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2020年3月 非常事態令下の「一服いかが?」
<その1>



非常事態宣言下のペルーいいかげんにしてよ日記

2020年3月20日(金)
(1)<非常事態宣言下の、いつもと大体(まあ大体)同じ日々>


2020年3月23日(月)
(2)<宿六ギリギリセーフ帰国 & ほぼ無人のリマ横断ドライブ>


2020年3月27日(金)
(3)<非常事態宣言の延長と、地元(やむなく)新発見>


2020年3月30日(月)
(4)<兵糧確保!山羊屋さんに大感謝!>


2020年4月3日(金)
(5)<ご近所はだいぶダレ気味>


2020年3月20日(金) 午後4時の室温27.5℃ 外気温27.0℃ 高曇り
非常事態宣言下のペルーいいかげんにしてよ日記(1)
<非常事態宣言下の、いつもと大体(まあ大体)同じ日々>



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その後のペンキ塗り状況。
ついに玄関に進出。


 世界中のコロナ騒ぎに紛れて、ご存じない方も多いと思うのですが、いまペルーは、信じがたいことながら「非常事態宣言下」にあります。
 なぜ??なぜペルーが今???


 国境は、陸・海・空・河川のすべてが封鎖されました。
 人々はよほどの理由がない限り、フラフラ出歩いてはならない、テレワークできないなら仕事もするな、大きな集まりはみな禁止、等々、ヨーロッパでやっているのとだいたい同じ内容です。
 今月30日まで15日間だそうです。なんとも愚かしいことです。


 おかげさまで私は、今のところふだんと同じ調子で暮らしています(半生この世から自主退避して生きてきたので、慣れてます)
 ただ宿六は海外出張中だったため、現在某国で足止めを食っています。


 在某国のペルー領事館のお手並み拝見…というところですが、まあ一言でいうと、ひどいです。長年の経験からわかってはいましたが、期待?以上です。
 これはじっくりと書くに値しますので、すべて解決してから後日お話しいたしますね。
 宿六は、この手の変な状況には強いですし、滞在先は慣れた街で言語も習得済み、宿も確保しておりますのでご心配には及びません。


 こちらペルーでも、日本含む各国からの観光客が、不運きわまりない足止めを食らっておられるようです。
 たぶんみなさんホテルに缶詰めでしょうね…右も左もわからない旅先でそういう目にあうのは、本当に気の毒です。
 せっかく「感染者数の少ないペルーなら大丈夫だろう」と観光にみえたのでしょうに!
 しかもいちばんペルーがきれいな季節なのに!!



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 気がかりがあってもふつうに過ごすしかないですから、私は今日もペンキ塗り。

 この飾り棚も塗ろうと思い、掃除を始めてみますと…
 天板にうっすら埃が積もったところに、ハスミン猫のかわいい足跡がたくさん残っているのを見つけてしまいました…
 ここに登ってあたりを睥睨するのが、大好きな猫でした。
 勢いあまって、ガラスを蹴り割ったりもしてくれましたっけ…(飾り棚はひどいことになったけど猫は無事)。


 ペンキ塗りには、そういう思い出を少しずつ自分の手で塗りこめて、きちんと過去のものにしていく、という効果もあるようです。
 もう少しで、二猫の不在も丸一年。アンデス山猫生活(ユキヒョウ生活かもしれない)、満喫しているかな?
 私たちは思い出さない日とてありませんが、むこうはケロっとしているのでしょうねえ。



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この鏡も枠を明るい色に塗り替えます。
(いま家でペンキ塗りしている人、
世界中にいっぱいいそうですね)


 リマ市内の現在の様子は、なにぶん交通規制していて近づけませんので(近づきたくもないけど)、まったくわかりません。
 でも少なくともここパチャカマックは、おおむね平穏なようです。


 非常事態宣言が出た晩には、「近所のスーパーに100人以上のベネズエラ人強盗がやってきて、やむなく閉店したそうだ」などという噂が流れました。
 おそらく関東大震災のときと同じ、尾ひれビラビラの外人排斥型デマでしょう。
 (ベネズエラの人たちも、はるばるペルーまで避難してきて、やっと生活を立て直しかけたところだったでしょうに、こんなことになるとは)


 そのスーパーは翌日営業再開したそうですが、やはりトイレットペーパーや減菌ジェル類、お米、パスタ、パン、クラッカー、缶詰などは、入荷と同時に消える状態が続いているそうです。

 また野菜やお肉なども、パチャカマックではじわじわと品薄&高値になってきています。
 政府の大風呂敷とは話が大違いで、食品生産や流通にかかわる人たちが、きちんと守られていないからです。
 近所の青果店の奥さんも、仕入れに行こうとして兵隊に見咎められ、「通行許可証がない!」と車を取り上げられてしまったそうです。



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明るくなった玄関先。
飾り棚のクリーム色は少女趣味すぎ…
ニスで少しマシになるかな?


 そうなると住民は、大きな市場のある隣町ルリンに行くほかありませんが、それも今日からは通行止め、許可証がないとだめだそうです。
 その許可証なるものは、ネットで書き込んで申請し、印刷または画面のスクショを常時携帯すべし…?とからしいですが、市場関係の人の何割が、そんな煩雑なことができるというのでしょう?
 ペルー政府は、ぜんぜんペルーを知らないから困ってしまいます。


 …でもまあ、こういう公権力による人権侵害というのも、貴重な経験ではありますね。期間限定であれば、ですが。

 今のところ私は、低糖質の食生活のおかげで、わりと気楽にしています。
 炭水化物を食べないと、むやみにおなかが空くこともなく、日に一度、少々の野菜やお肉、卵かチーズでも食べれば済みますから。


 幸い動物性たんぱく質は備蓄があり、また野菜も非常事態宣言が出た日に、慌てて手持ちを冷凍しました。
 (アボカドも試してみましたが、熟していれば冷凍保存できるとわかりました!
 切ってレモンをかけて冷凍しておけば、解凍してサラダに使えます、質感もほとんど変わりなし!)
 このぶんなら買い物に出なくても、あと十日くらい持ちこたえられるかな?
 こういうわけわかんないときには、できれば出かけたくないですものね。


 良い具合に、庭のザクロも熟し始めたので、たまに甘いものがほしいときも安心です。
 もちろん、
 「いざとなったら、うちにはオーガニック・アルパカミートもふんだんにあるから!」
 というつまらない冗談も、何かというと持ち出しては笑っております。



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 書庫の重々しすぎる本棚。
 これをアパートから移すのは一騒動でしたが、その甲斐がありました。
 ハスミン猫もハシンタ猫も、上でレスリングしたりしていましたから。



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 おおおー、なんか広くなっちゃった?
 カラベラ船の彫刻もよく見えて、このほうがずっといいです。
 窓枠も同じ灰色にしました。ニスはこれからです。


 この部屋は結局、引越し以来ずーっと、ただの物置きになっています。
 非常事態宣言を利用して、一気に片付けようかと思います。
 ゴミがたくさん出ても大丈夫、幸い毎晩、ゴミ回収の人は来ていますので。
 (ゴミ回収だけは、リマはいつも変に優秀ですよね…)



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日に焼けて色褪せた玄関扉も、塗ってしまいましょう。
鉄格子が濃緑なので……まあ緑しかないですね。



 さておとといの晩から、わが偉大なるペルー共和国では、夜間外出禁止令!意味不明!…も発令されました。
 コロナウィルスって、夜だけ徘徊する妖怪みたいなものなんでしょうか?


 ま、夜がとてつもなく静かになったのは、なかなかいいです。
 ペルー人も、その気になれば静かにできるのね。
 二十数年ペルーに住んでいて、こんなに静かな夜は初めてです(…あ、ワールドカップ敗退の晩はこんなだったかも……)


 深夜庭に出ると、フクロウがキーッと啼いたり、小鳥が寝ぼけたように一声囀ったり、チャスキの大きなくしゃみが聞こえたり。
 たまの停電の晩もこうなりますが、アンデスの闇と静寂が東のほうから降りてきて、家をすっぽり包み込んでしまったようです。



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錆びて黒ずんでいた星型ランプ。
白く塗ったら蚊が減りました、不思議!


 永吉君(←ニュース嫌いの私の主な情報源)いわく、

 「大統領は馬鹿みたいに、一日中テレビに出てますよ。あの顔、もう見るのもいやです。
 何もしないで、ただ国民を脅しつけて……要するに本音は票集めなんでしょうかねえ?
 ウィルスのことなら、厚生大臣あたりが出てきて説明すればいいのに、いちいち大統領がしゃしゃり出てくるから、おかげで国民はもっと怯えてトイレットペーパー買いに走ったりして、迷惑なばっかりです。


 うちは給料があるからまだ安心ですが、パチャカマックなんて日雇いの人が本当に多いんですよ、というかペルー全体がそうでしょう。
 日雇いの困窮家庭には一律1万円ちょっと配る、なんて話も出ていますが、それで一家族が15日も生きろって言うんですかね?お話にもなんにもなりませんよ」


 ペルー共和国大統領閣下が猿真似している、欧米などの「指導者たち」が、やたらと「戦争、戦争」と発言していることにも注目すべきでしょうね。
 彼らの、自分の雄姿にうっとりしちゃったあの表情を見るだけでも、今回の騒ぎの底の浅さがわかるような…「指導者」はもともと戦争が大好物な動物なので、しかたないですけれど。
 人類もいつになったら、「がんばって戦えば戦うほど、『敵』とみなした相手は強くなる」という、単純きわまりないこの世の仕組みを思い出すのでしょう…


 しかし近年は世界中の国々が、恥も外聞もないエゴ丸出し状態でしたから、第三次世界大戦が始まるのも、もう時間の問題だったかもしれません。
 そう考えると、いま世界共通の「敵」を作り出し、みんなで大騒ぎしているのは、けっこう良いガス抜きになって、わるいばかりでもないのかも?


 まあどっちにしても、さすがにもう、世界中の「権威」やら「専門家」やらの化けの皮が、はがれ落ちるべき時が来ていますよね。
 多くの人がそういう「権威」「専門家」に頼りすぎ、自分ではなにもできないと思い込み、知る必要もない世界中のニュースにしがみつき、無駄に体調をわるくしているような気がします。


 でも同時に、コロナ祭りの、あるいはほかの数々のニュースの、不思議なほどの「現実味のなさ」に、気づいている人もきっとたくさんいますよね…


2020年3月23日(月) 午後7時の室温27.8℃ 外気温25.7℃ 今日も快晴でした
非常事態宣言下のペルーいいかげんにしてよ日記(2)
<宿六ギリギリセーフ帰国 & ほぼ無人のリマ横断ドライブ>



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宿六の日曜日@ブラジル(海水浴場Camboriu)


 ペルーで非常事態宣言が発令された日、宿六は運わるく、ブラジル出張中でした。
 コロナ・ヒステリーが世界に広がりつつあるのはわかっていましたが、出発時の3月10日には、まだペルーもブラジルも落ち着いているかのように見えたからです。
 ちょっとしくじりましたが、まあ何事も経験です。



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 サンパウロの見本市で所用を済ませた宿六は、14日にナベガンチスに移動。
 翌15日の日曜日は、近くの海水浴場カンボリウを見物に行き、ケーブルカーに乗ったりちょっと観光もできたようです。



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この日はまだ海辺は大いに賑わっていた由
(海水浴場Camboriu)


 そして予定では、翌16日から、ナベガンチス周辺で取引先の新規開拓に取りかかる…はずでした。
 が、15日夜の非常事態宣言発令で、状況は一転…いえ、暗転(笑)しました。
 翌16日深夜にはペルーの国境が封鎖される、というのですから、ほうっておくと半月も帰国できなくなります。


 この時点ですでに、丸一日しか猶予がなかったため(なんでそんなひどいことするかなー)、宿六は休息をとる間もなく明け方に宿を出て、急ぎサンパウロへ移動。
 トラブル慣れした私も、このときばかりは少し不安になりました、まるで「開戦前のさいごの帰国船に乗れるか否か?!」みたいな気分でした。


 でも残念なことに、サンパウロ到着時にはすでに、リマ行き午後便はすべてキャンセルされていたそうです。
 ブラジル人乗務員が拒否したからだそうですが、まあそれは(すごい迷惑なプロ意識の欠如とは思うけど)理解は…できますね…彼らもペルーに着陸したら最後、もれなく15日間拘束されてしまうのですから。


 むしろこうなってしまうと、覚悟も固まります。
 宿六はどこにいても仕事はできますし、ブラジルは何度も訪問していて言葉も問題ありませんから、いったんは諦めて、今月30日までサンパウロに残る心づもりでした。
 が、19日になって、遭難ペルー人救出の臨時便が20日に出る、との情報を得ました。


 そこで宿六は、領事館や航空会社へ何度も連絡をとり、リストに載っていることをしつこくしつこく再確認。
 そして20日、チェックインは朝7時の予定でしたが、念のため4時前には空港へ。
 ……ところが!!(あーあ、いっつもこれだ…)


 ペルー領事館が、とんでもないミスをやらかしていました。
 宿六含む30人あまりのペルー人を、乗客リストに「載せ忘れていた」のです!


 これは「信じがたいミス」というよりも、「やっぱりね、なミス」です。
 ペルーのお役所や銀行等のカウンターでは、みなさんいつもテレビ見ながらボケーっと仕事しているので、本当にこの手のミスが多いのです。



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遠目にはなかなかいい感じ。
でも海の色がとても濁っていたそうで、
宿六はあまり好きではなかったもよう…
(海水浴場Camboriu)


 更にとんでもないことには、ペルー領事館からは、責任が取れる立場の者はだれも来ておらず、また教えられていた緊急連絡先も、何度かけても応答なし。
 やむなく昨日、領事館で予約確認してくれた女性に電話すると、
 「私はもう領事館は辞めましたので、緊急連絡先に電話してください」とのすげない返事だったそうです。
 (そのブラジル人女性は、とつぜん数百のペルー人を捌かねばならないことになり、嫌気がさして即日退職したようです…ははははは…)


 ついでながら、やはりリストからもれていた一人の女性は、「ペルー領事の親しいお友達」だったらしく、その場で領事に電話してガンガン文句を言っていたそうです。
 その後その人は姿を消して、二度と見かけなかったそうなので、おそらくはコネで飛行機にねじ込んでもらったのでしょう。
 つまりペルー領事は、リアルタイムで状況がわかっていたにもかかわらず、友人以外のペルー人のためには、指一本動かそうとはしなかった、ということです。


 この日サンパウロでは、600人の遭難ペルー人が、救出便3機に分乗する予定でした。
 理論上、席はじゅうぶん足りています。
 そこで領事館のせいで第1便を逃した宿六も、昼まで空港で待機していましたが、最終的にはなぜか3便目がキャンセルされ、その日の帰国は不可能となりました。


 宿六はその足ですぐ領事館へ向かいましたが、午後の受付時刻になってもとうとう誰も姿を現さず(感染予防のため、だそーで)、また貼り出された緊急連絡先もあいかわらず応答なし。どうしようもないので、あきらめて宿へと戻りました。

 もともと20日まで出張の予定で、21日分まで宿を確保してあったのは、ほかの遭難ペルー人より幸運でした。
 そのまま空港で過ごした人もきっと多かったはずです。



 こうして20日はほぼ不眠のまま過ごし、その晩は疲れ果てて、いつのまにか眠り込んでしまったそうです。
 でも21日の明け方2時、ふいにぺかっと目が覚め、気になってスマホを確認すると…
 1時間ほど前にペルー領事館から届いた、右のメッセージに気づいたそうです(→)


 「朝5時に、LATAM社(航空会社)のカウンターに行くことをお勧めします」

 内容はこれだけで、便名も出発時刻も情報はゼロ。もちろん、前日のミスに対する謝罪などひとこともなし。

 「『お勧めします』たあなんだ!ペルー政府が引き起こした大迷惑で大勢の自国民が困っているのだから、もっと明確に情報を伝えるべきだ!」
 と、めったなことでは怒らない宿六も大いに気をわるくしたようです。あたりまえです。
 その上、このメッセージには、返信・問い合わせは一切できないようになっていた由です。
 とにかく不親切が徹底しています。


 でも、明け方に気づいただけでも、まだしも幸いでした。
 大慌てで荷物をまとめて宿を飛び出し、朝4時にカウンターへ。
 (おそらく朝まで気づかず、この帰国便も逃した人も、かなりいるのではないかと思います)


 ところがまだお話はハッピーエンドとはなりません。
 空港で確認すると、なななななななんと!またしても乗客リストには、宿六の名前はありませんでした!
 今回ももちろん領事館のミスです、ほかにも15人ばかり、同じ羽目となっていたそうです。


 ただありがたいことに、LATAMの案内人が落ち着いた人で、
 「客席には空きがあるので、人数的には大丈夫です、たぶんご心配不要と思います。
 リストの乗客のチェックインが終ったらご案内しますので、それまで待っていてください」
 とのことで、少しほっとしたそうですが、やはり実際に飛行機に乗り込むまでは、なんとも心配だったそうです。それはそうです、二度目ですものね…


 でもあとから手続きしたおかげか、若干広いエクスクルーシブ席だったそうで、同じ運が悪い中ではマシなほうだったのかも。


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このイラッとくる他人事口調と、
情報の欠如…


 運の良し悪しといいますと…
 宿六が空港で出会ったあるペルー人男性は、14日のスペイン全土封鎖を逃れてまずエジプトへ飛び、アフリカ各地を転々としたのち、やっとブラジルまでたどり着いたものの、その時には母国ペルーもすでに国境封鎖…
 今回の臨時帰国便は、あくまでもペルーへの帰国チケットを持っている人が対象だったので、その男性は乗れるかどうかわからず困っていたそうです。
 その後どうなさったでしょうか…



 (3月24日追記)
 いま現在、確認できただけでも900人近いペルー人が世界各国で足止め中で、いずれもペルー領事館から、この上なく冷ややかな扱いを受けているようです。在外自国民の保護って、領事館の重要な仕事じゃなかったでしたっけ?
 やはり宿六はずっと幸運なほうだったようです…


 ついでながら、20日(金)に領事館のミスで搭乗し損ねた際、宿六はすぐ領事館にメールしたのですが、その返信が23日(月)夜になって届きました(笑)
 (土日はきっちり休んでいた、のでしょうね…)
 いわく、「再度、領事館のサイトで氏名を登録しなおし、次の帰国便の案内を待つように」と。
 この様子では、ブラジル国内にまだ残っているペルー人、けっこう多そうです。


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 機内はこんな感じ、あまり混んでいなかったそうです。
 帰路はおそらく、ペルーで足止めを食っているブラジル人旅行者が、これに乗って帰国したのでしょう。
 捕虜交換船みたいですね。


 ペルーで非常事態宣言が発令された日には、少なくとも3800人近いブラジル人観光客が、それも主にクスコなど地方に滞在していたそうです。
 多くてびっくりですが、このところラテンアメリカ圏内のチケット、半値くらいまで下がってましたものね…私もどこか行こうかと思ってたくらいです…



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 お昼すぎにリマ到着。
 この街がまったく好きではない宿六も、今回ばかりはリマ到着が嬉しかったのではないかと。
 珍しく海が真青に見えていますね。



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 検疫の様子。
 熱のありなしを確認し、そのあと宣誓書のようなものにサインさせられたそうです。


 こういうものものしさは、見ているだけで疲れます…実際のところ、あまり意味もないと思いますし。
 係の人も大変と思います、毎日こんなことをしていたら、ウィルスよりも消毒剤の使い過ぎで体調をわるくしてしまいそうです。



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 すかすかの入管も、ささっと通過。


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 荷物受け取りでは、1メートル?2メートル?だかの距離をとるなんて、無理に決まってますよね。
 この状況に怒り狂って、「ちゃんと安全距離とりなさいよ!」とわめきちらしている奥さんがいたそうですが、そのほうが心身に響いて免疫力が落ちそうです。
 おそらく報道に完全に巻き込まれて、異常な心理になっているのでしょうけれど…



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 見たことないほどガラガラの搭乗カウンター横を、そそくさと通過…


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 空港の外もガラガラ。


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 タクシーは入れないようになっており、炎天下、荷物を引いてトボトボ歩いて外まで出なければなりません。なんたるご親切。


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 外に出ても、多くは私用の車らしく、タクシー(空港への出入りが許可された黄色ナンバータクシー)はほとんどいなかったそうです。
 ただ幸いにも、リマ市内のサン・ボルハとイゲレタ、二か所へのお客を乗せたタクシーが、宿六を同乗させてくれることになりました。



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 空港を出るとすぐ、検問所。


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 少し行くとまた検問。
 こんなことで見えないウィルスが防げると、本当に思っているのかしらん????



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 サン・ミゲル区から、海辺の道(Circuito de Playas)に下ります。
 うわ、車ゼロ……あ、遠くに一、二台…



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 ふだんは人気のコスタ・ベルデにさしかかっても、人も車もまったく見かけません。


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 ショッピングセンター「ラルコ・マール」あたり。引き続きガラガラのガラガラ。



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 海ももちろん人気なしです。
 夏の終りの、お天気の良い土曜日に、なんともったいない!
 クーラーかけてアパートなどに閉じこもっているより、日光と潮水を元気に浴びていたほうが、よほどウィルス対策になると思うんですけど!



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 海からミラフローレス市街への坂道も、ガラーーンとしています。
 意外にペルー人、お上の言うこと聞くのですねえ。



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 車がないと、リマもけっこう小ぎれいに見えますね…


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 スーパーマーケットには、買い物客が来ているようです。
 自動車の使用の許可などは、どうなっているのかな?
 そのへん調べても、いまひとつよくわからないのですよね。



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 おなじみのイゲレタにさしかかります。
 以前は、ここからすぐのアパートに住んでいました。
 ごちゃごちゃしたところですが、リマのどこに行くにも便利で、店も多く、裏道に入ると緑の公園もたくさんあって、40代を過ごすにはわるくない地区でした。



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 同じくイゲレタの、電車の高架下。
 小さなお店が多い、ふだんはとても賑やかなところですが、みんな閉まっているようです。
 右には警察の車が停まっています。なんかやな感じ。



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 サン・ボルハ・ノルテを通過。休日にはいつも、大勢の人が散歩しているあたりですが…


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 サン・ボルハで、二人目の同乗者が下りました。
 お母さんが出てきて迎えたものの、距離を保って互いに触れないようにしていたそうです。
 みなさんけっこう生真面目に、そういうこと守るのですね…


 (宿六も本当は、二週間は家族とは別室で過ごさないとならないそうです。
 とすると、アルパカの干し草が入っている物置きで寝起きするしかなさそうですね。そのほうがよっぽど風邪ひきそうですが。
 とにかくすべてがバカバカしい!)



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 あとは一路パチャカマックを目指します。
 いつも渋滞するアリピオ・ポンセも、このありさま。



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 ビージャの料金所を通って、パンアメリカン道(南)へ。


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 精油所のあるコンチャンを通過。
 トラックやトレーラーは走っているようです。



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 ほぼ誰もいないパンアメリカン道。パチャカマック遺跡近く。
 これはちょっと既視感が…と思いましたが、そうそう、サッカーの重要な国際試合のときは、こんな感じになりますね。



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 旧パンアメリカン道の、パチャカマックへの曲がり角。
 ここもふだんは人と車で大混雑で、右折左折に手間取る地点です。


 矢印のところに兵士が二名立っていて、タクシー運転手さん、「なんで手袋とマスクをしていないんだ!」と叱られたそうです。
 また宿六もいったんは「通行証がない!」と、通せんぼされたそうですが、事情を話してなんとか通過。


 私はこういう、権力を笠に着て無礼な口をきくような連中には、とりあえず猛烈に反抗したくなるほうなので、本当にしばらくは外には出ないほうが良さそうです。
 ペルーではすでに1万1千人も、非常事態宣言を無視したかどで取っ捕まったそうですが、1万1千1人目にはなりたくありませんから。


 (…現在の感染者395人に対し、逮捕者1万1千人(←24日には1万6千人)
 もう、アホか!としか言えません…)

 結局空港からの帰路は、恐れていたよりずっと早くすみました。
 搭乗機がリマに着陸したのが午前11時30分、帰宅は午後3時。
 なにぶん交通量ほぼゼロですから、タクシーも二か所も回り道したわりに、とても早かったです。



 さて宿六帰宅の翌22日からは、ペルー国境の完全封鎖が新たに発令されました。
 今後は各国で遭難中のペルー人も受け入れない、というひどい話でしたが、翌日またコロッと話が変わり(これがまたいやなんですよね…)、
 「今後は軍の空港でのみ遭難ペルー人の搭乗機を受け入れる。
 ただしその後は15日間、自宅には帰れず、ホテル等で隔離生活を送ることになる」とのこと。


 これを聞いた宿六、蒼ざめておりました。
 「そんなだったら30日までサンパウロに残るほうがずっとマシだ、ほんと危なかったなあ」と…


 しかし、ブラジルのほうも雲行きが怪しくなってきています。
 極右大統領ボルソナロ氏は、少なくともコロナウィルスについては非常に正しいことを言っており、国境封鎖には大反対という立場のようです。


 が、サンパウロ州では独自に、明日24日から4月7日まで、不要不急とみなされる店舗がすべて閉鎖されることになったそうです。
 レストランも全部閉まりますから、料理ができない宿六は、いくらキッチン付きの宿でも困ってしまったことでしょう。
 また、国民感情もだいぶ変わってきたらしく、今後いつ国境が封鎖されても不思議はなさそうです。(ウィルスよりも集団無意識のほうがずっとこわいです…)


 こうしてペルー・ブラジル両国の異常事態のすきまを縫うようにして、家に戻って来れたのは、本当に幸運だったと思います。
 出張も、少なくとも半分は目的を果たせたらしく、まるきりの無駄足でもなかったようです。
 現在各地で足止め中の、さまざまな国籍の人たちも、どうか同じような幸運に恵まれますように!
 本当に単なる人災です、これは。


 ところで宿六は帰国日から二週間、自宅に籠っていないとなりません(これも意味ないと思うんだけどなあ…)
 わがペルー共和国に、無数の帰国者全員を監視する能力があるとは思えませんから、たぶん近所にちょろっと出るくらいは、ほんとはぜんぜん大丈夫なんだろうと思います。
 でも、こんなつまらぬことで厄介な目に遭うのはご免なので、いちおう渋々守っております。


 今日は宿六のかわりに永吉君に、朝一番でミネラル水と野菜の買い出しに行ってもらいました。
 パチャカマックにある素朴な青果店には、わたくしかなり偏見を持っておりました…が、意外や意外、市場から届いたばかりの新鮮な野菜が一通り手に入って、冷蔵庫が久しぶりにいっぱいになって、大満足です。
 (今の異常事態下では、大型スーパーで何日も冷蔵された野菜より、むしろこういう冷蔵庫のない店で、見るからに新しい野菜を選ぶほうが賢いかもしれませんね)


 今日はアルパカたちも、大好物の「キャベツの外側の大きな葉」をおやつにもらって、大喜びでした。

 …それにしましても。
 感染者数とまったく釣り合わない、この全世界を挙げてのパニックぶり。
 いったい何が起きているのでしょうか?
 もしかしてもしかすると、ついに宇宙人と各国政府の外交関係が始まった!とか、何かとんでもない大事件を、コロナ煙幕で隠蔽しようとしているのでは?という気がしてきております。(陰謀論、エンタメの一種としてはけっこう好きです…)



2020年3月27日(金) 午後7時の室温26.9℃ 外気温24.3℃ 今日も快晴、朝夕はひんやりしてきました
非常事態宣言下のペルーいいかげんにしてよ日記(3)
<非常事態宣言の延長と、地元(やむなく)新発見>



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非常事態宣言9日目のお食事。
備蓄品の冷凍エビとブロッコリー炒め。
近所の市場の巨大アボカドと備蓄ツナ缶サラダ。


 ペルーの鎖国&外出禁止令は、当初の予定では今月30日に終る…はずでした。
 しかしそもそもが、まったく無意味な非常事態宣言。
 仮想敵は流感ですからねえ、わずか14日間で目に見える成果が出るはずもなく。
 これはやめるにやめられなくなって、またぐずぐず延期するのでは…といういやな予感はありましたが、まさかほんとにやるとは。


 しかも「13日」延長とは中途半端ですが、そういえば最終日の4月12日は聖週間の最終日、「復活の主日」。
 そうか、聖週間いっぱいでキリよく終りにしたい、と思ったのですね?
 ……いちいちつまんないやつですね、あの貧乏神顔の某大統領は!


 あの連中の欧米猿真似のせいで、家に閉じ込められるほうはまったくもってかないませんが、これはある意味、壮大なる社会実験。
 各家庭では、さまざまなドラマが進行中…かもしれませんね。


 永吉君のところでは、今までめったに全員は揃わなかったので、珍しい長期家族だんらんを楽しんでいるようです。
 私たちのほうは、過去7、8年二人ともずーっと家にいて、互いの存在に慣れているので助かりました…
 また宿六の取引先も、今のところけっこう仕事を続けているらしく、ありがたいことです。


 またこういう片田舎の庭のある家は、現状では、突如魅力倍増なのは確かです。
 夜間外出禁止令の時間帯にだって、平気で散歩できますものね。
 リマのアパート暮らしの知人からも、これはうらやましがられています。
 (あとは庭に野菜があればもっと良かったのですが、それはアルパカたちがとうの昔に食べ尽くしてしまいました…)



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何はなくてもミネラル水。
ペルーの水道水だけは、
何年たっても飲めないからなあ…


 しかし、です、片田舎なだけに、歩いて行けるところに大きな食料品店やスーパーがないのは、とても困っています。
 ふだん購入している「ベーシックなぜいたく品」とでもいうべき品々は、パチャカマック界隈ではまったく販売されていないからです。


 こういうところ、ペルーは本当に、あからさまな階層社会ですね。
 たとえばミルクにしても、このへんでは加熱処理済みのフレッシュミルクは全く手に入りません、あのまずい缶入りだけです。
 (まあその田舎なだけに、牛からしぼったままのミルクはありますが、日本人の胃にはむりでしょう)


 車で15分ほどのルリンのスーパーマーケットなら、手に入るものもありますが、今は交通規制があって行くことすらできません。そもそも車も出せません。
 また機能しているはずの配達サービスも、注文がパンク状態なのか、スーパーに問い合わせても誰も出ない状態です。


 それでも今月末までなら、なんとかぎりぎり足りるだけの備えはしてありました。
 でも一気に13日も延期となってしまい、災難慣れしたわたくしも、きのうは少々どよ〜んとした気分に陥っておりました。
 でも朝になったらまた元気が出てきました、こうなったら、地元でなんとかするほかないですものね!


 とはいえ宿六は一応「自己隔離中」で、4月4日まで外出できませんから、全面的に永吉君が頼りです、生まれも育ちも地元の人で、ほんとうによかったです。
 (私もちょっと出てみたいのですが、ペルーの警官や兵士を見るだけでとりあえず怒り出すのを知っている宿六に、「頼むからやめてくれ」と言われました)


 最初に急いで永吉君に確保してもらったのは、ミネラル水です。
 このへんの人の多くは、水道水の湯冷ましを飲んでも大丈夫なので、ミネラル水はいわば必需品度の低い商品です。
 うっかりすると、この先供給が滞るかもしれない、と思ったからです。



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近所の小さな市場(Mercado Ocon~ita)
ここの果物が新鮮なのはちょっと有名ですが、
野菜やお肉もじゅうぶん買えることを発見!


 生鮮食品は、近所の小さな市場しか選択肢がありません。
 写真のような地味なお店が数軒ならんでいるだけの、ごく小さな市場で、今までは利用しようと思ったことすらありませんでした。
 そこでまずはブロッコリーなど、ためしに買ってきてもらいましたが、意外にも新鮮でおいしくてまったく問題なし、非常にほっとしました!


 さらに安心したのは、牛肉や豚肉も、日を選べば良いものが手に入るとわかったこと。
 忘れ果てていましたが、もともとパチャカマック、ルリン界隈では牧畜が盛んなのですよね。
 地元産の牛や豚を、やはりすぐ近所のとさつ場で火曜と木曜に処理、水曜と金曜朝に店頭に並ぶ、ということも初めて知りました。
 地元再発見…いえ新発見です。


 なおこういう「近所の素朴なお店」では、鶏肉はやめておいたほうが無難そうです。
 足がはやい、というのもありますが、鶏肉は水につけて羽根をむしったあと、そのままたっぷり水を吸わせて、かさ増しして出荷するわるい習慣がある、そうですから(宿六説)。



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豚とブロッコリーのニンニク炒め
サラダのアボカドは冷凍しておいたもの
(意外に食べられます!)


 非常事態宣言が出る前は、週一回、リマ市内のオーガニック市やスーパーマーケットをはしごして、必要品を買う習慣でした。

 しかし、いったい何歳まで毎週の買い出しができるかな?と、ふと思うこともありました。
 でもいよいよしんどくなったら、こうして近所で野菜やお肉など買うことにして、たまにリマ市内で「ベーシックなぜいたく品」を買いそろえる、という方法も可能なわけです。
 それに気づけたのは、まあ非常事態宣言のおかげ、ではありますね…


 今のところまだ見つかっていないのは、私が愛する山羊さん関連食品の入手法です。
 牛ミルクを山羊ミルクにかえてから、ますます胃腸の問題が減ったので、もし可能なら手に入れたいものです。
 パチャカマックなんて、ちょっと裏道に入れば山羊がうじゃうじゃ歩いているのに、ミルクやチーズはぜんぜん見かけないのですよね。


 これは今後の研究探索課題です。
 4月12日まで、た〜っぷり日にちはありますから(涙)、いろいろ調べてみようと思います。



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牛肉、パプリカ、サヤインゲンの
バルサミコ酢煮。
近所の卵は、飼料の魚粉のにおいが、
やはりちょっと気になりますね…


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残った牛と備蓄山羊チーズのオーブン焼き
野菜の種類はいつも以上に少ないですが、
ほかは大体ふだんと同じです。
(グルテン抜きと糖質制限は絶賛続行中)



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 世間が静まり返っていて(ペルーじゃないみたい!)、絵がはかどるのは嬉しいですが、ペンキ塗りのほうも少しずつ続けています。
 居間の棚も塗りはじめました。並んでいるのは、ほとんどがイタリア語版DVD。
 これをぜーんぶ見たら、文法の勉強なしでほぼわかるようになって、とっても得した感があります。
 さいきんはRAIのサイトで毎晩ドラマを見ています、イタリアにとても多い薄ひげハンサムさんたちは、どうにも苦手ですが…



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 色を変えると、光の反射の明るさも、これだけ違ってくるのですね、ちょっと感動もの!
 歳をとってきたら、内装は明るい色のほうがいいのかもしれませんね。
 ペンキの在庫もだいぶ減ってきましたが、コンチクショーな非常事態宣言下で、ありったけ使ってやろうと思います。


 それにしても宿六くん、この棚の照明、もう三年くらい、ひとつしか点かない状態が続いておりますが…
 非常事態宣言が解除されたら、今度こそ取りかえましょうね…?



2020年3月30日(月) 午後5時の室温26.9℃ 外気温25.2℃ 快晴
非常事態宣言下のペルーいいかげんにしてよ日記(4)
<兵糧確保!山羊屋さんに大感謝!>



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 タネから育てて4年目のティアレ。
 前の冬がとても寒くてみな弱ってしまい、9本のうち1本は枯れてしまいましたが、その後アルパカ肥料(要するにフン)で8本大復活!
 昨年ひとつだけ花をつけた株が、今年はつぼみをふたつ、つけてくれました。


 28日にさいしょに開いた花は、豪勢に花びら8枚!
 縁起がいいらしいですが、たしかに28日はとても良い日で、山羊ミルク製品をたくさん確保することができました。



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 平常時には週末のオーガニック市に出店している、チジョン川沿いの山羊屋さん、「La Cabrita」。
 ジセラ奥さんのお話では、非常事態宣言発令後は生産をお休みしていたそうですが、牛乳アレルギーのお客さんからの問い合わせがとても多く、「強い責任を感じて」生産再開を決めたそうです、なんともありがたいことです。


 私たちもソッコーで注文、山羊ミルクやヨーグルト、チーズ、それと地卵を、通行証のあるタクシーではるばるパチャカマックまで届けてもらいました。
 お米やお芋、パン麺類を食べない私たちにとって、山羊製品や地卵はほとんど主食ですから、ほんとうに助かります。
 これで当分、何も心配しないで楽しく籠城を続けられます、非常にほっとしました!


 (なお先週近所で買った、ちょっと魚粉の香りの卵2ダースは、あとでスタッフの永吉君が責任を持っておいしく頂いてくれる…そうです)


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 山羊屋さんの品揃え。
 山羊ミルクは消化の良さで有名ですが、においが苦手な人も多いと思います。
 私もさいしょはだめでしたが、シナモン・ショウガを入れて温めて、そこにコーヒーを加えて香りをごまかして飲むうちに、慣れてしまいました。
 なによりもおなかにまったく響かないのが最高です。
 また山羊のヨーグルトは、不思議なほど山羊のにおいがないので、入門用に超お勧めです。


 現在パチャカマックでは、バターすら手に入りませんので(食べないほうがマシなマーガリンしかない…)、今回は山羊バターも買ってみました。
 うっすら山羊のかおりはしますが、料理に使うと味にとても深みが出ますし、チーズといっしょに食べるのもおいしいです。


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 メールで届いたのは、とりあえず先週末の発送分のお知らせでしたが、外出禁止令が延期されてしまいましたから、きっと今週末も配達可能だろうと思います。
 念のため問い合わせ先を載せておきます。


 (うちは山羊屋さんからはとても遠いパチャカマックですが、ビージャの病院への納品のついでにまわってもらい、タクシー代は25ソルでした)


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 少し前に、山羊屋さんが長くお休みしていた時期がありました。
 まず在庫がなくなって困ったのが、山羊ヨーグルト。
 そこで市販品の、数少ない砂糖甘味料無添加のものを、とりあえず二種類買ってみたのですが…


 家で少し味見したところ、強烈にケミカルな異様な味がして、たった一口分を飲み下すこともできませんでした。
 (これは「あとでスタッフがおいしく頂く」のは不可能だったので二本とも捨てました)



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 裏の成分表を見て納得……です。
 脱脂粉乳に繊維やでんぷん、ゼラチン、安定剤などを放り込んで作った、完全なニセ・ヨーグルトです。
 いわゆる善玉菌を加えてあるようですが、ヨーグルト自体が偽物ですから、まったく無意味と思います、よくある「身体にとてもわるいグルテンフリー商品」と似たようなものですね。


 食べ物に対してヒステリックになりすぎると、人生を楽しむヒマがなくなって本末転倒なので、ほどほどのところに留めたいとは思っております…が、それにしてもこれはあんまりだと思います。
 成分表を見たら最後、ほとんどの加工品は買えなくなってしまうのが、いまのごりっぱな文明ではありますが…


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籠城14日目の昼食。
キャベツと備蓄冷凍鮭の山羊バター蒸し



 そんなこともあって、きわめて単調な食生活となっておりますが、慣れてしまえばじゅうぶんおいしいです。


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本日、籠城15日目の昼食。
牛肉のトマト煮込み。
自家製マヨネーズのサラダ。



 籠城は本当は、今日で終るはずでしたが…
 非常事態宣言の延期で、あと丸々二週間です。あーーーあ…
 今さらリマに行きたいところがあるわけでもないのですが、外に出るな、と言われると出かけたくなりますよね…



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山羊バター、ラカント、ブラックチョコレート、
シナモンをまぶした完熟ルクマ
(ラカントってお砂糖感が楽しい!
リマでもやっと買えるようになりました)



 さっき近所に出かけた永吉君から聞いた話。

 この二週間、パチャカマックの皆さんはひどく神妙にしていて、不気味なほどでしたが、今日あたりからどっと人出が増えて、通行証を持たないタクシーや自家用車もかなり走り回っているそうです。
 また自動車の修理工場など、店開きしているところもあちこちで見かけたそうです。
 いえ、ほんとにもう多くの人たちが、生活も我慢も限界近くまで来ていると思います。


 永吉君の弟のひとりも、生まれたての赤ちゃんがいるというのに仕事なし=収入ゼロとなってしまい、非常に困っているそうです。
 そこできょうだいみんなで、少しずつ食料を持ち寄って、何とか助けているそうです。


 でも地元暮らしで、大家族が近所にいる人はまだ幸運ですよね。
 いま私がどうにも気になっているのが、リマ市内のメイドさんたちの身の上です。
 通いのメイドさんは、おそらく非常事態宣言発令とともに、いったん仕事なし・収入なしとなってしまったのではないかと思います。通勤できませんから。


 でももっと心配なのは、住み込みのメイドさんたち。
 遠いふるさとには帰れず、休日も勤め先からちょっと息抜きに出ることもできず、そうなると身勝手な雇い主に、休日返上であれこれ仕事を押し付けられているのではないかと…


 ついでながら、通いのメイドさんが来なくなり、かといって外食もできず、毎日慣れない食事作りを強いられている奥さんたちも、ほーんのちょっぴりですが気の毒です。
 コロナ祭りのおかげで、ペルーの出生率と離婚率、両方とも上がりそうです。



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「カマスのレンジ蒸しをはよう持て!
山羊ミルクは温めすぎるでない!」
(晩年のハシンタ様)



 3月も末となり、ハシンタ猫のさいしょの命日が近づいてきました。
 去年のいまごろは、よりによってリマがいちばんきれいな季節に、二猫との別れの近さに気づき、ほんとうに寂しかったなあ。


 でも去年の今日30日の日記を見ますと、わずか4日後に旅立ちを控えたハシンタ様は、大好きな山羊ミルクをたくさん飲んだ上に、蒸したカマスや高級猫缶(鹿肉入り)まで少し召し上がっておられるのですよね。
 その一か月後には、ハシンタ猫のあとを追うことになるハスミン猫も、この日はカマスのおいしさに大興奮でした。


 さいごまで元気でいてくれて、本当に孝行な猫たちでした。
 猫ロスは、どうやら宿六のほうが重症なので、アホらしのコロナ祭りが一段落したら、そろそろ第二シーズンも検討してあげようかな…と思っております。
 宿六の猫様がたへの献身ぶり、さいごのさいごまで模範的でしたし。


 他国とは違って、ペルーでは現在、ペットショップは閉店させられているようです。
 こういうところが、あえて申しますが本当に「後進国」です!情けない!
 もしいま猫たちがうちにいたら、食べ物やら猫砂やら、いろいろとさぞ心配だったろうと思います。
 アルパカたちは、主食(芝と井戸水)の真上でゴロゴロ暮らしていますから、本当に気楽で助かっておりますが…


 あ、新しいおバカニュースが入りました。
 現在、夜8時から朝5時までの夜間外出禁止令が出ておりますが、明日からは夕方6時(逮捕者続出の北部では夕方4時)に早まるそうです。
 これ、逮捕者が増えるだけでしょう。もうなにもかも、とことんまちがってると思います。



2020年4月3日(金) 午後8時の室温27.0℃ 外気温23.2℃ 快晴のち曇り
非常事態宣言下のペルーいいかげんにしてよ日記(5)
<ご近所はだいぶダレ気味>



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本日、籠城19日目の昼食。
冷凍してあった地鶏と、
野菜の鉄フライパン焼き。


 非常事態宣言発令から19日。残るところあと9日間(たぶん)。げっそり。

 ここパチャカマック界隈は、すでにだいぶダレた雰囲気となってきております。
 永吉君によると人出も車もどんどん増えているそうで、家にいても果物売りの大声が聞こえてきます。
 近所のスポーツ施設でも、ときどきどんちゃん騒ぎを始めては、ピーポーピーポーと警察が来て静かになる、というのを繰り返しています。


 夜間は、いちおう兵士が数名うろついて…失礼、警備にまわって下さっているらしく、ぴたっと静かになりますが。
 ペルーでこんなに静かな夜は、この先めったにないでしょうから(サッカーで大敗した日は除く)、毎晩庭に出て、アルパカたちといっしょに静けさを味わっております、アルパカたちの咀嚼音がたいへんよく聞こえます。
 空気もだいぶきれいになったらしく、宵の明星も、いつになく鋭い輝きをはなっています。
 庭でくつろぐ小鳥たちも、気のせいか前より増えたようです。


 昨日はまたおバカな法令が出まして、本日から必需品購入の外出時にも、余計な制限が加わることとなりました。
 これからは、月水金は男性のみ、火木土は女性のみ、買い物に出ていいそうです。
 とつぜん儒教思想?と一瞬思いましたが、単に遠くから違反者を見分けやすくするためのようです。
 そして日曜は男女ともに外出禁止、市場も閉鎖、だそうで。



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ザクロをねだる
ヤブクロムクドリモドキの雛。
今年のザクロは小ぶりながら味は上々。
小鳥たちと分け合って楽しんでおります


 外にフラフラ出かける人を、うんと減らすのが目的のようですが、すでに「一家につき一度に一人しか出かけてはならない」という決まりがあるのですよね。
 で、リマの多くの家には男女両方いるでしょうから、結果的には何も変わらないような気がするのですが…気のせいかな…


 まあ気が済むまで、好きなようにやって頂戴。
 日曜が静寂に包まれそうなのは歓迎です。


 宿六の取引先から伺ったお話。

 現在インドでも外出禁止令が敷かれていますが、取引先が住むアメダバード市では、役所が手配した野菜果物の販売トラックが、毎日一軒一軒回ってくれるのだそうです。
 菜食(…といってもイモ豆お米小麦粉類が食事の大半を占めるようですが…)の人がきわめて多い街なので、野菜さえ手に入れば、市場へ行く必要が激減する、ということのようです。
 封鎖じたい私は無意味と思いますけど、でもどーせやるならこれはなかなか親切な良い考えですよね。


 また、やはり外出制限中のメキシコでは、製造業については希望があれば操業可、だそうで、おかげで宿六もちょっと助かっております。
 外出制限についても、病的肥満または持病のある60歳以上の人は、一律外出禁止とのこと。
 ばかばかしい中にも、そこはなかなか賢明な措置かと思います。



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ペンキ塗りにも飽きて、
変なところで休止中


 おかげさまで、わが家は引き続き、ふだんとほとんど変わりなく過ごしております(どっちにしてもいつも家に籠っているので)。

 いっぽう永吉君のところは堂々の11人きょうだい!ですが、非常事態宣言下でも仕事して収入を得ているのは、たった二人だけ。
 つまりうちで働く永吉君と、養豚業を営む弟の一人だけ、だそうです。
 ほかのきょうだいたちは、貯金(マットレス下貯金)を切り崩してなんとかやっているそうです。


 これは現在のペルーの縮図と思います、12日には本当に、無益なコロナ祭りをすっぱりおしまいにしてほしいです。


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 今日はハシンタ猫の命日です。
 一年前と同じ、とても爽やかな快晴の一日でした。
 ついしんみりとなるのは避けがたいですけれど、できるだけ楽しかったことを思い出すようにしております。
 
パチャカマック絵日記にも懐かしい猫たちを描きました、よろしかったらお立ち寄りくださいね。


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 ブラジル帰りの宿六は、まだ外出できません!(鼻風邪ひとつひいておりませんが…)
 なので今週も、永吉君に野菜を買ってきてもらいました。
 近所の農家の野菜が多いので、見た目はあれですけど、とても新鮮でおいしいです。


 幸い来週からは、宿六が買いに行けます。
 そしたらもうちょっとは違う野菜も見つかるのでは…と期待しています。



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 先週たいへんお世話になった山羊屋さん。
 あす土曜と、週明け月曜にも配達できるそうですので、連絡先を貼っておきます。



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すでに何やら郷愁すら感じる
週末のリマのオーガニック市



 この角のところにいつも出店している、サン・ヘロニモのジェニー&ジミーも、来週火曜の配達を検討中のようです。


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 うちは毎週、ここで大半の野菜を買っていますが、パチャカマックまでの配達はちょっとむずかしそうなので、今回のところは利用しません。
 でもリマ市内なら、問題なく届けてもらえると思います。月曜に収穫し、火曜に発送、という予定だそうです。
 できれば近所で7軒分ほどの注文があると、お話が早いようです。
 問い合わせ先はこちらです。
 Jenny Davila whatsapp 944 634 315



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 ちょうど10年前の4月の、サン・ヘロニモの写真がありました。
 中央道66キロ地点、標高は2000mほど。(ジェニー&ジミーの畑はもっと上のほうですが)
 今ごろ行くと、まだ雨季の花が咲き残っていて、楽しい散策ができるのですよね。行けないとなると行きたいなあ。



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 きれいな滝がいくつもあります。
 ティランジアが多いのも魅力です!



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このとき採取したミニ・ティランジア


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 その後9年ほど大事に育て、庭植えしてからはぐっと大きくなりましたが…
 昨年、アルパカに食われました………
 アルパカ、信じ難いですが食うのです、ティランジアまで……



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呼んでない、呼んでない…


 宿六の出張前に、アルファルファを「1パカ」買っておいたのは、ほんとうによかったです。
 あれは車じゃないと運べませんから。



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山羊チーズと生クリーム、ラカント、
地卵、アーモンド&ココナツ粉の、
低糖質&グルテンなしのチーズケーキ。
簡単でとてもおいしい!


 あす土曜は、気分転換にチーズケーキでも焼こうと思います。
 生クリームは買い忘れ、ココナツ粉も手持ちがありませんが、まあなんとかなるでしょう。






このページには何も有益な情報はないので、まさかここで被害に遭う方もいらっしゃらないとは思いますが、念のため・・・
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