじめと霧雨が降ってうすら寒い冬になると、秋のすばらしい快晴との落差が大きすぎて、いつもはじめはちょっとガックリきます。蝶もほとんどいなくなってしまいますし。
 でもそのかわりに、夏のあいだ萎縮していた植物がみな息を吹き返し、また霧雨で柔らかくなった土からは、いろいろなタネが一斉に芽吹き始めます。
 リマならではの、「まるで春みたいな冬」の大きな楽しみです。


 いま熱中しているのは、アルパカがツタの葉を食い尽くし、むきだしになってしまった壁の緑化…いえ「再」緑化です。
 安価で、育ちが早くて、花も咲いて、でもアルパカは食わない植物…
 思いつく限りの植物を試しては失敗して参りましたが、残されたさいごの砦が、このヒメノウゼンカズラ(Tecoma capensis)です(矢印の緑)。


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ヒメノウゼンカズラの
管理の悪い例


 ヒメノウゼンカズラは、放置するとこれこの通り、巨大なヤブと化しますが、きちんと切り詰めれば生け垣にできます。
 常緑で、リマではほとんど通年赤い花をつけ、蝶やハチドリがとても喜ぶ上に、幸いにもアルパカはあまり食べません。



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甘いヒメノウゼンカズラの花を
夢中で食べるアルパカたち


 …厳密には、蜜のある花は大喜びで食べるのですが、幸い葉っぱはあまり好みではないようです。
 私が苗を植えていると、すぐアルパカたちがいたずらしにやってきて、葉を一枚かじったりしますが、見ているとちょっとだけ食べて捨ててしまいます。
 食べられることは食べられるけど別に…くらいの味なのでしょう。


 ヒメノウゼンカズラは、手持ちのヤブから枝を切って、そのへんにさしておけばいくらでも増えますが、挿し木だとアルパカどもがおもしろがって引っこ抜いてしまいます。
 それに大きな苗でも一本2ソルで手に入るので、気楽に買ってどんどん植えています。
 おそろしく繁茂するので、のちのち困ることもわかっていますが、まずは見苦しい壁をきれいに覆ってもらってから、あとの心配をしようと思います。



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 もうひとつ、今せっせと増やしているのがアフリカンデイジー。
 これもパチャカマックの冬のあいだは、切ってそのまま土にさすだけで、確実に根付きます。
 紫を中心とした色合いも好みですし、なんといっても一年中よく咲いてくれるので、たいへん増やしがいがあります。
 ただアルパカには食われますから、柵の内側(それもチャスカの口が届かないところ)にしか植えられません。



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「…呼んだ?」


 呼んでない、呼んでない。


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 チャスカの口は、柵の下をくぐって、矢印のところまで届きます。
 そこまできちっと芝が刈り揃えられているのが、おわかり頂けるでしょうか?
 トウワタは食べないので、ぽつぽつと残っています。少し奥のマーガレットとミニバラは、ギリギリセーフです。



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 先日の地下水槽工事で生まれた、チャスキの「国見の丘」は、連日の霧雨のおかげでだいぶ土が落ち着いてきました。
 このまま放っておけば、周囲の芝が勝手に這い上がり、二年もすれば自然に緑化するのでは……という気もしてきましたが、ちょっと気長すぎるかな?



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 そこで、庭仕事でちょいちょい出る芝の切れはしを、少しずつ「国見の丘」に移植することにしました。
 夕方になると、決まって霧雨が降り始めるので、きっとすぐに根付いてくれることでしょう。
 そういうときは、まるでロマスのただなかで庭仕事をしているような気分です。細かな水滴をたっぷり含んだ冷たい空気が、とても快いです。


 ところでこの写真の奥の壁も、アルパカ強剪定のおかげさまさまで、みごと下1/3がはげています。
 いずれ下1/3はヒメノウゼンカズラの赤い花、上2/3はアイビーやオオイタビの濃い緑、ということになったら、なかなか妙ちくりんでおもしろいかもしれません。楽しみです。



2021年7月15日
 次期大統領は…ほぼカスティージョながら、正式には来週に…となるらしいです、のろいねえ…
 それにしてもケイコ・フジモリさん。いいかげん親離れして頂戴。



2021年7月7日
 次期大統領は…決まってません(笑)



2021年6月26日
 いまだに大統領、決まってないらしいですね…
 あと二週間はかかるとか言ってるそうですが、ペルーの二週間ってふつう最短でも四週間ですよねー
 独立記念日にちゃんと間に合うのかいな??
 私はどーでもいいのですが、宿六は取引先が萎縮&フリーズして迷惑こうむっているそうです。



2021年6月12日
 大統領選挙関連のことは、興味がなくて何も書いてません、どうかあしからず…
 (両候補の得票数に僅差しかないため、イチャモンがついた票の数えなおしをするらしく、うっかりするとあと一週間?いえもしかすると10日間??!かかるかもしれないとか……気が遠くなりそう。
 そうでなくても、こういうしょせんは他人のパワーゲームに、まともに付き合うとキリがありません。しぜんと落ち着くところに落ち着くまでほうっておいて、自分の人生をこそ楽しみましょう!)



2021年7月20日(火) 午後3時の室温21.1℃ 外気温18.7℃ 明るい曇り
非常事態令下のペルー 気が済むまで勝手におやんなさい日記(46)
<遠くの新大統領より近くの庭師さん>



 きのうやっと正式に(やっともやっと、新政権発足の8日前になって)、次期大統領はカスティージョ、ということになったそうです。ぎりっぎりでなんとか間に合わせてしまうのが、とてもペルーらしいです。
 …しかしですね、トレド(古都の地名)とかカスティージョ(お城)とか、きれいな単語におっさん政治家のイメージがくっつくの、ほんとうに迷惑ですよね。
 さいきんやっと、トレドと聞いても「あの顔」が浮かばなくなったところだったのに!


 近年、国難のベネズエラからペルーに逃げてきた人たちに、ちょっとした修理仕事など依頼する機会が増えましたが、そのうちのひとりが、
 「次期大統領が急進左派のカスティージョなら、もうベネズエラに帰ったほうがマシかも…」
 なんて、暗ーい顔して言ってました。いやいやいやいや、さすがにそこまででは…


 ペルーは、石油単品依存のベネズエラとは違って、いろんな金属を産出するのが強みです。
 世界コローナ大パニック期が、やっと終りかけている今、反動で各種金属が値上がりしているそうですが、それはペルーにとっての大きな追い風です。
 また、(ペルー産じゃないけど)やはり金属に関わる宿六にとっても、同じく追い風です。
 私に多少とも関係がある「現実」は、それだけです。ほかはどうでもいいです。


 過去を振りかえっても、どっかの総理大臣や大統領の動向が、私の人生に影響したことは(良い意味にも悪い意味にも直接影響したことは)、けっきょく一度もありませんでしたしねえ。


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巣立ったばかりの雛を連れて、
餌場にやってきたキンノジコさん



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ぶどう棚でひとやすみする雛。
うっすら黄色くなりかかっているところが
とてもかわいい!



 ただSNSやネット上では、「ペルーはもう終りだ〜」的ご意見が、発言者の国籍問わず、けっこう多いようですね。
 (ほんとみなさん、「もうおしまいだ!」とか、「これからすべて悪くなる一方に違いない!」的ご意見、お好きよねえ…人生が幸せすぎて、退屈なさっているのかなあ?)


 そういうご意見を目にしても、天文学的インフレ時代からペルーとおつきあいしてきた私には、「……………。」としか反応のしようがありません。
 (ペルーにもたくさん人間が住んでるんだから、ちょっと何かあるたびに勝手に終りにしないでよ、くらいは言いたいけど。それにペルーの資源力とペルー人の生活力を、あんまりなめるんじゃないわよ、万事おデリケートな日本とは比較にならないんだから。とも言いたいけど言いません)


 かつて私はものすごく左寄りの学校で、ものすごく妙な教育を受けましたので、カスティージョ・タイプの人々の弱点…幼稚さや脆さのようなもの…も、よくよく知っておりますし。(知ってるからこそ怖い、のかもしれませんが(笑)、私はもう今さらそんなのは怖くないです)

 (またこれは、書いていいかどうかわからないので、そーっと書き足して黙って更新しておきますが)ペルーの政治屋のみなさんは、昨年はなんと二回も大統領をやめさせています。
 つまり、気にくわない大統領をうまいこと辞めさせる実地訓練済み、手順確認済み、ですから、今後厄介が起きたときには、政治屋界の中でもそれなりの自浄作用が働くはず…です。これもまたひとつの安心材料です。



 …そんなことより今は、ついにわが家の庭師さんが交代することになりまして(たいへん望ましい変化です)、いろいろ楽しみで喜んでおります、近いうちにご報告いたします。
 今後も、大統領の動向なんぞは(よほどアホらしくておもしろいことでもない限り)書きませんので、よろしくご勘弁願います。


 なお、当地の非常事態令は(これがまーだやってんすよ…去年の3月からずーっとなのよ…)、8月末まで延長されました。
 でもやっとこさ、「日曜日の私用車使用不可」という謎法令は廃止。まったくおありがたいことです。次の週末は、アマンカイのタネ、採取に行かなくちゃ。




2021年7月22日(木) 午後11時半の室温21.0℃ 外気温17.2℃ 曇り+霧雨
非常事態令下のペルー わたしゃもう関係ないです日記(47)
<永吉くん最終レポート その1>



 昨晩めでたく、新しい庭師さんがわが家に「着任」しました!

 運よくひとりめの面接で、すぐに決まった後任者です。
 でも都合で少し待たねばならず、しかたなくこの一か月は、私と宿六の二人きりでちょっと心配でしたが、もうこれで安心です。


 前の庭師さんだった永吉君は、わが家で6年半ほど暮らしました。
 永吉君はすなおな気質で、穏やかでおしゃべり好きで家族をだいじにする「とても良い人」でしたが……
 「怠けている自覚のない怠けもの」という一面もあり、さいごの数年は私たちもかなり困っておりました。


 永吉君の仕事は、朝6時から10時まで、午後は2時から6時までの計8時間…のはずでした。
 「昼は実家の家畜の世話に行きたい」という本人の希望で、早朝から始めることになり、永吉君も当初は「5時には起きて、朝食を済ませてから仕事します」と約束していました。
 それがいつのまにか、朝は決まって数十分遅刻した上に、途中でフラっとパン屋さんに行ってしまい、そこで近所の人とおしゃべりしながら長々と並び、やっと戻ると今度は家族とゆっくりご朝食…というのが、なぜか勤務時間に含まれるようになりました。


 そのため午前中は2時間とまともに働いていなかったので、水まきが全くはかどらず、夏にはいつも芝が異常に乾くようになり、それで私たちも初めて永吉君の職務怠慢に気づきました。
 当然ながら何度も注意しましたが、そのたびに永吉君、あの善良そうな顔で一瞬呆然となったのちに、「…朝食は、ほんの10分で終えているつもりでした、でもそういえば、もっと長かったかも…」と、本人のほうがよほど驚いていて、まったくお話にも何にもなりませんでした。


 困ったことには午後も同様で、掃除のあいだに何度も何度もトイレに立ったり、家族に呼ばれて自宅の雑用を始めてしまったりで、そのたびに少なくとも30分は戻ってきません。
 つまり実質的には、毎日4、5時間しか働いていない、という状態でした。



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庭師さん不在のあいだ、
霧雨がよく降ってくれたので、
水やり不要で助かりました



 でもそれだけではありません、永吉君が恐ろしく忘れっぽいのにも、大いに手を焼きました。
 何か用事を三つ頼むと、ルーティンの仕事も含めて、少なくとも四つは忘れる、という調子ですから…


 それでいて本人には(これは永吉君の名誉のため申しますが…いえむしろ不名誉になっちゃうか?)、まったく悪意もサボっている自覚もないのです。
 怠慢を注意されたときの、あの驚愕ぶりには、どう見ても嘘がありません、おそらく自分ではちゃんと働いているつもりだったのでしょう。
 こういうのは本当に本当に本当に困ります…


 いちおう注意されるたびに、自分で自分のサボリっぷりに驚いて、反省の色を見せるのですが、それすら一時間もしたら忘れてしまいます。
 いやあよくぞまあ、私たちの顔を忘れなかったものです。


 とはいえこの6年間、致命的なミスはしませんでしたし(ひどいミスは山ほどやらかしましたが、少なくとも命は取られませんでした…という意味)、前の二代のお手伝いさんの欠点(虚言癖や手癖のわるさ、暴力性など)とも無縁ですし、また何もわざわざコローナ・パニックの渦中で追い出すのもしのびないですし…
 「あれでは困るけど、後任者を探すのも一苦労だし、あと数年くらいはがまんしましょうか…」
 という話を、宿六とはもう何度も何度もしていました。


 しかし6月はじめのある日。庭の通路まで伸びてきたポプラの根っこを、掘り出して捨てるという、とても簡単な雑用を永吉君に頼みました。
 すると午後中かかった上で、「全部きれいにしました!」というので帰宅させ、そのあと見に行ってみますと…
 軽く土を掘り返し、もうしわけほど数本の根を切っただけ、しかもその切った根は捨てずにぜんぶ土に埋め戻してあります。
 もしこれが永吉君でなかったら、ぜったい悪意でやった!としか思えない状況です。


 ペルーに移住したおかげで「歩く忍耐」となった私ですが、このとき急に、つもりつもった小さな不満がまとめてこみあげてきました。
 でも本人に言ってもむだなので、かわりに宿六をつかまえ、日本語で大きな声で言いました。


 「永吉君はあれはもう、楽な暮らしに慣れてやる気ゼロなのか、もしくは老眼で何も見えていないか、そのどっちかね!(…両方かも)
 作ってあげた老眼鏡すら、仕事に持ってくるのを忘れるし、このままではいつか事故でも起こすんじゃないかと思う。
 今日という今日は、私も堪忍袋の緒が切れたし、近いうちに何か当たり障りの少ない方法をみつけて、うまく辞めてもらうことを考えましょうよ!」



 しかし宿六は今まさに、昨年のロックダウンによる損失を、鋭意穴埋め中。だからとても忙しくて、まったく話にのってきません。後任が決まるまで、家の雑用はすべて私たちがしないとなりませんが、とてもそんな時間は取れないからです。
 そこでまたも、「もうちょっとだけ、我慢しましょうか…」ということになったのですが…


 すると翌日、奇跡が起きました!(さいきんほんと、小さな奇跡ばっかり!)
 なんと永吉君のほうから、「仕事を辞めたい」と言ってきたのです!!


 永吉君が殊勝げに言うことには、
 「私はここに来て初めて、子供たちが育っていくのを間近で見ることができました。また生活を楽しむ、ということも、ここで初めて覚えました。
(そりゃあれだけサボってればねえ…)
 でも上の子ふたりも高校を終えたので、専門学校に通わせたいのですが、学費が高くてもっとお金を稼がないと足りません。
 それで昔やっていた建築労働者に戻ろうと思っています」


 私はもう、一瞬も引き止めようとは思いませんでしたが、いちおう礼儀上、笑いそうになるのだけは何とかこらえました。
 まったくなんたる幸運でしょう、昨晩大きな声で願っただけで、今日はもう自分の手を血で?汚さずに、永吉君を厄介払いできるとは!
 (ごめんね永吉君、でもさいごの数年、ほんとにあなたは日々の小さなストレス源でしかなかったのよ…)


 それに永吉君をクビにしたい理由は、ご本人のサボリ癖だけではありませんでした、永吉君の家族のほうが、はるかに大きな頭痛のタネでした。
 ふつう大抵のペルーの人は、少なくとも表面上はにこにこ愛想がいいものですが、永吉君の家族(奥さんと子供三人)は、どういうわけか揃いも揃ってふるまいが荒々しく、あいさつひとつまともにできない人たちでした。
 でももちろん悪い人間というわけではないですし、もしそれだけならまだ、性格だから…と諦めもつきます。


 しかし永吉君の家族は、掃除や片づけを金輪際しない人たちで、とんでもなく汚ない暮らしぶりなのには、ほとほと参っていました。
 6年間注意しつづけても、とうとうちょっとゴミ拾いをしたり、脱いだ靴をきちんと並べることすら、覚えてくれませんでした。


 ですからその後わずか一週間で、早々に家を引き払ってもらったときは、本当に嬉しかったです。


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霧雨といえば…
冬の風物詩、ぬれアルパカ
その1



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冬の風物詩、ぬれアルパカ
その2



 …しかしまだ続きがありました。

 めでたく空き家になった「小さな家」に一歩入ってみると、強烈な酸化したサラダオイルの匂いがあたりに充満し、コンロ横の壁は油で真黒になっており……
 冷蔵庫などはもう目もあてられない惨状で、しかも中には卵やチーズ、オリーブ、パンがたくさん残っていました。
 (永吉君は年中「お金がないお金がない」と言い暮らしていましたが、そういう人はえてして生活の無駄も多いらしい…というのも今回学んだことです)


 また備品は、ありとあらゆるものが壊されていました。以下、破壊されたものリストです。
 (たいへん読み応えのあるリストで、書いてて私はちょっと楽しいくらいなのですが、宿六はぜんぜん楽しくないし思い出したくもないそうですー)


 ・窓ガラス5枚。(台風もない国で普通に生活していて、窓ガラスって割れるものなの??)
 ・コンセント多数。(中の配線が飛び出し、引きちぎられた状態…いったい何をしていたの?)
 ・ドア三枚。(ノブやカギが壊れたり、枠からずれて閉められない状態で放置…)

 ・トイレのバルブや排水弁。(トイレが使えないままどうやって暮らしていたのでしょう…そもそも直せばすぐ直るのに…)
 ・シャワーのカラン(蛇口)2個。(いったいどうしたらカランが壊せるのかわかりませんし、壊したあとはどうやって暮らしていたのでしょう…)

 ・ケーブルテレビのリモコン。(キバで噛みついたような深い穴が開いていて、完全に壊れていました…なんかこわいです…)
 ・テレビ用ホームシアターシステム。(いらなくなったのを貸与してたので、別にいいんですけど、それにしても電源すら入りません…いったい何をしたの…)

 ・椅子10脚。(完全に崩壊したのが裏に隠してありました)
 ・庭用パラソルとテーブル。(こちらも完全に崩壊)
 ・庭用折りたたみ式プール。(こわいのでまだよく確認していませんが、丸めて投げ捨ててあるので、たぶん穴だらけでしょう)

 ・そして、照明器具多数。


 おそらく永吉君の家族は物の扱いが非常に乱暴で、しかも徹底した不精者揃いなので、壊れたものは壊れたまま、汚れたものは汚れたまま、六年間をやりすごしたのでしょう。
 永吉君は何かというと、「子供がいるからしかたない、子供は何でも壊すものだ」などと言っていましたが、その子供たちもすでに19歳と17歳と7歳ですから、言訳にはなりませんね。


 掃除もどうやら本当に、六年間一度もしなかったらしく(やってるところを見たことないですし…)、部屋のすみずみに埃が化石化してこびりつき、また三年前に塗り替えたばかりの白壁も、すべてシミだらけになっていました。
 いったい何をしたら、毎日パイ投げしてたみたいな巨大なシミが壁につくのでしょう…


 うーんこれが有名な汚部屋というやつですか!だらしのなさもここまで来ると、感動すら覚えます。
 (そしてそのだらしなさがまた、永吉君の金欠病を重くしているのでしょう)


 すべて明らかに経年劣化ではなく、不適切な扱いのせいなので、清掃&修理費用を永吉君の退職金(六か月分の給料)から差し引いても、まったくかまわなかったのですが…
 それでつまらぬカルマができて、来世でまた永吉君を雇うことにでもなったら、そのほうがよほど損なので、速攻でぜんぶ払ってきれいにご縁を切りました。


 今回もまた、たいへん興味深い人間観察をさせてもらいました。
 もちろんいろいろガッカリもしましたが、辞めてくれた嬉しさのほうがガッカリよりずっと大きいので、じきに忘れてしまうと思います。
 それに6年半前、家庭内暴力女中さんのあとに永吉君がやって来たときは、あののんびり具合がとても嬉しかったのですものね。
 でも人はみな時々刻々と変わっていくので、いつしかお互いの必要や波長が合わなくなった、というだけのことかと思います。


 今は新しい庭師さんが、「…前の人たち、掃除したことないみたいですね?!」と、あまりの汚れ具合に驚きつつも、きれいにさえすれば良い家ですから、嬉しそうに掃除&塗装を進めてくれています。
 おかげでみるみるうちに、元のかわいい「小さな家」に戻りつつあり、何ともほっとします。(でも今後は、たまには家の状況をチェックしようと思います…)


 新しい庭師さんは、パチャカマックの奥のほうにある大きなお屋敷で、6年間住み込みで働いていたそうです。そこでのベンハー君(仮名)の苦難の日々については、後日お話しいたします。

 でもその前に、永吉君がとらわれている深い「子ゆえの闇」について、お伝えしてみたいと思っています。
 かなり物悲しいお話ですので、少しエネルギーをためてからまた書きますね。



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「今年もドライヤー借りに来ましたー!」


2021年7月30日(金) 午後7時の室温21.3℃(ストーブつき) 外気温17.0℃ さむーーーーい霧雨
非常事態令下のペルー もう知らんわ日記(48)
<永吉くん最終レポート その2> 〜長女おみっちゃん編〜



 (以下登場人物はすべて仮名です)

 まずはじめに、元お手伝いさんの永吉君一家が、破壊していったものリストに、二点追加しないとなりません〜(笑)

 ・洗濯機(なぜか給水ホースが持ち去られ(返せもどせ〜!)、また脱水槽が動かない状態です)
 ・シャワーの温水器(ベンハー君は水で平気というけど、冬だし直さないと…)


 壊してないもののほうが、ずっと少ないようなので、まだなんか見つかるかも…
 でも不思議と腹は立ちません、ここまでひどいと返って清々しい?です。



 さて永吉君のお話のつづきです。永吉君は、「子供の学費を捻出するために、自分がもっと稼がなくてはならないから」という理由でうちの仕事をやめました。
 これからは、日雇いの工事現場に戻って働くそうです。


 今まで永吉君が受け取っていた給料を、単純に日割りにすると、たしかに現場仕事のほうが、日に数十ソルほど多く稼げる計算です。
 でも住み込みの仕事には、その計算では見えない利益がたくさんあります。有休、ボーナス、退職金、保険、家を含む生活上の諸経費…などです。
 永吉君はそれらを完全に見落としたまま、決断してしまったようです…


 ためしに、新しい庭師ベンハー君が今後受け取るはずの年収を、退職金まで含めて計算し、永吉君の現場の日当で割ってみますと…
 なんとまあ、きっかり「365」と出ました…(こういう偶然ってちょっとこわい…)
 つまり永吉君は、今後は年に365日現場で働かないと、ベンハー君と同じ金額は稼げない、ということです。


 もちろん日雇い仕事は、景気が良ければ日当が上がることもあって、そうわるくないのですが、でも見つからないときは全くないのが現場です。
 特に夏は、海辺の別荘地での工事が禁止されているので、仕事がパタっと途絶えがちです。
 それに、永吉君はよく風邪をひく人でしたが、日雇いではケガをしても風邪をひいても、住み込みと違って一切保証はありません。
 (大きな建設会社に就職すれば別かもしれませんが、そういう会社も大抵は、ぜんぶ下請け任せなので、実際に現場にいるのはほとんどが日雇いの人です)



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今日はとつぜんですが
ペルーの可憐な蘭シリーズ



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ペルー原産のかわいい蘭には、
一時ちょこっと手を出しましたが、
私には辛抱が足りず、すぐ撤退しました…



 また、永吉君一家が暮らしていた「小さな家」も、ほんとはそう小さくなくて、専有面積堂々400uの庭つき一軒家です。ペルーで、お手伝いさんにこれくらいの家を提供している雇い主は、まずめったにいないはず…と、私は誇らしく思っています。
 片田舎のパチャカマックでも、この家を借りようと思ったら月額700ドルが相場ですし、加えて水道・電気・ケーブルテレビも、福利厚生として無料でおつけしておりました。
 だから永吉君は今まで、ペルーの単純労働者としては、ちょっと実現がむずかしいレベルの暮らしを、自分の家族にもたらしていたわけです。


 …ほんとに永吉君、なんで出て行ったのでしょうね。(家を汚すだけ汚して、それがいやで出ていったのかな…?)
 やめてくれて私たちは助かりましたが、決してわるい人じゃなかったので、どう考えても損な選択をした永吉君に、何とも言えない物悲しさを感じずにはいられません。


 永吉君はよく、「以前ガテン系だったころは、毎週とてもたくさん稼いでいました」と言っていましたが、にも関わらず当時住んでいたのは、真の掘立て小屋だったそうです。
 でもうちで六年半を過ごすあいだに、ボーナスや子供手当(義務ではないけどあげてました)でレンガやセメントを買い、有休をとっては少しずつ仕上げていき、今年めでたく「ちゃんと壁と屋根と全員の部屋のある家」を完成させたそうです。これもまた、いろんなことを物語っていると思います。


 しかしここ半年ほどは、永吉君はもともと以上に(笑)ぼうっとするようになり、何か暗い気がかりで頭がいっぱいなようでした。
 これは雇い主側から見ると、明白な赤信号です。前の二代のメイドさんのときもまったく同じで、二人とも家族の問題のせいで常時うわの空となり、仕事のミスも激増し、結果やめることになりました。


 ペルーの混血層の人たちは、当たりはとても柔らかですが、ちょっと陰に籠ったところがある人も、決して少なくないようです。(これは批判ではなく、私が出会った実例からの、単なる推測の叙述です)。
 白人支配の歴史にも関係がありそうですが、何か心配や不満があってもそれをスカっと口に出さず、一人で抱えこんでクヨクヨ考えすぎるうちに、被害者意識が強まってしまい、それがだんだん態度にも現れるようになり、雇った側はわけもわからず気持ちわるい思いをすることになります。


 次からは、この赤信号がともったときはもっとドライに、迷わず即刻手を打ちます。
 他人の人生の問題で、自分の人生をややこしくする必要は、どこにもありませんから。



 永吉君もやはり、悩みのタネは家族、とりわけ上の子二人の教育問題でした。

 つねづね永吉君は、「長女はとても成績がいいので、できたら奨学金をとって大学に行ってほしい」と言っていました。そこで一度本人のおみっちゃんに聞いてみたのですが、
 「私、成績はいいんです、20番だから。」
 「それって学年で?」
 「ううん、クラスで。」
 「………。」(永吉君は、かつて高校で二年も留年したそうなので、それに比べれば確かに好成績です)
 結局卒業までそのあたりを漂っていたらしく、残念ながら大学奨学金には手が届きませんでした。


 それで今は親の負担で、専門学校に通っています。それじたいはたいへん結構なことなのですが、問題はコースの内容です。
 よりによって、おみっちゃんには最も縁遠そうな、「企業経営コース」というのに申し込んでしまったのです…


 これは経理、人事、マーケティング、生産管理から果てはソーシャルメディア対策に至るまで、広く浅ーく網羅したコースです。
 webサイトでは、「このコースを受講さえすれば、有名会社ですぐ『アドミニスタドール』(職種によりますが、商店ならレジ管理を任される店長さんクラス)として就職できる」などと書いてあり、永吉君はそれを鵜呑みにしてしまったようです。


 たしかにこのコースは、たとえば大学出の、何か専門技術を持つ会社員が、キャリアアップのために受講するとか、会社を経営している一家の子息が、経営の全般的な知識を得るために受講する、というのならそれなりの意味があると思います。
 でも、大学出ではなく(現在ではペルーでも大学出の若者があふれています)、コネも仕事経験も(それに愛想も…)ない娘さんが、このコースの修了認定証をもらったところで、かわいそうだけど一切使い道はなさそうです。



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 同じお金を使うなら、たとえば経理だけの専門コースをとったほうが、はるかに将来活用できただろうと思います。
 永吉君に、「なんで申し込みの前に、ちらっとでも私たちに相談してくれなかったの?」と聞きましたが、キャンセル不可能だそうで後の祭でした。
 その学費も、毎月500ソルもかかっているようです。当地の最低賃金は月930ソル(約2万5千円)、でも手取りとなると800ソルくらい(約2万1500円)ですから、いかに高いか…ということです。


 それにコローナ・パニック後遺症のせいで、授業はいまだに全てネット上ですから、大して頭に入らないでしょうし、しかも修了までは丸二年もかかります。
 さらには授業開始から一年が過ぎたところで、急に英語専門校のお高いコースを受講するよう、通知が来たそうです。それを終えないと、経営コースの次のクラスは受講できないそうです(…それって英語学校とグルになったサギじゃないの?)
 将来、おみっちゃんが運よくどこかに就職したとしても、ペルーのほとんどの会社は(日本同様)英語など使いませんから、まったくもって無意味です。
 無責任に夢ばかり高く売って、本当に罪作りな学校です…


 おみっちゃんは、本人のせいではないけど、こうして早まって専門学校に入るより先に、まずは近所のスーパーマ−ケットかどこかに就職してみたほうが良かったでしょうね。
 将来についておみっちゃんと話したことがありますが、彼女は自分がどんなところに就職したいか、まったくわかっていません。それも当然で、親族はみな家畜飼育などの自営業、正規の就職をした人はだれもいないからです(あえて言えば、うちに就職した永吉君だけです)。


 そして今もおみっちゃんは、「高い専門コースをとっている一家の期待の星だから」という理由で、何も仕事をしていません。
 叔母さんの家の子守や掃除を手伝って、少し自分のお小遣いを稼いでいるだけです。


 それでもおみっちゃんの学費だけなら、永吉君もうちの給料で何とかやりくりできていたようです。
 それが突然やめることになったのは、今度は長男のハム君の学費まで必要になったからです。ハム君もまた、その全体重が永吉君の双肩にかかっているようなのです…


 …今日はもうだいぶ長くなりましたので、そのお話は次回また続けるといたします。


2021年7月31日(土) 午後10時半の室温20.6℃ 外気温16.7℃ 霧雨で冷えびえとしています、ううさぶい…
非常事態令下のペルー もう知らんわ日記(49)
<永吉くん最終レポート その3> 〜長男ハム君編〜



 (以下登場人物はすべて仮名です)

 先ごろやめた庭師さん永吉君の、長男ハム君は、小学生のころはちょっとかわいかったんですよね。
 その後、親戚が不要なスマホを買い与えたとたん挙動がおかしくなりはじめ、更なるとどめはポケモンGO。あっというまに生き生きとした目の輝きが失われてしまいました。


 永吉君の弟、ジュリアス・シーザー君の息子たちも、成績はハム君と似たりよったり(つまり赤点ぎりぎりなの…)ですが、でもあの子たちには、率先してすべきことを探して手伝いを申し出る、ペルーの若者らしい爽やかさがあります。
 お父さんの仕事でわが家に来るときも、ただお父さんを手伝うだけでなく、さっとこちらに来て門の開け閉めを手伝ったり、水まきホースを引っ張ったりしてくれます。


 でもハム君は(姉のおみっちゃんと同じで)、そういう気のつくところがぜんぜんありません。
 玄関先で、宿六の大きなスーツケースを引きずる私に会ったときも、スマホ画面から一瞬も目を離さず、口の中で「…オラ、セーニョ…(ちわ奥さん…)」とつぶやいただけで、すうーーーっと素通りしていきました。
 意識がどこかにいってしまったような、そのうすーい気配に、太ったゾンビが出たか…と思いましたよほんと!
 子供かわいさで頭がいっぱいの永吉君も、さすがにこれには言葉を失っていました。でも言葉を失ったまま、息子にはなにもいわないのが永吉流子育てですー。


 このたびのコローナ騒動は、ハム君にとってはむしろ幸運でした。いつもめんどくさがっていた学校が、すべて短時間のリモート授業になった上、全員が自動的に卒業できることになったからです。
 今年はじめに学校を終えたあとは、しばらくは叔父さん所有のブタの世話に通っていましたが、大勢働きに来ているベネズエラ人にからかわれるのがいやだ、と言ってすぐやめてしまいました。


 今は姉のおみっちゃんと同じに、叔父のジュリアス・シーザー君のところで、少々の雑用仕事をもらってお小遣いだけ稼いでいます。
 ジュリアス・シーザー君もたいへんです、自分にだって四人も息子がいるのに、お兄さんの子供(考えてみたらもう20歳と18歳…ぜんぜん子供じゃないよね…)のお小遣いまで工面しないとならないのですから。


 ハム君は(少なくとも現状では)、覇気のある勉強好き、仕事好きの若者では、まったくありません。
 それがわるいというのじゃないです(私だって仕事やる気ゼロ…)、世の中にはいろんな種類の人間が必要です。ただそういう子には、そういう子なりにうまくやっていける、何か楽な道があるはずです。



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ペルーの可憐な蘭シリーズ、つづき


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 しかし永吉君には、専門学校にさえ行けば人生が良くなる…という強い思い込みがあるようです。
 「うちのハムがこのあいだ、『自動車修理なら自分も興味がもてるかもしれない』というので、専門校のSENATIに通わせようと思っています」
 そう言ってきたときは、なんとまあおみっちゃんで凝りてなかったの!と驚きました。


 もちろんSENATIは、おみっちゃんの経営学コースとは比較にならない、しっかり地に足のついた技術専門校です。
 むかし懐かしの猫番君も、がんばってSENATIの配管工コースに通ったおかげで、重労働の現場に戻ることなく、ちょいちょい声のかかる配管修理で生活できています。(なにぶんペルーの配管は年中壊れますからー、当地の配管工は仕事に困ることはなさそうです)


 でも授業は厳しく、学費も年間4000ソル(ざっと千ドル、教材費は別)かかるとか。
 ハム君は今まで、私が知る限り、ポケモンGO以外どんな小さな仕事もやりとげたことがないのに、「興味がもてる…かもしれない」程度で即申し込むのは、どんなものでしょうか。
 せめて自分で数年働いて、少し学費をためてから決めるのが、家族のだれにも負担をかけない良い方法だと思うのですが…(家には小学校に入ったばかりの妹もいるのですし)


 けれど子供の話になると、いつも永吉君は濃い霧に飲み込まれたような、ぼうっとした表情となり、急にまったく言葉の通じない別人になってしまいます。
 かつて永吉君の末娘が……この件だけは、私まだちょっと怒ってますね……うちのかわいいアルファロメオ君(宿六のリストラ退職金で衝動買いした、もう古くなったけど思い入れたっぷりの小型アルファ君…)にひどいいたずらをしたときも、証拠はすっかりあがっているにも関わらず、永吉君は子供かわいさで頑として認めず、とうとうひとことの謝罪すらしませんでした。


 (ペルーのお手伝いさんには、こういう人、わりと多いと思います。日ごろはとても腰が低くて愛想もいいのに、何かやらかすと玄武岩のように頑なになり、たったひとことの万能魔法ワード(ごめんなちゃい)が、絶対口から出てこない人…
 これもおそらく昔は、不当な白人支配を生き延びる知恵だったのでしょうが、親切の限りをつくした上にそれをやられると、たまったものではありません。次回からはもう我慢しません)


 今回もまた、言ってもどうせ無駄と知りつつ、
 「とりあえずはハム君を、近所にいくらでもある修理工場に見習いに出して、本当に車修理が好きなのか、ちゃんと毎日仕事に行けるのか、ちょっと確かめてから専門校に申し込んだほうがいいんじゃない?」
 と言ってみましたが、永吉君はもう何も耳に入らない…というか聞きたくないようでした。



 永吉君は、今年で49歳です。
 うちにいたときは、ちょっと草取りするだけで頭が痛いの背中が痛いのと、8歳上の私よりよほど年寄りくさかったですけど、あれできつい現場仕事に復帰などできるのでしょうか。
 (「仕事が楽なうちにいる間に、配管工のクラスでも取って、老後に効率よく稼げるようにしては?」と何度も勧めましたが、めんどくさがってだめでした)


 またそれ以前の問題として、だいぶ年のいった単純労働者を、採用してくれるところがあるのかどうか…
 今はただでさえ単純労働者が余っています、出稼ぎのベネズエラ人のほうが「ペルー人より低賃金でも熱心に働いてくれる」と、ずいぶん評判がいいからです。


 (ベネズエラが石油で潤っていた時代に、ペルー人より良い教育を受けた人も多いので、うちでも永吉君の後任者として、ベネズエラ出身の顔見知りの一家を考えていました。
 アンデスびとのベンハー君が先に面接に来て、すぐ決まったのでそのお話は流れましたが、祖国を離れて一所懸命やっている彼らの姿には、私たちもかなりの好印象を持っています。DIY店などに行っても、とても丁寧に商品説明してくれる店員さんは、大抵ベネズエラなまりです))


 そして以上すべての気がかりに加えて、新大統領はカスティージョ、となってしまったわけです。
 うちは気にしていませんが、ペルー国民のほぼ半分(お金がよりあるほうの半分)は震え上がっているようなので、当面は(永遠ではないけど)ありとあらゆることが停滞しそうです、ウマラ大統領の就任時のように。
 特に不要不急の建築仕事は、まず最初にフリーズしてしまいます。またドル高のせいで、すでに物価もじわじわ上がってきています。


 永吉君はよりによって、決選投票で大モメにもめているさなか、やめたいと言ってきました。
 「せめてどっちかに決まってから、改めて検討したら?もしカスティージョになったらさいご、現場仕事は激減するから」と勧めてみましたが、「きっとケイコになるから大丈夫です!」(永吉君は、外見はもう気の毒なほどカスティージョ激似…ですが、本人は根っからのフジモリ贔屓)と言うので、そのままやめてもらうことになりました。


 (今書いていて思い当たりましたが、もしかすると永吉君は退職金で、ハム君のためのSENATI授業料を払いたかったのかもしれませんね。だとしたら、ほとんど保険金自殺に近い悲壮感がありますが……ハム君!今度こそ投げ出すんじゃないぞ!!)


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 永吉君はうちに来たばかりのころから、「子供が義務教育を終えたら、『自分の服を売ってでも』大学にやりたい」というのが口癖でした。
 そういうことを年中口にするものじゃないですね。自分自身を暗示にかけて、その通りの状況を自分で作ってしまいますから。


 永吉君も奥さんの満里子さんも、「子供の意見と対立してまで躾けるのが、何よりもきらいです」とも、よく言っていました。(だから挨拶も掃除も片付けも、壊したものの修理も庭仕事も、一切教えなかったのね…)
 「それよりも親が黙って犠牲になって、必死に働いて、なんとか子供たちを食べさせていければ、そのほうがいい」のだそうです。


 大切な家族のために犠牲となる、というのは一見美談風ですが、本当は美談でもなんでもないです。それこそが人生最大のまちがいです!
 自分の人生を、堂々と自分のために生きて満ち足りている人は、結局まわりも自動的に幸せにします。その逆もまた然りです。


 ただ、永吉君一家にこれから何があったとしても、食べられないほど困ることは絶対ないとわかっているので、それは他人事ながら安心しています。
 永吉君には、狭いながらも親からもらった土地があり、そこにはすでに家も建っています。またきょうだい十数人(あんまり多くて数字忘れた)と、それぞれの家族から構成される、壮大な一族が後ろに控えています。
 その中には、ジュリアス・シーザー君のような稼ぎ頭の弟もいれば、高利貸で左うちわの別の弟などもいるそうなので、いつもどこかには余った仕事や食べものがあることでしょう。
 ロックダウンのあいだも、ほとんどの弟たちは失業状態でしたが、みんなで少しずつ食料を持ち寄って、助け合ってやりすごしたそうです。


 もとより私たちが心配することではありませんし、これをもって永吉君とは(物理的には無事にきれいに切れましたが)気持ちのほうでもお別れです。
 永吉君さようなら!今はまだ、妙な満足感を伴う「犠牲者ごっこ」に夢中なようだけど、いつかそれが楽しくなくなったときには、私が昔話したことを思い出してね。
 人間だれでも、人生のどの段階でも、「きちんと自分のために生きる」と決めたその瞬間から、まったく別の人生に変わるからね!



2021年9月7日(火) 午前11時の室温19.9℃ 外気温17.6℃ 明るい曇り
非常事態令下のペルー まだやってんのね…日記(50)
<沙漠の花園、今年は大当たり年!!>



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 昨冬はカラカラだったパチャカマック近郊のロマス(冬だけの沙漠の花園)が、ただいますばらしいことになっております!
 6、7、8月とよく霧雨が降ったので、例年は緑化しないところまで草が生い茂って、山羊飼いさんたちも大喜びです。ロマスで放牧した山羊のミルクは、いろんな薬草の香りがしておいしそうですね。



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 Lomas del Manzanoあたりの、例のアマンカイつき物件。
 コローナ大パニックとカスティージョ新大統領との相乗効果で、いまペルーでは何もかも値上がり中。でも土地だけは若干値下がり傾向のようです。
 ここは夏に来るとただの荒れ地ですが、冬に見るとちょっとほしくなってしまいますね。もし一年中この緑だったら、どんなにいいでしょうね…



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 ロマスの花のあいだを飛びまわる、ワールドワイドなヒメアカタテハさん。
 今までのところ、ロマスではヒメアカタテハと数種のガしか見たことがありません。花が多いのにちょっと不思議ですが、蝶にとっては湿気が多すぎるのかな?



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 庭師さん交代のいろいろがあって、今年はアマンカイの花盛りは見逃してしまいました。でもタネは少し採取できました。
 8月に入るとほかの草がこんなに茂って(草に埋もれた細長い葉がアマンカイ)、地面に落ちたタネはとても見つけにくくなってしまいます。
 それでもなかば意地で、オルティーガ(イラクサ)にビリビリ手を刺されつつ、百個ほど拾ってきました。



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 ジャガイモ野生種のお花畑に、小さなかわいいフクロウがやってきました。昼行性のアナホリフクロウ君です。
 うちにもときどき来ますが、定住はしてくれません、隠れやすい岩山のほうがお好みのようです。



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 さきほどのフクロウの連れ合いもやってきて、こちらに鋭い視線を向けています。
 それにしてもまあ、本当に今年はどこにレンズを向けても、緑緑緑…ですね!



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 Lomas de Jatosisaにまわってみると、こちらも目の覚めるような緑のじゅうたん。上のほうにはやはり山羊の群れ。


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 左の丘すそに咲き乱れているのは、芯が濃い青紫色の、Nolanaの花です。
 うちでも冬ごとに勝手に生えてきて、ロマスの近さを思い出させてくれます。



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 日ごろ乾いた岩山ばかり見慣れているので、山が緑だと、もうそれだけで遠い異国に来たような気がします。


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 この冬はとにかく雨が多くて、うちもロマスみたいに湿気たっぷりです。
 前に日本からみえたお友達に、霧雨に濡れた庭のバラを少し、お持ちしたことがあります。そうしたらレストランに着いてもまだ、花びらにはみっしりと霧雨の粒々がついたままで、みんなでびっくりしました。
 道中も湿度が高くて、蒸発しなかったのですね。冬のリマならでは…のことかと思います。



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「わーい春だ春だ!」


 でもこのところ、急に晴れ日が増えて、あったかくなってきました。パチャカマックの冬は大好きですが、でもやっぱり春も嬉しいなあ。
 私もオナガアカボウシインコのようにバッサバッサと血が騒ぎ、毎日のように宿六を園芸店に走らせています!
 アルパカ阻止柵と熱心な庭師さんが揃った今こそ、庭を花いっぱいにしましょう!



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 今年は枇杷も大豊作のようです。
 でも黄色く色づき始めたばかりの実を、こいつらが片っ端から齧ってしまいます。まだすっぱいと思うんだけどなあ。


 そういえば例年は、きちーっと9月10日前後にパチャカマックに戻ってくるオウギオハチドリも、今年は8月なかばにはもう御帰還なさいました。
 うんと寒くて雨の多い冬は、そのぶん早く終る傾向がありますので、ロマスの緑も今のうちに楽しんでおかなくては。こうして日が射し始めると、あっというまに乾いて荒れ地に戻ってしまいますから。



2021年10月13日(水) 午後8時の室温21.4℃(寒の戻りでストーブつけてます) 外気温17.5℃ 曇り
非常事態令まだやってんのかいペルー!日記(51)
<ひさびさのイベント>



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 前の週末、PeruFlora(小規模な園芸見本市)をのぞいてきました。この手の催しに行くのは、ものすごーく久しぶり!
 会場はミラフローレスのセントラル公園でしたので、ノラさんたちとも久々の再会。
 (ときどきまとめて捕獲して、里親探しをしているらしく、以前ほどたくさんはいませんけれど)



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 しばらく前までリマを覆っていた、あのピリピリした空気は、もはやほぼ皆無。
 愚かしい二重マスクはいまだに義務なので、みなさん一応使ってはいますけれど。(とはいえまともに二枚重ねたら、酸欠で気絶しちゃうから、きっとみなさん何か細工してると思う…)
 同じく無意味なソーシャル・ディスタンスのほうは、もう誰も守っていません。たいへんけっこうなことだと思います。
 まあその園芸市なんて不要不急の代表ですから、もともと人ごみが怖くない人しか、ここには来ていなかった、ということかもしれませんね。



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 ほとんどの出店は、ありふれた多肉植物や園芸種の蘭ばかりで(もうちょっとなんとかならんか?)、大しておもしろくありませんが…
 こわいのはこういうお店です!



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 ペルー原産種の、小さな可憐な蘭がいっぱい並んでいます!
 それも、使い捨てカップで栽培されているところが、たまらなくペルーです。
 こういう原種の蘭は、アンデス東斜面の環境再現が(私には)とてもむずかしく、前に失敗しましたので、「もう手は出さないぞ…見るだけ見るだけ…」と日本語で唱えながらの見物です。



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 …にしてもかわいらしいですねええ。


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 やだな、全部ほしいな……
 まあ蘭はやめておくとしても、タンク・ブロメリア(中心に水をためるタイプのブロメリア)なら私でも大丈夫かな。
 むかしアンダワイラスでとってきたのを、アルパカに食われるまで(涙涙…)無事数年間育てたことがありますので。



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 もうすぐ花が咲きそうなブロメリア。これはきれいですねえ!
 でも熱心な愛好家たちが、学名を見て盛り上がっているのを、だまって傍らで聞いていると、どうも属する世界が微妙に違うような…そんな気がしてきました。私はもうちょっと、なんというか素朴で田舎くさいブロメリアがほしいな…



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 幸いぴったりなお店がありました。見るからに「山からとってきたばかり!」な植物を雑然と並べています。
 もちろん学名なんかだれも知らなくて、やっぱりこういう店が私は好きです。
 ここで、どんな花が咲くかまったくわからない、地味〜な薄緑のタンク・ブロメリアと、よく山でそのへんにぶらさがっている銀色のティランジアを少し買いました。セントロの花市場にお店があるそうなので、近いうちに行ってみます。車出すって言ったよね宿六君?



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 PeruFloraでは毎回よくわかんないフラワーアレンジメントが飾られて、「………」なんですけど、この巨大チョウチョはちょっとかわいい。
 ありふれた植物でうまいこと作ってあるのも、感じがいいですし、このまま公園においておけばいいのにね。



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 同公園の駐車場料金所も、バーティカル・ガーデン(笑)になっています。
 7、8年前からでしょうか、リマでもやたらとバーティカル・ガーデンが増えましたが、決まって水やり不足で上のほうがスカスカしています。かわいそ。



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 帰路に見かけたお店。
 ぜんぜん関係ないお話ですが、いつかうちの門前に、こういう小さなお店、作りたいんですよね!
 ジュース、菓子パン、日用雑貨、子供がよくなくす文房具などを、狭いところにありったけ詰め込んだ、とてもリマらしいお店。


 もちろん私が経営するのではなく、庭師さんへの福利厚生の一環として、たとえば奥さんの副業にしてもらっては?と考えています。
 初期投資は私持ちでしょうが、だれかが門前でがんばっていてくれれば、警備員さん代わりになりますし、また庭師さんのほうもちょこちょこ副収入があると満足度が高まりそうです。季節によっては、うちで余った果物や花苗など並べても良さそうですし。
 これは永吉君時代にも一度検討しましたが、なにぶん愛嬌のあの字もないご家族でしたので、商売は無理…と判断してやめたのでした。



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 さてこの日は、PeruFloraではあまり買うものなさそう…とわかっていたので、まず先に園芸店Los Incasに寄って、いろいろ仕入れてから行きました。
 パチャカマックからだと、リマ市内はどこも遠いですから、うまく半日が使えて良い考えでした。
 そうそうこの手押し車は新品です、今まで現場用の重いのを使っていましたが、宿六が青くて軽いのを買ってきてくれました。
 紫系の花を載せるとよく似合いますね。



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 紫の花というと、初夏のスペインで一面に咲いていたフレンチラベンダー(ストエカス種)……色も香りも忘れがたいです。

 リマではラベンダーというと、ふつうラバンディン種もしくはスイートラベンダーのようです(私には見分けがつきませんが多分そのへん)。
 丈夫で一年中咲いてくれるので、決してわるくはないですが、でも色が地味なのが惜しいところ。
 なのでフレンチラベンダーの色鮮やかさは、ぜひとも庭にほしくて、タネを取り寄せ育てましたが、花が咲くより前にアルパカたちに踏みつぶされました……



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 ところが(これまた久々の)園芸店Los Incasに行ってみたら、リマにはないと思っていたフレンチラベンダー、売ってるじゃないですか!
 それもスペインで見たのより、ずっと深い色のラベンダーです。いいなあ、このほとんど黒に近い花の色。


 でもなぜかLos Incasでは、ラベンダーの品種を誰も把握していない?のか、「いや?うちではラベンダーは、いつもの国産の一種類しかないですよ?」と言うんですけど、前にはイングリッシュラベンダー(アングスティフォリア種)を売ってたこともありますし、またこの日は明らかにデンタータ種と思われる苗もあったので、大喜びで買ってきました。
 品種がわからないのはむしろ楽しくて、どんな花が出てくるかな?と毎日嬉しく眺めています。



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 いま庭できれいに咲いている、白のヘリオトロープも、また別の旅の思い出がまつわる花です。


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 ペルー原産のヘリオトロープは、紫も複雑な良い香りですが、白はもっとずっとわかりやすい、ひたすら甘い香りです。
 アティキーパの海沿いのインカ道を、pacollamaさんcalleretiroさんと歩いた懐かしいあの日、真白なアマンカイと真白なヘリオトロープが咲き乱れて、潮風に混ざる甘い香りが夢のようだったのを、きのうのことみたいに思い出します。



<クリスマス支度とカントゥータ>



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わが家の新名所クルス・パタ


 さて今年は早々に、もうクリスマスのことを考えています。
 新庭師ベンハー君の家族が、とても素直でかわいい人たちで、いろいろおもしろがったり喜んだりしてくれるので、なんかやりがいがあるんですよね!
 まずはオリーブを植えたとき余った土で、ナシミエント(聖家族や天使、三賢王の人形一そろい)を飾る小山を造成?中です。
 PeruFloraで買ってきたブロメリアやティランジアも、ここに飾ろうと思っています。


 だいたい形ができたところに、ベンハー君の奥さんのゼラニウムちゃん(ゼラニウムが大好きな人なので、そう呼ぶことにしますね)が見に来て、
 「まあ、私の故郷にあるクルス・パタ(Cruz Pata)ってところに、道の感じがもうそっくり!
 キョウコ奥さん、テレパシーで風景が見えちゃったの?!」
 と驚くので、さっそくここをクルス・パタと名付けました。



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 そして、もっとアンデスらしさを演出せんと、イチュやサボテン、ティランジアをあれこれ並べ、うしろには珊瑚色のかわいいカントゥータも植えました。

 ペルー国花のカントゥータには、白、黄、橙、赤、濃淡さまざまなピンク、それにアレキーパの紫色の…と、実にいろんな種類があります。
 でも、こういう赤と黄色(と緑色のガク)の花、Cantua bicolorは、どうやらボリビア原産種のようです。
 しかもちょうどボリビア国旗と同じ配色なので、かの国ではカントゥータはこの赤黄緑の品種だけが、国花となっているんだそうですね。



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 ワンカベリカの、屋根より高いカントゥータ。うちのもいつかこうなっちゃうのかな…?


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 アンダワイラスの、かなりピンク寄りのカントゥータ。


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 標高3950メートルの、ほとんど宇宙空間な蒼穹を背にした、タキーレ島の真紅のカントゥータ。
 (さきほど、カントゥータはフロックス(芝桜など)の親戚、と初めて知って驚きましたが、たしかにこうして真下から見ると、花の形が似ていますね)



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 タキーレ島の、トケイソウとカントゥータで飾られたお宅。メザシ状に連ねたカントゥータの下で、結婚祝いの宴が開かれています。
 完全にベロンッベロンだったみなさんの写真、最高なんですが無断で載せて失礼になるといけないので、やめておきます…



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 こちらはカントゥータにそっくりですが、育っても30センチほどしかない小さな植物。
 パチャカマックに来てまもないころ、近所の花屋さんで買ってきて、庭にミニチュア・アンデスを再現して大いに悦に入っていたのですが…


 たしかエル・ニーニョの厳しい夏に枯らしてしまいました、惜しいことをしました。
 ぜひまた同じのを見つけて、クルス・パタの教会わきに植えたいです。でも同じ花屋さんに頼んでも、なかなか見つけてもらえずにおります。



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 花は1センチほど、非常に小さいので目をよーくこらして見ると、本物のカントゥータとは葉の形やガクのつきかたが違うのがわかります。
 でもぱっと見は「カントゥータの盆栽」そのもの。
 もしこれをクルス・パタに植えたら、植物マニアのベンハー君とゼラニウムちゃんにどれだけウケることか…と想像すると、いよいよもって手に入れたくなります。
 クリスマスまでには見つかりますように!



2021年10月25日(月) 午後7時の室温20.8℃ 外気温18.2℃ 快晴のち曇り
非常事態令まだやってんのかいペルー日記(52)
<ふたたびのペンキ熱 @ポーチの若葉色>



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初夏の庭はどこを見ても若葉色!


 ペルーはいまだに非常事態令出しっぱなしですが、感染者数も激減し、世間の雰囲気はほぼ元の木阿弥…じゃなくて元通りになったように感じます。
 店舗の入り口では、あいかわらず体温チェックをしていますが、ほとんどの担当者さんはピピっとやるだけで、数字なんかぜんぜん見ていません。その気持ちよくわかる。


 でも政府はあの手この手で脅かして、買っちゃったワクチンを何とか消費しようとしているようですね。
 新しく出たご法度によりますと、「45歳以上の者は、二回接種しない限り、陸路での県境越えは許されない」そうです。(…それはつまり、飛行機ならいいってことなの???)


 まあこの調子で感染者が減っていけば(予想以上に長引きましたが、さーすがにもう潮時でしょう!)、そのうちこの決まりも立ち消えるでしょうから、それまでは私はリマ界隈でおとなしくしています。昨年は突然の国境封鎖でいやな思いをしましたから、まだしばらくは遠出なんかする気になれませんし。

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おそるおそる試し塗り…


 ということで、またペンキ塗りを始めました。
 家に居ながらにして気分をかえるのに、ペンキ塗りほど効果絶大なものはありません。


 建築時、ペンキ選びまでたどり着いたときには、すでに疲労困憊していたため、全部まとめて同じ薄いピンクにしてしまいました。
 ピンクは明るいですし、暑くも寒くもなくて程良いんですけど、飽きました。今度はぜんぜん違う方向に行きたいです。


 まずは、相当あそんでも大丈夫そうなポーチを塗りかえてみます。
 もっと庭とつながった感じが出るように、明るい緑から選ぶことにしました。



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「若葉を見つめる私の瞳色…
なんていかが?」



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 めでたく「ハスミニの瞳色」に決まったので、宿六がペンキを買いに走り、作業開始!
 ほんとは自分で塗りたいのですが…チビには天井がしんどいですから、ベンハー君に任せることにしました。



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 ベンハー君はさっさとマスキングテープを貼り終え、たいへんな勢いで塗り進んでいきます。
 そしてお昼休みには、(私だったら使いかけの道具は、そのへんに放り出しとくと思いますが)、全部きちっと隅に片付け、床も軽く掃除してから食事に行きます。


 こういう仕事が丁寧で、しかも早い人材って、ペルーで見つけるのはたいへんなんですよ…(そのどっちかだけなら、大勢いますけど…)。
 しかもベンハー君は、働きながらペンキの色そのものに感心したり、覗き見する猫たちに声をかけたり、仕事を楽しんでいるのが伝わってきて、見ているこちらもたいへん心がなごみます。



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 またベンハー君は、先代の永吉君みたいにフラ〜っと消えたり…もしないので(笑)、ポーチは一日半できれいに仕上がりました。
 おお、これはみごとに緑!になりましたね。



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 緑色を選ぶのはむずかしいので、一歩まちがうと病院グリーンかも…と気になっていましたが、これなら大丈夫みたい。
 外の若葉と、ぴったり同じ色です。ハスミニも、「ちゃんと私の瞳の色かな?」とチェック中。



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 「庭の緑色が、室内の白壁にやわらかく映ったところ」を、ペンキで再現したかったのですが、けっこううまくいったと思います。
 ポーチがふわっと外とつながった感じがします。



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 そして日が暮れると…
 はじめはLED照明のせいで、にごった抹茶シェイクにどぶんと漬かったみたいで、少なからず後悔…
 でも、今や貴重品たる白熱電球にとりかえると、急に光と影に深みが出ました。



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 天井まで塗りこめて良かったです。
 白く塗った星型ランプも、引き立つようになりました。



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 いまひとつ「活きて」いなかった緑の窓も、ふしぎとおさまりが良くなりました。


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 いつも庭仕事の道具で散らかっていたポーチですが、これからは「よけいな物をそのへんに置かない!」を鉄則としなくては…
 それにしても困るのは、ペンキは一か所塗ったが最後、ほかの欠点が目につくようになり、キリがなくなってしまうことです。
 さっそく軒下に残るピンク色が、気になり始めました。外壁は青系にするつもりですが、早く色を決めなくては。



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 前回のペンキ塗りブームは、二世猫の到着をもって終了したため、いくつかの家具が半端な茶色のまま残っています。
 それも猛烈に目につくようになったので、塗り替えを始めました。



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 ついでに小物もいろいろ塗っています。まださほど暑くなく、でもサラサラ乾いた風が吹く今は、ペンキ塗りに最適です。
 ベンハー君のほうは、早くも外壁に取り掛かりました。追ってまたご報告いたします。



2021年10月30日(土) 午後7時半の室温22.2℃ 外気温19.2℃ 快晴のち曇り
非常事態令まだやってんのかいペルー日記(53)
<小さなハロウィン>



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 クリスマスに向けてちょこちょこ手を入れている、玄関わきの「クルス・パタ」。
 アヤクーチョの焼き物をあれこれ飾るつもりでしたが、昔ながらの素朴な民芸品は、もうほとんど手に入らなくなった昨今。
 大切なコレクションを雨ざらしにするのは、ちょっと惜しくなってきました。



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左のフクロウがオリジナル。
となりが粘土でざっくり作った写し。


 思案の末、樹脂粘土(ポリマークレイ)で写しを作ってみることに。初めて触ってみましたが、これとっても楽しいですね!!
 オーブンで焼き固め(100℃でたったの20分)、アクリル絵の具で彩色し、仕上げは手持ちの家具用ニス。
 しばらくためしにクルス・パタに放置してみましたが、日光も水も影響ないようです。
 ただやはり、人さまの作品を写すだけでは、あんまりおもしろくないですね。



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 次はペルーの緑色の道路標示をまねて、クルス・パタへの道案内を作ってみました。
 ベンハー君にウケました。



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 ペルーの中でも、たいへんローカル色の濃い道路標示、「ビクーニャ飛び出し注意」も製造。こちらはベンハー君の次女、百合子ちゃんにウケました。
 百合子ちゃんはいかにもアンデスの子らしく、クルス・パタの前にぺたんっと座りこんで、「今までおうちにナシミエント(聖家族の一そろい)があったことって、一度もないの!楽しみ!」と、嬉しそうに見入ってくれます。いい子だなあ…



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 年末にクルス・パタに据える聖家族像は、アヤクーチョのキヌア村に注文する予定でしたが、取りやめです。自分で作ったほうが、ずっと楽しそうですから。
 でもクリスマスは、まだちょっと先ですよね。それより前に、何かまた百合子ちゃんをおもしろがらせたいな…ということで思い出したのがハロウィン!
 数日しかありませんが、大急ぎでハロウィン用ミニチュアを製造いたします。



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 樹脂粘土なら、作ってすぐ焼いて仕上げができるので、今日までにオバケ三体とかぼちゃランタン、ビビりまくる黒猫が出来ました。
 もそっと時間があったら、ガイコツ・アルパカも作りたかったのですが、それはまた来年にでも。



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 さっきクルス・パタに飾ってきました。
 (私が作ると、どうしてもほんとのファンシー系にはならないんだなこれが…)



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Beaujolais nouveauならぬsang nouveau…?


 ちょっと気に入っているのは、今年の「ヌーボー血ワイン」を飲むこのオバケ。ほとんど自画像ですな。
 さて次は、聖家族セットの制作にとりかかります。作りたいものが次々浮かんでくるので、宿六君、粘土の追加注文のほうはよろしく。



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