2023 ジャパンツアー
「とびにちゅうい」
<その1>
〜人生最悪? それとも最良の旅?〜
本人にとっても晴天の霹靂だった、急な日本行のご報告
4月の出張先の、コロンビアのメデジンで、 ロープウェイに乗った宿六。 「ロープウェイなんて40年は乗ってないかも? 私も乗りたい!」などとうっかり思った 私がバカでした。まさかそれから間もなく、 薄暗ーい気分で乗りこむことになるとは… 昨年、日本の実家で相続案件が発生。 そのころペルーは、コローナの第四波だか五波だかのピークで、物理的に日本へは行けない状況でした。そこで私はパチャカマックの家で、およそ年齢に不足はなかったその人の、穏やかな旅立ちを祝いつつ、静かに心の中で見送りました。 私とはいろいろあった人でしたが、私の側のつまらぬこだわりがすべて消えてから、旅立ちの時を迎えたのは幸せでした。 そのあと実家からは、相続についてはすべて任せるように言われました。 しかしそのまま時ばかり流れていくので、少ーし不安には思っていましたが……私はもともとは何も受け取らない心づもりでしたし、きっと書類のやりとりで終るのだろうと、実に簡単に考えていました。それにこちらもいろいろ忙しく、ついそのまま忘れてしまったのでした。 |
ロープウェイで登りつめたところには、 紫陽花の公園があったそうです。 うちの紫陽花は、夏の水不足で枯れたので、 「元気な紫陽花をたくさん見たい!」 なんてつい考えた私が愚かでした。 まさか一か月後には、 いやというほど見ることになるとはね… 前の夏、パチャカマックは暑さが初冬の5月まで長引きました。 庭の緑を守るために、私も毎日深夜まで水撒きです。それだけでもクタクタなところに、キヤチャの悲しい出来事も重なり、しかもキヤチャが旅立ったその晩から、宿六は泣く泣くコロンビア出張へ… うちは動物の世話が多いので、宿六の留守中は、私はけっこう手いっぱい。かわいいキヤチャをゆっくりしのぶ暇もなかったです。 そして4月末、やっと宿六が帰国した翌朝。おみやげのコロンビアコーヒーを飲みながら、 「この夏はいろいろ大変だったけど、これから数日くらいはゆっくりして、しみじみキヤチャのことも思い出したいね」などと話し合っていた、そのとき…… |
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実家から半年ぶりのメールが届きました。 「相続税支払い期限がもうギリギリなので、再来週くらいにちょっと帰国してください」…と! 初めは意味がわかりませんでした。再来週にちょっと…って……再来週にちょっと地球の反対側に顔を出せ、ということすか?! 泡を食って電話して、こちらにも一応生活があるので(笑)ぜったい無理と伝えましたが… 先方にも事情があるようです。 なんでも支払い期限前なら受けられる、大幅な控除があるそうで、でもそれを逃すと、向こうの皆さまはお手上げなのだとか。 しかし、届け出書類は専門家に任せていないため、まだ未完成ゆえ(....Dios mio !!!)、ペルーに郵送はできない状態… 従って、「私(その控除の受益者ではない私)が、すぐ日本へ走って手続きをする」ほかには、期限に間に合わせる方法はない、とのことで… 私の側から見ると、つっこみどころ満載ですが、それを論じている時間すらなさそうなことは、よーくわかりました。 それに私たちは本質的に善意のかたまりなので(だと思うよ本当に!)、「すわ!実家の一大事!」ということで、それから二週間あまり、自分たちの予定と都合はすべて投げ捨て、旅支度のため駆け回りました。 私が実家への電話を切るより前に、宿六は自分のビザの取得準備に取り掛かっていました。 ペルーから日本までは、丸一日以上かかります(じっさいにはそれどこじゃなかったのですが、そのお話はすぐあとで…) そのあいだ密閉された機内で過ごすのは、喘息持ちにとっては恐るべきことで、大げさではなくちょっとした決死の旅です。だから私がひとりでは絶対行きたくないことを、少なくとも宿六だけはわかってくれているからです。 でもたった一か月の観光ビザを取るために、本当は二週間はみておかないと危ないのです。またどれだけ待っても、出ないときは出ないので、正式に受け取るまでは先走ってチケットを買うことすらできません、無駄になりかねませんから。 ただ今回は幸いにも、思ったよりだいぶ早くビザが出て、それは大いに助かりました。 |
月や白い雲は、今でも ぜんぶキヤチャに見えるなあ… お次は、出発直前でくっそ高い航空チケットの手配です。 …失礼、でもほんとくっそ高かったんです、もちろんエコノミーですが二人で60万円ほどかかりました。それでもまだ安いほうの選択肢だった、ニューアーク経由羽田行き便です。 それから宿の予約ですが、インバウンドとやらが一気に復活した時期だったため、どこもかしこも満室ばかり。長く連泊できるところが見つからず、これも一苦労。 そしてさいごに、プチ牧場なわが家を留守にする準備です。とりあえず二週間の予定ですが、悪い予感しかないので、念のためすべて三週間分用意しました。これがいちばん大変でした。 また折あしく、ハシンタ二世猫がずっと不安定にしており、旅のあいだじゅう心配することになりました。 結局は大丈夫でしたが、多分このときは、突然のストレスで参っていた私から、少し重荷を引き受けてくれたのでしょう。ペットって頼んでもいないのに、そういうことしてくれちゃうんですよね。 さらに留守中は、百合子ちゃんやベンハー君にペットシッターに来てもらうので、いろいろわかりやすいように整理整頓もしないとなりません。 それも大仕事でした。長引く残暑の疲れで、家をめちゃくちゃにしてましたから。 このすべてを二週間半でやっつけた上に、実家へのお土産もスーツケース一杯分用意して(事情が事情なので、さぞ温かく大歓迎してくれるだろうと思いこんでましたので)、それを超特急でスーツケースに詰め込んで… そしてなんとか出発の5月19日を迎えました。人生でこんなに慌てたことはありません。 |
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わたしゃなにが悲しゅうて あいかわらず陰鬱なリマ・セントロの 味気ないホテル・シェラトンにいるわけ?
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必死に駆け抜けた巨大なロサンゼルス空港。 別に身内に恩を売りたくて 走ったわけじゃありません。でもせめて一言、 「がんばってくれて本当に助かった!」 とでも言ってくれたら、 私たちもさぞ嬉しかったろうと思います。
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ロサンゼルス2.5キロ走。 この苦しさは一生忘れませぬ。 それがまた国内線到着ゲートから、国際線出発ゲートまでがえらく遠くて、たっぷり空港半周分です。あまりに時間がなさすぎて、のんびり移動用カートを待ってる余裕すらありません。ただただ走るのみ! 描画は省略した横道や、アップダウンも無数にあったので、恐らく合計2.5キロはあったかと思います。 …2.5キロったら、中落合の元・実家から一気に目白駅前まで走って、すぐまた同じ目白通りを引き返し、染谷先生の美容院まで走って戻ってくる、くらいの距離です(ローカルすぎてすみません)。 しまいには喘息発作で息ができなくなって、ともかく宿六だけ、先に出発ゲートに走り込ませます。そして奇跡的にも、間に合ったのでした! …しかし!結局この羽田行きもトイレの故障とかで、1時間出発が遅れ、じゃあなんのために必死で走ったの?といういらんオチまでついて、もっとグッタリ。 |
全日空便が「まだそこにいる」のを 見たときは、本当に嬉しかったです 羽田便は、幸いにも全日空。かわいい乗務員さんたちの細やかな優しさが、とてもありがたかったです。 共同運航の、万事粗暴なユナイテッドとは、誇張なしで天国と地獄の違いです。 そして、前後の移動も入れると軽く70時間超!の長旅で疲れ果てた私たちが、来たくもなんともなかった羽田に降り立ったのは… 相続税支払い期限の「前日深夜」でした(もう笑うしかない!)… この3日近い無茶な行程の、直近の原因を作ったのは、もちろん大馬鹿ユナイテッドです。 でも日本での手続きに、もしあと数日でも余裕があったら、ぜんぜん話はちがってました。乗り継ぎ便を逃したニューアークで、ゆっくり一泊して、なんならニューヨーク観光でもしてから(別にしたくないけど)、翌日羽田へ向かえばよかったんですから!それだけでも体力的にはずっと楽だったはず。 だからすべてが、「人災」でした。 しかも、のちに東京で起きたことを思うと、あまりのバカバカしさに、このおしとやかなわたくしですらギャーッと叫びたくなります。 いえ、税支払いのほうは、無事終ったらしいのですけどね(しらんけどね)……まあこれは、また追々お話ししましょう。 |
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次の朝(?)食も、 なんか実のある良い内容でした。 (ユナイテッドのひどい機内食も、 比べて笑うために撮っとけばよかったなー) |
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暑い暑いと聞いていた東京は、 どっちかというとうすら寒かったです。 いろんな意味で。 真夜中すぎに、おなかぺこぺこ喉カラカラで、池袋のお宿に到着。 でももう買い出しに出る余力もなく(あるはずないわ!)、備品のまずいお茶だけ飲んで休みます。 そして翌朝は死ぬ気で這い出し、必要な手続きだけは無事に済ませました。ほっとしました。 ところがその後も毎日のように、相続絡みの不測の事態が大発生。待つしかない立場の私たちは、神経がすり減るいっぽうです。 また、ひたすら善意で駆けつけた私たちに、ずいぶんな言葉を投げつけてきた、血のつながらない身内もいたりで、実に実に実に忍耐力を試される滞在となりました。 はじめのうちは、ともかく日本に駆けつけて、いろいろ片付けてから、お友達にも連絡してみよう…と思っていました。 でもそんな状況ですから、心の余裕が全くなくて、またほとんど帰国直前まで見通しが立たなかったこともあり、とうとうさいごまでどなたにも話さずじまいです。 |
ただこれには、もうひとつ理由がありました。 日本に到着したら、想像以上にみなさんマスクを使っていて、びっくりしちゃったんですよね。(初夏なのに、誰もかれも喪服のような黒い装いなのには、もっと驚きましたが、それはまた別のお話…) お友達のみなさんも、マスクについては、きっとそれぞれ考え方が違うはず。 もしマスク使う気ゼロの私たちが、お友達にいやな思いを強いてしまっては、申し訳なさすぎるので、まだまだ微妙な時期の今回は遠慮しておこう、ということになりました。 滞在は、はじめは二週間のつもりでした。でもじきに、それでは何も片付かないとわかりました。 それに今回は、軽く二回分の運賃(と二、三回分の移動時間…)を費やして日本へ来ていますから、また出直すのはごめんです。そこでやむなく、もう一週間、旅程を伸ばすことにしました。 まあここで、行きがけの祟りのような不運が「活用」できたのは、よかったというかなんというか。ユナイテッドのおかげで散々な目にあいましたから、宿六が交渉して、無料でチケット変更をさせました。まあいくらなんでもそのくらいはね。 |
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さてその後も、ひたすら待つのが仕事なので、いつでもすぐ東京に戻れる近場を選んで、小旅行に出かけることにしました。 でもそのあいだもずっと、あの身内に言われた、冷たく侮辱的な言葉が、折々に脳裏に浮かんできます… そのせいで、「ただただひどい旅だった」という印象だけが残りました。 しかしそれから数か月、だいぶ気持ちがおさまってから、写真を整理してみますと… 写真の中の私と宿六、けっこう楽しそうにしています。 思えば滞在中、「自分で自分たちをもてなした部分」は、すべて完璧で楽しかったのですよね。それはもう、怒りに任せて豪遊しましたし! 人生最後の日本行きだったかもしれないので(少なくとも今はそういう気分だ!)、思い切って遊んでよかったです。 |
こうしてみると池袋も なかなか美しいねえ… またこの機会に、もういらなくなった過去の自分とも、きちんとお別れしてくることができました。なのでよくよく考えると、非常に収穫の多い旅だったような気も…うーんまだちょっとだけだけど…しはじめています。 以下、できるだけ楽しかったあたりを中心にご報告します。 |
東京滞在中、かなり困ったのが食べものです。…まさか東京で食事に困るとは! でも私たちはこの6年、野菜と動物性たんぱく質、果物、ワイン中心にとってましたので、基本でんぷんだらけの日本の食事には、順応が難しかった…というか無理でした。 楽しみにしていたデパ地下でも、いろいろ買ってみましたが、どれも同じ「既製のそばつゆ的な甘い味」が気になって、どうもおいしくありません。 大きなお世話は承知ですが、ちょっと日本の食事、ぜんたいに甘すぎないかなあ… |
デパートのレストランの、牛タンの塩焼きはおいしかった! でもごはんを食べない私たちは、これではちょっと足りないのですよね。ここに大量の野菜をもってきたいところです。 |
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はじめの数日は、お米を少しとっただけで、ずっしりと胃腸にひびく重さを感じました。でんぷんを分解できる腸内細菌が、ご不在だったんだと思います(笑) でも次第に少しは消化できるようになったので、そろそろ甘いものも試してみましょう。 主として生クリームと栗を使うモンブランは、土台のスポンジケーキさえ残せば、ほぼグルテンフリーです。 グルテンは趣味で避けてるだけの宿六は、ひさしぶりのチーズケーキを楽しみます。 |
池袋駅の地下コンコースで、グルテンフリーのモンブランなるものを扱う店も見つけました。 要するに台のケーキのかわりに、求肥を使っているのですね。なるほど。 でも求肥は胃に重いので残しました。…うーんそれでは、わざわざグルテンフリーものを買う意味ないか… |
これは懐かしい!昔よりずいぶんちっちゃくなったけど。 ようかんがするりと出るように、竹筒に穴をあけますが、それ専用の押しピンが2本ついていました…ちと過剰なおもてなし。 日本では何を買って食べても、本当にごみだらけになりますね…竹と笹の葉はいいですけどね… |
いちばんおいしかったのはこれ。久しぶりの緑のメロンも嬉しいですが、それよりもメロンシャーベットのほうが絶品ですね。 ソフトクリームの甘さも、身体が重くならない絶妙の配合で、宿六も陶然としてしまい、「ぜったい三回は食べる!」と宣言(時間が足りず二回のみクリア)。 しかし二人で二回来て、コーヒーなしでも一万円ですか… ペルーはトロピカルな果物が安いので、ときどきタカノのメニューをネットで見ては、笑いもの?にしていましたがすいませんでした。たしかにこのパフェには、値段にみあった価値があります。 |
お店の人が、注文前にまずアレルギーについて確認してくれるのも、時代は変わったなあ…と感心しました。マスクメロンパフェは、上の飾りだけ小麦粉だそうで、ほかは問題なしです。 東武デパートにあるこのパーラーから、ごちゃごちゃした外を見ると、どうしてかな、この通りが奇妙に懐かしい… かつての地元とはいえ、建物はずいぶん変わってしまってよくわかりませんが、これどこかな、池袋駅の西口出たあたり? |
あーそうだ!ここは小学校から高校まで、うちに帰るバスに乗ってた場所です! 半世紀ほど前のことですが、モスグリーンの国際興業バスと、赤い関東バス、どちらも昔に近い姿で健在のようですね! 前はバス停前に、大きな芳林堂書店があって、学校は寄り道厳禁でしたけど、ときどきこっそり入っていました。もうなくなってしまったようですね。 |
毎日ひとりで、あのバス停に並んでいたのがこのチビです。リマだったらありえません。 でもやっぱり、日本人が見ても心細そうだったのか、よくお年寄りが親切に話しかけてくれました、「だいじょうぶ?降りるところわかる?」「なんの本読んでるの?えらいねー!」などなどと。 53年前のこの写真、背景は東横線の代官山駅です。 この数か月後に、今回の苦労の元凶たる実家建物が、今もある新宿区へ引越したのでした。 |
外食にも疲れて、スーパーでたんぱく質と野菜を探してみました。 うーん、サラダ油やごま油の、「よくあるドレッシングのあの味」がどうもねえ…。宿六はなんでも喜びますけど。 |
別の日も、ありったけの動物性たんぱく質を物色… 小麦粉やパン粉を使っていないものは、ほとんどありませんね。そしてどれも、別にまずくはないのですが、やはりどこかプラスティック味です。 でも少なくとも、東京で本格的な低糖質の食事を追求したら、破産するかも…ということは、よくわかりました。やっぱり私は、ペルーに住んでてよかったです。 |
この旅の軍資金には、日本に残してあった貯金を充てたので、せっかくの円安も享受できず、なにもかも高く感じました。 果物の高さにも、改めて驚きました。 ペルーにはない大ぶりなビワと、昔懐かしいデラウェアぶどう。 値段を見て驚愕、熱いものを触ったみたいに一瞬で棚に戻しましたが、レジ脇のおつとめ品コーナーで、ちょっと日が過ぎたのを見つけて、そちらを持ち帰りました。満足。 私が育った代官山同潤会アパートには、祖父丹精のデラウェアぶどう棚と、大きなビワの木があって、毎年初夏から夏にかけては食べ放題でした。 でも必ず祖父が、「ビワの根元に、プチ(ペットだったコッカースパニエル)を埋めたから、それでこんなにおいしいんだ」…という毎年同じブラックジョークをかますのには、幼いながらも辟易しておりました。 |
東京での食料探しもたいへんでしたが、ホテルもなかなかでした。 直前も直前の予約だったので、同じ部屋での連泊ができず、ホテル内で何度も引越すことになりました。ああめんどくさい。 ただその結果、室料レベルの違う4種!の部屋に泊ることになり、料金しだいで眺めや家具やアメニティの質が、じわじわと変わっていくのを大いに楽しみました。すべてが単純にお金ベースで動く、地獄の沙汰も…な今の世界の、縮図のようで可笑しかったです。 なにしろ朝食で案内される席から、マットレスや家具の質、浴室のドライヤーやシャンプー類のメーカー、エレベーターホールのどうでもいいオブジェの有無まで、実に細かく変わっていくんですもん。そこまでとは思わなかった! それにたまたま、徐々に「身分」が上がって(笑)上階に移動していったので、気分も良かったです。逆だとさびしいですものね。 きのうまでは見えなかった、立教大学のかわいい緑が見えたときは、特に嬉しかったです。 今は新緑がみずみずしいですが、10年前に泊ったときは、クリスマスのイルミネーションが輝いていたのですよね。 |
50代さいごの誕生日の朝。 すばらしすぎるメッセージを贈られて、 湘南新宿ライン(ってなに?)の電車内では、 黙りこくっていた私ですが… 5月27日。宿六と私の誕生日は、鎌倉でゆっくり過ごすことに決めました。私には懐かしい土地ですし、宿六のほうは初めてなので、両名ともにたいへん楽しみにしていました。 ところが出発直前に、例の事件が起きました。 このたびの厄介な状況を作ったご当人からは、驚いたことにこの日に至るまで、私たちを労わるお言葉ひとつすら頂いておりません。 それなのに、よりによってこの日の朝。たいへん侮辱的な短いメッセージを、前後の脈略もなしに、とつぜん書いてみえたのです。 要約すると、「目下のくせにお前のメッセージは無礼だ」という趣旨でした。…は?その人とは直接連絡もとっていないのに、いったいなぜ?それもよりによって、私たちの誕生日の朝に、なぜ?! 過去30年間、こんな失礼な扱いを人から受けたことは、一度もありません。 それも、私たちが何とか役に立とうとあんなにがんばった、てっきり身内だと思っていたその相手から、こんな言葉を聞かされるとは!あまりのくだらなさに、怒りよりまず、積もった疲れが吹き出してきます。 後日、その人の言動を冷静に分析してみました(姉ではありません、念のため)。 その人にとっての「目下」とは、以下のようなものらしいです。 1)年齢が下の人間は全員「目下」である。こちらが世話をしたことがなくても、こちらが世話になったとしても、自動的に目下である。 2)目下の権利は、少なめに認めてやればじゅうぶんである。なぜなら目下だから。 3)しかし目下は、義務はすべてきっちり果たすべきである。なぜなら目下だから。 4)また目下は、目上のためには万障繰り合わせ、一切埋め合わせなしに自費で走り回るのが当然である。なぜなら目下だから。 5)またそれに対し、目上には感謝の言葉を伝える必要はまったくない。なぜなら相手は目下だから。 久しぶりに「先進国」へ来たつもりでしたが、私はまちがって江戸時代にタイムスリップしてしまったようです。 まあそれなら仕方ないですね、別次元の人とは、言葉や気持ちが通じるはずもありません。あたたかな再会をちょっとでも期待した私たちが、思いちがいをしていただけです。 |
…鎌倉で生シラスに会う頃には、 だいぶ復活いたしました 私の実家は、物心つくかつかないうちから、たいへん居心地のわるいところでした。 家族、特に母を喜ばせたくて、一所懸命がんばればがんばるほど裏目に出て、挙句の果てにはただ批判され冷笑される、というのがお決まりのパターンでした。 でも祖父だけは、いつも私を理屈ぬきに大事にしてくれたので、何とかバランスがとれていました。 祖父は気が弱すぎたため、表立って私を庇うことはできませんでしたが(笑)、いつもかげでこっそり、「ママもずいぶんだねえ、響子がかわいそうだよ」と共感を示してくれるのは、けっこうなぐさめになっていました。 でもこのところ、「極端に居心地がわるかった実家」のありがたさを、まったくいやみでもなんでもなしに、心底から感じています。 引きこもり傾向顕著な私が、地球の反対側まで逃げ出して、そこで自分の小さな世界を作るだけの、ある種の推進力を持つきっかけとなったのは、ひとえにその居心地のわるさだったからです。 その後、元・実家の顔ぶれは変わりましたが、私の善意がなぜかまっすぐ伝わらず、冷ややかに扱われる場所、というありがたい本質は不変のようです。 拗ねてそう言っているのではありません。ごく深ーいところでは、私自身が無意識にそう望み、そう仕向けているのでしょう(たぶん)。 なぜなら、日本に落ち着ける居場所は、ないほうがずっといいのです。そのおかげで、今のペルー暮らしに磨きをかける気力が、ますます湧いてきます。 とはいえやはり、ペルーへの帰国後一か月くらいは、私もかなり怒っていましたが(そりゃまあふつう怒るよね…)、私なりに状況分析したあとは、飽きてどうでも良くなりました。 誕生日に、すばらしすぎる言葉を贈ってくれた人には、二度と会うこともないでしょうし、ぜひ早々に互いの存在を忘れて、それぞれのやりかたで幸せに暮らせたらと思います。 この旅で今まで以上にはっきり認識したのは、生家と自分、日本と自分の縁の薄さです。 だからこそ日本滞在中は、まだ気持ちが少し残っている場所を、できるだけまわって、過去の私の亡霊をきっちり回収してこようと決めました。 今後は、役目の終った私の亡霊(人生でいちばん役に立たない感情、犬も喰わない「被害者意識」を抱えていたころの私)には、もう二度と脚を引っぱらせません。そして「今の自分」を楽しみながら、私にしか作れない自分の世界を、もっと緻密に作り込んでいきたいです。 |
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土曜にも関わらず、運よく予約できたのは横手の部屋ですが、海は思いのほか近く見えます。 波打ち際とのあいだには道路があって、でもけっこう静かでした。波の音が、騒音をかなり打ち消しているのでしょうね。天然のノイズサウンドマシーンですね。 |
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上天気の由比ガ浜を、長々と散歩して、今朝のへんな印象を海風に吹き散らしてもらいます! |
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さてホテルへ戻って夕食です。 右手に夜の海の気配を感じながら、ちょこちょこと様々なお魚を味わえるのは天国ですね。 お酒は、ビールも日本酒も苦手なので迷いましたが、うんと辛口のカーバが意外にもぴったり!でした。今まで和食にブドウ系は邪道と思ってました、ごめんなさい。 はまぐり、あいなめ、まぐろ、ホタルイカ…あと右の藁焼きのお魚はなんだったかな?カツオにサワラ? |
ハモなんて、もう一生食べることもないかと思ってました。 アレルギーについては、事前に詳しく問い合わせが来て、私のお椀は梅そうめん抜きで出してくれました。 左の写真にちょこんと見える、じゅんさいも懐かしいなあ! パチャカマックの猛暑の直後に、とんびに攫われ初夏の日本へやってきて、味方と思ってたお侍さんに斬りつけられたりもして、自分がどの時代にいるかもわからなくなっていましたが、そうかここは2023年の日本で、じゅんさいの季節なのですね。 |
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このコースで気に入らなかったのは、このエディブルフラワーだけ… 妙に気取ったりひねったりした料理は、一切出て来なくて、和食はこういうのがいいですね。とてもくつろげます。 |
銀鮭(うちのご近所のチリ産?)の柚庵焼きと、稚鮎。 せっかく初夏なので、鮎はどこかで…と思っていました。これで一応、ちっちゃいけど頂きました、ということで。 このお皿もいいな欲しいな。スペイン風おつまみにも合いそうです。 |
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そしてたけのこごはんかー。たけのこにも間に合って、わたし意外にいい季節に来たのかも。 アオサの赤だしもたいへん好みです。お鍋も、キンメダイ、ホタテガイ、アナゴと賑やかでした。 ホタテガイはペルーで飽きてるので(えっへん!)、宿六にあげましたけど。 |
あははは、やっとだれかに誕生日を祝ってもらえました。よく考えると、自分に、だけど(笑) でも本当はそれがいちばんなのですよね、自分ほど自分をわかってる人はいないから。 宿六も同じチョコレートプレートをつけてもらって、今年もいっしょに1歳ずつ年をとりました。 |
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きのうの朝は、どんなひどい誕生日になるかと大いに危ぶまれましたが…しっかりカーバを飲んで、ぐっすり眠って、良い朝を迎えました。 起きてすぐ、窓外に海が輝いているのは、本当にいいですね。 |
朝食は、建長寺直伝なるけんちん汁がおいしくて、根菜は苦手なのに珍しくおかわりしました。 |
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西京焼きは何のお魚だったか?ギンダラかな? 今は和食の朝食でも、ほぼ確実にサラダとコーヒーがつくようですね。ありがたいことです。 |
キラキラ光る海を見ながら、セルフサービスのコーヒーを3、4杯も飲んで、やっとはっきりと目を覚まします。 ここの従業員の皆さんは、日本にありがちな変な緊張感のない、ほどよく気さくな接客のできる人たちで、とてもゆったりできました。 一泊しかとれなかったのが残念です。もうちょっと近かったら、毎年誕生日に来るのですけど。 今は、どこかのお嬢様学校の修学旅行で、満室なのだそうです。贅沢でいいなあ!そういう学校に行きたかったなあ。 |
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しかたなく七里ガ浜のホテルに引越しです。 きのうのホテルより、全体にうすっぺらな作りですが、でもこの江の島ビューは格別ですね! |
このホテルに就職したばかりという、案内のかわいいお嬢さんが、「畑に囲まれて育ったので、海の見えるところで働けるのが、もう夢のようで!」と話していました。 確かにここなら、ちょっとしたストレスくらいは、外に目を向けるだけで消えてしまいそうです。 風が少し強まってきました。台風2号と梅雨前線の影響だそうです。 荒れ始めた海からは、ぞくぞくするようなエネルギーが伝わってきますね! |
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大学時代は、写真を撮りに、よくひとりで鎌倉に来ていました。 授業に出るため目白駅で山手線に乗って、一応は三田まで行こうと思うのですが… たまたま雪が降っていたりすると、品川あたりで気が変わって、降りちゃうわけです。 大学よりも、平日のだれもいない鎌倉(インバウンドもへちまもなかった当時は、平日はがらんとしてました)のほうが、はるかに鮮明に記憶に残っていますから、当時ちょいちょいサボったのは正しかったです。 そして夕方になると、大学に行ってたかのような顔をして、黙って家に戻るわけです。よく四年で卒業できましたよね。 |
お天気はこんなですが、うっすら富士山も見えて、宿六大満足。 ていうか池袋でもしっかり見たでしょ? 昔は主に山側をうろついていたので、この位置から江の島を見るのは初めてです。 鎌倉じたいに泊るのも初めてで、やはり数泊でもすると、地形などよく頭に入りますね。 |
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まだかろうじて見える富士山。夏場は見えない日のほうが多いそうです。 むこうの丘のおうちからの眺めも、さぞ絶景でしょうね! |
日曜の今日は、どこに行っても混みそうです。そこでホテル内のレストランに、予約客が来る前にすべりこみ、ささっと昼食… 国産牛も、お店自慢の鎌倉野菜も、じゅうぶんおいしかったです。 でもすみません、やっぱりペルーの牛肉と野菜のほうが、数倍深みのある味です。 |
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お天気は晴れたり曇ったり。 風はさらに強まり、プールの水も楽しそうにひとりで踊っています。 |
お天気が本格的に崩れる前に、急いで出かけます。 東慶寺のこの無粋な手すり、こんなの前からあったっけ?…ですけど、まあいいか。 日曜日の鎌倉駅前は大混雑ですが、北鎌倉まで来ると、すーっと人出が少なくなります。 |
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東慶寺の青梅に、また会えるとは思わなかったなあ! ここで梅雨時に、ぬれそぼった青梅を何枚も撮って、写真の先生に、「あんた若いのに、これはまた渋いものを撮ってきたねえ」と、珍しくほめられ?たのも懐かしいです。 このいいかげんな写真はダメですが、そのときは雨の下、見るだけですっぱさを感じるような、透きとおる青梅色が撮れたのでした。 |
可憐なこの花は、ダイモンジソウ? 冨成先生に伺えば、一瞬でわかるのですが。先生もうどこかに転生なさってる? |
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お天気はまだもちそうなので、少しハイキングコースを歩きます。 ざわざわざわざわ…と、湿り気を含む風が吹きわたる、緑の尾根道をたいへん気分よく歩きます。ふだんこういうところで散歩できると、本当にいいのですけど。沙漠のリマでは、そりゃあ無理ですよね。 |
若かった昔は、人気のないこのあたりを歩くのは、ちょっとこわいようでした。 今日もお天気のせいか、ほとんどだれも歩いていません。 |
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急にふっと開けると、源氏山公園です。そこで頼朝像を見たとたん、脳内によみがえったのは… 石坂浩二演じる頼朝が、あの独特の鼻にかかった声で、もったいぶって「むあ・さ・こ(政子)!」と呼ぶ声です。 そういえば昨年、日曜朝(時差があるので…)にふとNHKをつけたら、現代版の頼朝が写っていました。 そしてその頼朝は、「政子」というときだけ、明らかに石坂浩二の声音で「むあ・さ・こ!」とやってのけるので、可笑しいやら懐かしいやらで吹き出しました。 上手な俳優というのは、みなさんそれぞれうまいものだなあ。 |
昔は鎌倉歩きも、字数の限られたガイドブック頼り。今のような懇切丁寧な情報は、望むべくもありませんでした。 初めて化粧坂を訪れたときも、ほぼ何も知らずに来てしまいました。 しとしと雨の日に、いつものように大学さぼって普通の靴でやってきて、つるつるすべる坂道の中ほどで、前にも後ろにも進めなくなりました。 さいごは腰をおとして、いざるようにして下って逃げ帰りました。 住宅街はすぐそこなのに、ここだけ異世界でした。あっというまに日も暮れかけて、まわりには人気もなくて、当時からふてぶてしかった私も泣きそうでした。 今日はあまりの懐かしさに、ちょっと寄り道をして、あのときはどうも、とよくすべる石に声だけかけて、また先へ進みます。 切通しっぽい場所の、雰囲気だけでも宿六に見せられて良かったです。もしまた鎌倉に来ることがあるなら、ちゃんとした切通しをぜんぶ歩きたいですけれど。 |
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佐助稲荷も、今はとても有名な観光地のようですね。 40年ほど前の、やはり小雨の薄暗い日。住宅地をさまよううちに、たまたまこの鳥居群の前に出ました。当時鳥居はもっと少なかったと思いますが。 そしておそるおそる鳥居をくぐっていくと、奥で白狐の大群に迎えられ、仰天しました。 |
だれもいない寂しいお稲荷さんの、夕方の薄闇の底から、雨に濡れて妙に冴えざえと見える白狐たちが、みーんなこちらを凝視していて… 不思議な夢を見たように思っていました。 ちゃんと実在することを、今日は確認できて、嬉しいようなつまらないような。 |
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あら、モナルカ蝶のよだれかけ! |
新緑の中の白狐は、 いっそう色白美人に見えます。 |
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とぼとぼ歩いて鎌倉駅前に出るころには、日が暮れて小雨も降り始めました。 日曜の夜って、こんなに急にパタパタパタっと、人かげがなくなってしまうものでしたっけ?ペルーじゃ多くのみなさんが、日曜も平気で朝まで騒いでいますけど。 むやみに寂しくなって、最初に目についた中華料理店に入ります。なにも鎌倉で銀座アスターに入らんでも、とも思いましたが、駅前なのにもう閉まった店も多く、やはりここは観光地だからでしょうか。 |
中華料理は何が入っているかわかりにくいので、避けるつもりでした。 でも今はちゃんと、まずアレルギーについて聞いてくれるんですね。そのあたりは、十年前とはすっかり変わりましたね。 |
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ここでも少しずつ、いろんなものが出てきて、たしかに楽しくておいしいです。 でもすでに、自分の単純豪快な料理も恋しくなってきました… |
うしろの窓のむこうは、どうやら江ノ電のホームらしいです。 食事中に何度も列車が到着するので、こちらも食堂車に乗ってるような気がしてきて、なかなかです。 ビルの外見からは想像できなかったけど、ここの銀座アスターおもしろくていいですわ! |
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銀座アスターは、東京時代にはあまり行った覚えもなく、それなのになじみ深い気が…と思っていたら。 この旅の機会に、姉からもらった古いアルバムに、この写真があって納得しました。 代官山の家では、銀座アスターの番重を台にして、うさぎを飼っていたのですね。 しかし我が一族は、いったいどこでこの番重を手に入れたのやら?いかにも中華まんじゅうが、ほかほか湯気をたてて並んでいそうな箱ですが。 うさぎの前にたれさがっているのは、庭にあったビワの葉かな? (同潤会アパートの家は角の一階で、小さな裏庭がついていて、そこにビワの木がありました) ビワの葉はアルパカたちの大好物ですが、うさぎも食べるのでしょうか?パチャカマックに戻ったら、百合子ちゃんのうさぎに聞いてみましょう。 |
大白うさぎに、ニンジンを齧らせているところです。写真を見ていると、うさぎの前脚の力強い感触も思い出します。 このうさぎは、父が大学の実験用うさぎを譲ってもらったらしく…。今はそういうのまずいでしょうね、きっと。 1967年ごろかと思いますが、犬とうさぎ、それに米国から父が密輸した陸ガメ(考えてみると、うちの父けっこうひどいな…)を、外で並べて飼っていた私の生家は、近所の人たちに「飯尾動物園!」と揶揄されていたそうです。 ふーむ、少なくとも自宅動物園の規模においては、私は完全に父を超えましたな!(笑) へんに子供っぽかった父が、ムカっとする顔が見えるようです。 |